[麻上洋子さん]介護はプロと「チーム」で

05/01 (金) 07:09更新


 

新作講談 まず母に

 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の森雪役で知られる声優の麻上洋子さん(59)、神奈川県藤沢市の実家で夫や同居の姉と協力しながら、実母の秀さん(87)の介護を続けています。最近は講談師としても活動している麻上さん。介護と仕事を両立させるコツは、家族以外の手も積極的に借りることだといいます。

脳梗塞で

 母は2006年、脳梗塞で突然倒れ、救急車で運ばれました。一命は取り留めたものの、寝たきりの状態になり、話すことも食べることもできなくなりました。胃に穴を開けて管で栄養を注入する胃ろうを付け、3か月後に退院。本格的な介護生活が始まりました。

 秀さんは03年頃から認知症の症状が出ていた。秀さんの世話をしていた姉が体調を崩したため、麻上さん夫婦も東京都内から実家へ転居。協力して母を見守ろうと考えたのだが、麻上さんはマネジャーの夫と電車で1時間近くかかる都心に仕事へ出掛けることが少なくない。泊まりがけで地方へ赴くこともある。

 介護の専門家が来てくれる時は、しっかりお任せすることが肝心です。訪問看護師は毎日、ヘルパーは週1回、歯科医師やマッサージ師は月1度といった頻度で多くの方が母のために足を運んでくれます。マラソンの高橋尚子選手を支えたスタッフ陣を「チームQ」と言うそうですが、私は「チーム秀」と呼んでいます。

 1日の介護の流れを全員が把握することが大切ですから、パソコンで連絡シートを作成しました。左端に1時、2時と時刻を入れた表に、訪問したチーム秀の皆さんそれぞれに、「おむつ替え」「清拭」「眠っていた」などと記入してもらっています。留守中の母の様子がわかるので安心。1日1枚の連絡シートは電話帳くらい分厚くなりました。

 入浴など家族だけでは難しい介護もありますし、介護ばかりでは息が詰まってしまう。私が両立できるのは、皆さんが支えてくれるおかげです。

 秀さんとの意思疎通は困難ながら、少しでも快適な生活を送ってもらいたいと、麻上さんは試行錯誤と創意工夫を重ねている。

 06年に母が緊急入院している間、病院のスタッフが行うおむつ替えやリハビリの方法をしっかり観察して覚えるよう努めました。介護のコツや体験談が書かれた本も図書館でたくさん借りました。介護の予習のつもりでしたが、実際の介護では予想外のことだらけです。

 胃ろうの管を固定する台がなかなか入手できず、板とクギで自作し、退院に間に合わせました。母がおなかを壊した時は、新聞の健康欄に紹介されていた胃ろうの食事を試してみました。寝たきりだと歯磨きや洗髪が難しい。そこで、口の中に細いチューブで少しずつ水を流し、バケツで水を受ける工夫をしました。また、防水シートで頭の周囲に土手をつくり、水をバケツで受けるようにして、布団をぬらさずに洗髪しています。手応えを感じると、もっともっと改善したくなる。

 想像力生かす

 介護は想像力だと思います。心地いいとか痛いとか、言葉にできない人の気持ちを推し量る。認知症の人はわからないと考えがちですが、そんなことはありません。母は湯船に入ると、柔らかな表情で「ぷーっ」と満足そうに言うのです。私たちは大変なのですが、達成感で疲れも吹き飛びます。

 それに、きれいにしてあげるのは大切なことです。髪や肌がつやつやなら介護する私たちも気分がいいですし、家族以外の人も丁寧に触ってくれるような気がします。

 介護と並行して、近年は講談師の仕事に力を入れている。古典にとどまらず、自作の講談も人気の演目。新作が出来たら、最初に秀さんに披露する。

 詩人金子みすゞの一生を語る新作講談も、母に真っ先に聞いてもらいました。みすゞの詩が初めて雑誌に掲載された場面で、母は「うううっ」と、まるで喜んでいるような声を出しました。趣味の俳句を雑誌に投稿していましたから、掲載される喜びを思い出したのでしょうか。こんな時、母は私たちが話すことを本当は理解しているのかもしれないと感じます。

 私が幼い頃、母は病気で視力をほとんど失いました。よく育ててくれたと思います。そして今も、話すことはできなくても、介護することを通じて、母は私に思いやりや情愛など様々なことを教えてくれているような気がします。母が笑ってくれるだけで、幸せな気持ちになれるのです。

 昨年、地元の藤沢で念願だった講談の会を開いていただきました。母も楽屋で聞いてくれました。今年も9月に藤沢市民会館で行われます。たくさんのお客さんはもちろん、また母にも聞いてもらえるよう、元気でいてほしいと思います。(聞き手・福士由佳子)

 ◇あさがみ・ようこ 1952年、神奈川県藤沢市出身。73年に声優デビュー。アニメ「銀河鉄道999」ガラスのクレア役、「シティーハンター」野上冴子役など出演作多数。92年に講談師の一龍斎貞水に入門し、「春水」の号を受ける。04年、真打ち昇進。子ども向けの講談教室など、活動の場を広げている。

 ◎取材を終えて 麻上さんが幼い頃、秀さんは顔を針につくほど近づけて、娘たちの服を仕立てたという。苦労して育ててくれた母が老いた今、「生きていてよかった、子ども2人を育ててよかったと思ってもらいたくて……」。母への感謝が言葉の端々ににじんでいた。時には夫や姉とケンカもするそうだが、「母の笑顔を見ると、ケンカなんかどうでもよくなっちゃうの」という。「ね、お母さん」と笑いかける姿に、温かな気持ちになった。

*2011年7月10日

ヨミドクター = 文