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08/05 (月) 11:07更新

上手な看取りは人生の歴史から

Good end-of-life care begins with the history of life.
山本 郁子
社会福祉士でケアマネージャーの資格を有し、介護施設での身体介護や相談援助業務、管理者経験を経て、現在は所属する事業所の広報専属として従事。ターミナルケアにまつわる記事や介護に関する記事の執筆経験も豊富なフルタイムで働く3人の母でもあるワーママ。


上手な看取りは人生史から得られる。穏やかな最期のために

看取りとは?

人は誰もがそれぞれの人生を歩み、最期の時を迎えていきます。最期を迎えるその時まで、家族や近しい人などが、共に歩み、共に寄り添い進むことを「看取り」と呼んでいます。

最期に向かっていくその道のりは、家族にとってけっしてなだらかなものでないことは事実ではありますが、一方で、苦しくつらいだけのものでもありません。

看取りは、本人に限らず、家族や親しい人たちにとっても、できる限り悔いを残さないようにするためのものでもあるのです。 

大切な家族を上手に看取るために、いったい何が出来て、どうすれば、悔いのない日々を最期まで過ごせるのか。

ここでは、本人の歩んできた人生を一本の線として考えとらえていくことを手掛かりに、上手な看取りにつなげていくというお話をさせて頂きたいと思います。

本人にとってより良い過ごし方

・本人が人生で好んできたもの

本人のこれまでの暮らしの中で、何が好きで、その好きなものをどのように感じながら、日々暮らしてきた人だったのかを、ぜひ振り返ってみて下さい。

好きな食べ物は何ですか?

お気に入りのテレビ番組や、好きな音楽はありますか?

 好きな本、好きな香り、好きな音…

まずは、そんな本人の好きだったものに思いをめぐらせ、それらを身近に感じてもらうことでも、本人の苦しさや痛みへの緩和には効果的です。 

・暮らしに取り入れてみる

身体の状態によっては、食べることや飲むことが難しくなっていたり、眠る時間が多くなっていたりすることもあるかもしれません。

そんな時でも、本人の様子を見ながら、五感を通して感じられるものを少しずつ暮らしに取り入れてみることは、より良い過ごし方として効果的です。特に聴覚は最期まで感じながら過ごす事が出来ると言われていますので、工夫して活用をしてみてください。

好きだったものを少しでも味わったり、眠っていても好きなテレビ番組や音楽がかかっていたり、そんな本人の好きだったもので満たしてあげる時間をぜひ作って欲しいと思います。 

家族にとってより良い過ごし方 

・がんばりすぎない

家族は看取りを行う上で、身体的な世話という役割を担うこともあると思います。

もちろんその時間も家族の心の隙間を埋めてくれたりもするのですが、それ自体は本人が心地よく過ごすための介助の側面が強く、家族にとっては負担が増えてしまい、心身ともの疲弊にもつながります。

どうか、介護や医療の専門家の力を上手に借りながら、頑張りすぎないことも意識していただきたい大切な点かなと思います。

・本人の人生エピソードに触れる

冒頭でもお伝えした通り、看取りとは、悔いのない日々を過ごすことです。

その為には、本人がこれまで過ごしてきた人生のエピソードに、家族が十分に向き合えたかどうか、ということも大切なポイントになります。

本人の意にそぐわないことは避けるべきですが、例えば本人と親しい友人や知人に知らせを出して、会いに来てもらうのも一つの向き合い方です。

親しい人達に会えることは本人にとっても嬉しく、友人たちにとっても、会えてよかったと喜んでもらえる、良い機会になることがあります。

本人が望む会いたい人との機会をつくることは、実は、家族にとっても、本人の人生史に触れられる貴重な機会です。そこで聞ける思い出話の数々が、本人の人生史により深く触れることが出来る素敵な時間になる場合があるからです。

人生において、共に過ごしてきた人々との時間の共有や、思い出の共有こそが、悔いのない日々を過ごせたと思えるために出来る、ひとつの大切なことなのかもしれません。

医療は暮らしの質を保つためのもの

・医療も一つの手段

医療は、その時の本人の症状や訴えを診て、その症状に合わせた治療や処置を行うことを得意とするものです。看取りの時には、医療行為を優先に考えすぎてしまうと、本人や家族の望むことを叶えにくくなってしまう場合も、時に起こってくることがあります。

例えば、本人も望み、家族もお風呂に入れてあげたいと望んではいたけれど、腕に点滴が刺さっていてお風呂に入ることができず、そのまま最期の時が来てしまったら…

「お風呂に入れてあげられたら良かった…」そんな後悔が残ることにつながりかねません。 

医療も、暮らしの質を保つための一つの手段です。

担当してくれている主治医や医療機関によって、終末期医療の考え方に違いがあることも、知識として知っておくことが大切です。 

・希望する看取りを医療者に伝える

ぜひ担当の主治医や医療者の方々に「私たちは看取りの時間をこんなふうに過ごしたい」という話をして、本人や家族の希望を十分に知ってもらいましょう。

本人が望む暮らしにとって、医療がどうあれば、より良く役立つのか。終末期における本人にとっての医療とは、いったいどういった位置づけにあるべきものなのか、そんな視点で、家族も十分に考え、理解し、医療者に希望を伝えておくことが大切です。

そうすることで、本人の希望が叶い、頼りになる医療のサポートが受けられることと思います。

看取りは「点ではなく人生史の線で看る」

・人生史として今を見る

看取りをするときに、とても大切な視点として、本人の人生を一本の線としてとらえ、今の状況を「点」で見るのではなく、人生全体の「線上」で起こっていることとして捉えると良いと思います。 

そうすることで、余命宣告という大きな不安に対しても、何を大切にして過ごしていけば良いのかを冷静に考えることができ、心のゆとりを持ちやすくなります。

本人が何を感じ、どんな経験をして、どんな価値観で過ごしてきたのか。

そのことに思いをめぐらせ、時に接していくことで、本人の望む暮らしの本質が見えてきます。 

・上手な看取り

本人の望む過ごし方を皆で一緒に考えて、日々の暮らしの中で実践し、最期のその日まで、共に過ごしていくこと。

それこそが、本人にとっても、家族や親しい人たちにとっても、穏やかで悔いのない看取りとなり、大切な人が旅立ったあとに「十分にしてあげることができた」 そう納得ができる、上手な看取りにつながるのではないでしょうか。

ぜひ、無理をせず、日々の暮らしの延長線上で、大切な人の人生史に寄り添い、家族としても悔いのない日々を過ごして頂ければと思います。

山本 郁子 = 文