看護師の私がみた上手な看取り方
~膵臓癌ステージⅣにて余命宣告を受けたAさんとご家族との関わりの中で~
今この時も、自分自身にとって大切な人が、病気と闘っているという方もいらっしゃると思います。
看護師である私もまた、仕事を通して、たくさんの患者さんやご家族と一緒に病気と闘いながら今日まで過ごしてきました。
そんなわたしが、今までの看護経験の中で思うことは、“終末期の関わりに正解はない”ということです。
患者さんご自身が本当にどうしていきたいのか、ご本人ひいてはご家族にとって、そのことを考えること自体が辛い時もあるかと思います。
そんな時、わたしが看護を通して出会った、私にとっても忘れられない、上手な看取り家族のお話が、何某かの役に立つかもしれないと思いましたので、ご紹介させて頂ければと思います。
このお話を通じて、ご本人やご家族がご自身の内面と向き合い、また考えるきっかけとなり、ご自身らしい答えを見出すことへの一助になれれば、とてもうれしく思います。
【ケース紹介】
Aさん
70代女性 夫は既に他界
膵臓癌ステージⅣ 遠隔転移あり 黄疸や腹水、癌性疼痛の症状あり。
癌が発覚する前はいつも笑顔が絶えないような明るい性格。
娘さんとの関係は良好。
Bさん
40代女性 母親であるAさんの実の娘さん
母親であるAさんのことを大切に思っている。
[つらい現実]
膵臓癌は初期症状が出にくく、「暗黒大陸」と呼ぶ医師もいるほど癌が発見された時にはすでに終末期ということが多い病気です。
Aさんも癌が発見された時にはすでにステージⅣでした。遠隔転移もあり、手術治療ができる状況ではなく、余命3か月とAさんとBさんは宣告をされてしまいます。
食欲不振で食事も受け付けない・嘔吐により脱水状態であったことや腰や背中の癌性疼痛が著しく、私が働いていた内科病棟にターミナルケア・緩和ケア目的で入院されてきました。
余命宣告と辛い症状が重なり、Aさんには、いつもの明るさは無くなっていました。Bさんも受け止めきれず、Aさんのいないところで泣いていらっしゃいました。
入院後に、鎮痛目的で医療用麻薬を使用し始めますが、なかなか痛みが取りきれず痛みがない状態を保つことが難しくなってる状況でした。身の置き所のない苦痛と闘い、時折叫んでしまうなど、Aさんらしさを失ってしまう瞬間を、Bさんは目の当たりにします。
廊下で立ちすくんでいたBさんに声をかけると、
「あんなに辛そうなのに、私はなにもできない。見ているのも辛い。母とどう接したら良いのかわからない。」
そんな苦しい心の内を話してくださいました。
[今できること]
病室に入ることも躊躇してしまうほど、母であるAさんの辛く苦しんでいる姿を見ることは、Bさんにとっても、とても辛いことでした。
また、薬を用いてもどうにもならない痛みに対して、自分は傍にいても何もできない、意味がないとも思っている、そう話してくださいました。本当にBさんも辛かったのだと思います。
実はこの時、私自身が、身近な家族の急な死を経験して間もない頃でした。倒れてから3日という、覚悟する時間もない急な死でした。その時に思ったことは、「もっとこうすればよかった。ああしてあげればよかった。」という後悔ばかりでした。この経験を正直にBさんにお話をしました。
AさんとBさんには共に過ごす時間が残っていること、私のような後悔はしてほしくないこと、後悔することを最小限にしてもらえるよう、できることはサポートするということをお伝えしました。
その話の甲斐あってかは、定かではありませんが、徐々に面会も増え、悩み苦しんでいたBさんの行動が変わっていく様子が見受けられ、もっと傍にいたいと思うようになって頂けたように感じました。
[そばにいること]
ある夜勤帯に、Aさんからナースコールがありました。
鎮痛のための麻薬を追加で使用したあとでしたが、まだ痛むと身の置き所のない辛い様子で「どうにかしてほしい」と訴えてきたのです。
しかし既に追加分も使用しているので、すぐには麻薬も使用できない状況でした。少しでも休まればという気休めの気持で、背中や腰を優しくさすってみました。すると、10分もしなかったでしょうか、Aさんはすーっと眠りにつかれたのです。
この時はきっと、薬よりも人の手の暖かさや安心感が、Aさんの身体の痛みをやわらげ、眠りに繋がったのだと思います。
この出来事を通じて、Aさんは、人が傍にいることで安心感が増し、痛みの緩和につながるのだと感じたので、Bさんにもこの出来事をお伝えし、夜間の付き添いも可能であることをお話ししました。
[辛いときも]
Aさんは夜間に痛みがひどくなることが続いていました。そしてBさんは夜間付き添いを希望され、Aさんのベッドの横で眠る日を設けるようになりました。あまり喋らなくなったAさんも、Bさんが泊まる日は笑顔がみられとてもうれしそうでした。
またAさんの背中や腰を自然とさするBさんの姿も多くみられ、安心して眠りにつくことがあり、傍にいるだけでも意味があるとBさんは感じることができたのだと思います。
その空間はとても穏やかで優しく印象的なものでした。
辛い時も目をそらさずに寄り添って、自分に出来ることをしながら見届ける、そんな意思をBさんから感じ、私も精一杯のサポートをしてあげたいという気持ちが強くなっていったことを今でもよく覚えています。
[最期の瞬間も傍に]
それから間もなくして、Aさんは亡くなりました。亡くなった際もBさんは傍にいて「やっと痛みから解放されたね。頑張ったね。」と声をかけ泣いておられましたが、傍にいることを選んでよかったと話してくれました。
ただ傍にいる、ただそれだけで患者さんの活力や安心感に繋がることがあります。Bさんは自身はどうしたいのか、自身の気持ちに向き合い、Aさんの様子を見守り、できることは全てやったという達成感もあったのではないかと思います。
そうできたことが、悲しいけれど納得した最期を迎えることができた大きな要因のひとつではないかと思います。
[一人で抱え込まない]
はじめにもお話ししましたが、“終末期の関わりに正解はない”そう強く感じています。それぞれの生き方があるように、終末期もまたそれぞれに個別性があって当然なのだと思います。
大切な人の死を感じた時、現実を受け止められないことは自然なことかと思います。色々なことで悩んだり、辛い気持ちになった時は、身近なご家族や看護師・医師、あるいは友人でも良いので、誰かに話をして自分自身の気持ちを共有してみてください。
話すことで気持ちが整理されたり、道が見えてくることもあると思います。そんな時は一人で抱え込まずにどうか誰かに相談をしてみてください。
[さいごに]
「残された時間をどう過ごすか」
大切なのは「自分自身の気持ちと正直に向き合い、どんな風に過ごせば納得して最期を迎えられるのか」このことをしっかりと考えることなのではないかなと思います。
ご家族の方のお身体も大切にしていただきながら、できるかぎり心穏やかで、できるかぎり悔いのない時間が過ごせますよう心から願っております。
• 複数の体験を元に個人特定ができない範囲にてご紹介させていただいた文となっております