治療により改善する疾患(可逆的疾患)をどこまで診るのか
老衰の経過と思われていたが、実はその背後に可逆的疾患(治療により改善する疾患)が隠されているケースがあります。
実は、老衰の経過を見ていく過程で、これが最も難しい問題であると筆者は考えています。
老衰の経過であれば、一般的に月単位~年単位の緩徐な変化であるといわれています。
年余にわたる経過を見守ってきたご家族のみならず、多職種の意見にも耳を傾け連携しながら、経過の変化を慎重に見極めることが大切です。
検査を要するならば、いったいどこまでの検査を行うのか、身体に負担がかかる検査まで行うのかという問題があります。確かに、負担の少ない範囲で検査を行い、背後にある何らかの原因病態を見つけ出し、それを治療することにより、患者さんの苦痛軽減につながることも経験します。
例えば、入れ歯等が原因となる咀嚼の問題、処方薬剤やサプリメントの影響、便秘、うつ病、環境変化の影響、食事介助ポジショニング不適合による摂食障害の問題などが隠れていることがあります。
原因を解決することにより劇的に苦痛が軽減することがあります。
それは、患者さんの苦痛軽減に大いに貢献した検査治療であったと言えます。
しかしながら、多くの場合は検査治療により一過性の苦痛軽減にとどまることも多く経験します。患者さんご家族様は、最後は苦しまない方向でお願いしますとおっしゃいます。
「本人の苦痛軽減」を追及していった結果、検査治療を繰りかえし、最終的には深い鎮静をかけて人工呼吸器につなげて胃瘻栄養にまでなってしまったということもあります。
いったいどこまで検査治療を行うのか。
介護に携わるご家族様も是非このような問題があることに触れて頂き、ご家族様もチームの一員として加わっていただき、医療者と共に考え、本人様とご家族様にとって最もよい方針を探していきたいと、筆者は強く願っております。
本人の希望に関する話あいの重要性
人生の最後を迎えるにあたって、どこでどのように迎えるのかという問題があります。本人様の希望や御家族様の事情により、様々な希望があると思います。
在宅で看取ると決めていたのに、急激な臓器障害により苦しまれ、救急病院へ搬送ということは普通にあります。それは仕方のないことだと思います。
そのようなことは普通に起こり得るものだと考え、信頼できる在宅医、訪問間看護スタッフ、介護支援専門員と相談連携しながら、いざという時の医療をどのように行うかを事前に決めておくことは、非常に大切なことです。
リビングウィルという言葉があります。
人生の最終段階における医療・ケアについての生前の意思表明のことです。
最後の時はまだまだ先のことと希望的観測を抱きがちですが、本人様の認知機能低下は感じられないようで、実は明らかに存在するケースがあります。
リビングウィルまでいかなくても、日ごろからできれば早いうちから、このような話はしておくとよいと思います。
少なくとも、患者さん本人の理解力がまだしっかりあるうちに、終末期の医療介護に関して、本人様の考えを聴き価値観を知ることが大切です。
それを出来る範囲で実践し、最後まで周囲も納得がいくように出来るといいですね。
患者さんとの十分な疎通が取れない場合でも、筆者は御家族だけの希望ではなく、本人様の希望(過去の発言も含め)を、本人とご家族様から必ず聴く様にしています。
本人の希望が不詳ならば、「今の状態を本人様がもし会話できるなら、どうしてほしいというと、あなたは思いますか」と、ご家族様に伺うようにしております。
涙ぐまれながら、「私はお父さんに少しでも長生きていてほしいと思いますが、父ならきっと、これ以上のことはやめてほしいと言うと思います。」というケースや、同じ質問に対して、絶句の末、面談がそのまま終了するケースなどいろいろです。
本人の気持ちを出来る限り尊重でき、家族も出来る限りのことができたと思うことが出来れば、患者さんが旅立たれた時にも、後悔なく晴れ晴れした気持ちになれるのではと想像いたしますがいかがでしょうか。
みんなで患者さんを看取った後に、感謝されるご家族様も数多くおられます。