[高見澤たか子さん]病気の夫と普通に生活

車イスで展覧会、旅行…楽しめた
ノンフィクション作家の高見澤たか子さん(73)は2007年7月、夫の寺尾和夫さんを亡くしました。77歳でした。
和夫さんがパーキンソン病を患ってから介護は計14年間に及びましたが、高見澤さんを支えたのは「病気でも普通の生活をさせたい」という思いでした。
定年3年後に発症
夫がパーキンソン病と診断されたのは、定年から3年後。貧乏ゆすりが止まらず、検査入院して分かりました。医師からは「命に別条はないが、体が次第に不自由になっていく」と告げられました。
その前、夫の退職直後に2人でヨーロッパを3か月かけて旅行したことがありました。英字新聞記者で夜の遅かった夫と長い時間を過ごすのは初めて。旅先では互いの嫌な面が見え、けんかばかりで離婚も考えたほどでしたが、思いとどまりました。
それがかえって良かったのでしょう。何があっても2人で手を携え、老後を生きていくという覚悟みたいなものはできていたと思います。病気の進行に備え、車イスでも過ごしやすいよう、自宅の改修も済ませておきました。
高見澤さんは医師から、「薬の服用で症状を抑えることができるが、効果が切れると急に動けなくなり、薬が効く時間も次第に短くなる」と説明を受けていた。その言葉通り、和夫さんも発症から5年ほどたったころから、突然、動けなくなることが増えてきた。
冬のある日、帰宅すると、夫が自宅の玄関でうつぶせに倒れていました。聞くと「急に動けなくなった」と。1時間も横たわったままだったのです。風邪で高熱を出してしまいました。外出先で階段から落ち、目の上を13針縫う事態も起こりました。
10年ほどたった頃には、嫌がっていた車イスにも頼らざるを得なくなり、介護保険を利用することにしました。ヘルパーさんに着替えや入浴の介助をお願いすると、ずっと楽になり、「これでやっていける」と肩の力が抜けるのを感じました。
パーキンソン病はかなり進行していましたが、その頃はまだ、車イスで一緒にコンサートや展覧会、旅行にも出かけられました。普通の生活を楽しめていたのです。
異変が起きたのは05年9月。和夫さんが肺炎で緊急入院した。腸ねん転も起こしていた。手術は成功し、すぐにリハビリが始まった。順調に回復していたが、退院を目前に肺炎と敗血症を併発して危篤状態に。命はとりとめたものの、鼻から胃に管を通して栄養剤を注入する「経管栄養」が必要になった。
夫はMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に院内感染していたのです。当初、病院はそれを認めず、家族にもだまって投薬していました。不信感が次第に募り、転院を決めました。
医師や看護師が遅くまで骨身を削って治療や看護に当たる姿には、本当に頭が下がる思いです。ただ、疲れて気持ちに余裕がなくなっているのでしょうか、一部の心ない言葉や態度に傷付けられることも度々でした。
オランダでは、医学生になった1年目から患者との対話について学びます。医療や福祉の取材で他国を訪れたこともあるだけに、介護を支える文化の違いを痛感せざるを得ませんでした。
夫が、食べる楽しみを奪われてしまったのが、かわいそうでした。時々、「そばが食べたい」などとつぶやき、家に帰ることを望みました。
和夫さんは胃に穴を開けて直接栄養を補給する「胃ろう」の手術を受け、06年春、自宅に戻った。高見澤さんは介護保険を利用しながら、ほぼ1年間、在宅で和夫さんを介護した。最も程度の重い要介護5だった。
機械を使って行うタンの吸引や胃ろうの管理の方法などは病院で教わり、夜も夫のベッドの横に簡易ベッドを置いて体位交換などに備えました。ゆっくりと食事をする時間もない状態が続きます。結婚して静岡に住む長女が週末には新幹線で駆け付けたり、いとこたちも手伝ってくれたりしました。
07年4月、和夫さんはタンを詰まらせて、再度の入院を余儀なくされた。一度は退院したものの再入院し、亡くなった。
「夫が病気にならなければ、こんなこともできたのに」といった後悔はありませんでした。病気になっても楽しめることはたくさんある。夫は私にとって、一緒に人生を乗り切ってきた同志だという思いでしたから、少しでも普通の生活をさせてやりたかったのです。
商店街で生き生き
反省することもあります。一度、リハビリを担当する理学療法士に「行くなら公園よりもスーパーがいい」と言われました。私は、食べられない人に食べ物を見せるのは酷だと勝手に考えていましたが、夫は生き返ったような表情を見せました。それからは車イスを押して、商店街に出かけるようになりました。
最近は患者の「生活の質」を考えることの重要性が叫ばれます。しかし、本人にとって何が大切なのかを、周囲がよく考える必要があることを実感しています。(聞き手・西内高志)
◇ たかみざわ・たかこ ノンフィクション作家。1936年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。明治・大正期の特異な人物の評伝を手がけるほか、高齢社会や家族の問題をテーマにした作品も多い。近著に「ごめんね、ぼくが病気になって」(春秋社)。
◎取材を終えて 和夫さんが路上で車イスから転げ落ちた際、障害児を連れた母親が助けてくれたそうだ。「私たちもいつも助けてもらってますから」という言葉に、困難な生活の中で培った度量を感じたという。高見澤さんは「夫の病気と付き合う中で、人を思いやることの大切さを思い知った。若かった頃にはなかったものです」と話していた。こうした他者への優しいまなざしの輪が広がり、過ごしやすい社会になればいい。
*2010年3月14日


