[佐野しおりさん]最後まで「ラーメンの鬼」…病室で薄味楽しんだ夫
ラーメン店「支那そばや」代表の佐野実さんは2014年4月、63歳で亡くなりました。妥協を許さない姿で「ラーメンの鬼」と呼ばれ、テレビでも活躍した実さんを支えたのが、妻のしおりさん(54)。「病室で生涯最後のラーメンを食べた夫の表情が、今も目に焼き付いています」と振り返ります。
「糖尿病」を直感
夫の異変に気づいたのは06年頃。帰宅すると疲れた様子で、しきりに喉の渇きを訴え、水を飲むのです。そんなに濃い味のものを食べたわけでもないのに。「糖尿病では」とピンときました。私の母も糖尿病に苦しみ、それとそっくりだったからです。
でも、夫は診察してもらおうとしません。病院に通うとなれば周囲に心配をかける、と考えたのかもしれません。
翌07年、ラーメン愛好家で夫と親交のあった、北海道の医師に相談しました。夫には「万一に備えた健康診断」と言って連れ出しました。下された診断は、やはり糖尿病。ただ、夫は「大丈夫だよ」と悲観していませんでした。
食事を制限すべきでしたが、仕事柄難しい。人をもてなすのが大好きで、禁酒も無理な話。お酌をする時、焼酎の量をこっそり減らすなど、こちらで気をつけました。
注射や仕事管理
当初は投薬による治療だったが、効果があがらずインスリン注射に切り替えた。朝と晩の1日2回、注射を打つのがしおりさんの日課となった。
当時は私が夫のスケジュールを管理していました。ラーメンに関して妥協を許さなかった夫は、良い食材を求め全国を駆け回ります。ラーメン関連のテレビ番組への出演も多く、多忙を極めていました。でも、見るからに体調が悪くなっていきました。なるべくオフの日をつくるよう、だんだんと仕事を絞りました。
注射や仕事のセーブのかいもなく、病は実さんの体を徐々にむしばんでいった。糖尿病の合併症で腎臓の機能が低下、他の臓器も衰えていった。13年暮れからは高熱に苦しむようになり、14年2月には入院を余儀なくされた。
ラーメンショーに招かれた実さんに同行するしおりさん
(2009年、東京都内で)
自宅療養中、声をかけても返事がない。目を開けたままぐったりとしているのです。急いで救急車を呼びました。
医師から「このまま放っておいたら、あと3日もつかどうか。腎臓も肝臓もほとんど機能していない」と伝えられました。すぐ集中治療室に入り、人工透析を受けることになりました。
必要な物を取りにいったん自宅に戻り、病院に引き返すと、夫の容体が急変、人工呼吸器がつけられていました。「大丈夫?」と尋ねても、小さくうなずくだけ。「寂しい思いをさせてしまった」と悔やみました。それからは病室に寝泊まりし、夫の様子を見守るようにしました。
少し持ち直して集中治療室から出た夫は、「30分でいい。家に帰りたい」と切望しました。一時帰宅を想定し、ベッドから車いすに移る訓練を始めました。帰宅するには移動時間を含め、車いすに2時間は座ったままになります。でも全身が弱り、座っていると血圧がどんどん下がる。頑張っても40分が精いっぱい。望みはかないませんでした。
信念と味守る
実さんの63回目の誕生日となった14年4月4日、とくに親しかったラーメン店主らが全国から駆けつけ、病室で誕生会を開いてくれた。病状を考慮し短時間だったが、実さんは驚くほど明るくなったという。
よほどうれしかったのでしょう。高熱にうなされていた夫が、誕生会の時だけ熱が下がったのです。
その時、夫が「ラーメンが食べたいな」と言いました。すでに2週間ほど、ろくに食事をとれない状態でしたから、とんでもない話です。でも、望みがかなうならと、店から1杯分の材料とIHコンロを持ち込み、調理しました。
自らラーメン鉢を持ち、おいしそうに食べました。容体を考え、しょうゆ味のスープを薄めにしたところ、「薄いよ。いつもこんなものを店で出してんのか」と苦笑するのです。舌は衰えていなかったのですね。
食べ終わると、満足そうに「うん、おいしかった」と一言。良かったと思いました。
その1週間後に夫が旅立つまで、病室で2人の時間を過ごしました。少し容体が落ち着いた時、短い会話をしました。その最後に「何が食べたい」と聞くと、「ラーメン食べたいな」。この人らしいと胸が熱くなりました。
今は、私が夫の会社を引き継いでいます。夫と同じことはできません。でも、スタッフと力を合わせ、夫の信念と味を、いつまでも守り抜く。そう誓います。(聞き手・田中左千夫)
◇さの・しおり 1960年、福岡県生まれ。リフレクソロジー(マッサージの一種)の店を経営していた2003年、実さんと知り合い、04年結婚。現在は「支那そばや」を運営する「サノフード」、食材やラーメン鉢を卸販売する「エヌアールフード」の代表取締役を務める。
◎取材を終えて 実さんの最期を覚悟したしおりさんは、誰か大切な人に言い残したことはないかと思い、「今までで一番の思い出は何?」と、やんわりと尋ねたという。実さんは一言、「おまえと出会えたことだよ」。「ほかにも、いろいろと伝えたいことがあったでしょうに、そこまで目の前の人を気遣う人柄なんですよ」と、目を潤ませながら語るしおりさん。夫婦の信頼と愛情の深さを感じさせられた。
*2015年2月15日