[町亞聖さん]母を看取り 今がある
医療・介護問題 伝えたい
フリーアナウンサーの町亞聖さん(40)は昨年、日本テレビを退社し、医療・介護関連のイベント司会や番組出演に力を入れています。町さんを突き動かし、支えているのは、18歳から10年間、くも膜下出血で倒れた母の広美さんを介護し、自宅で看取った経験だといいます。
くも膜下出血
母が発症したのは1990年1月。私は高校3年生で、3学期の始業日でした。朝、ベッドでぐずぐずしていると、6歳下の妹が「お母さん、体調が悪いみたい」と伝えに来たのです。顔色は悪かったものの、「少し横になれば大丈夫」と言うので、布団に寝かせて登校しました。
夜になっても頭痛が治まらず、父が近くの総合病院に連れて行きました。翌日の検査の後、医師から命の危険も伴う開頭手術になると説明を受けました。「心配かけてごめんね」とわびる母を前に、みんな涙が止まりませんでした。
手術は成功したが、右半身がまひし、言語障害、知能低下などの後遺症が残った。容体が安定するまでの数か月間、父と交代で付き添った。
80キロあった体重が30キロ台まで落ち、ほとんどしゃべれなくなった母の姿はショックでした。でも、慣れない家事をし、弟と妹の面倒もみなければならない。大学受験に失敗して予備校通いとも重なっていたので、泣いている暇はありません。戸惑いながら全力疾走した感じでした。
リハビリ病院への転院を経て自宅に戻るまで、1年かかりました。久しぶりに家族そろっての暮らしを始めるにあたって、「母を母として扱い、できる範囲で家事はしてもらおう」と話し合って決めました。その頃には、母も家の中なら伝い歩きができるようになっていました。ただ、料理はできず、入浴には介助が必要です。会話も短い言葉を発するのがやっとでした。
もどかしい思いでいっぱいだったはずなのに、それでも母は笑顔を絶やさなかった。元々、おおらかな性格で、私が愚痴や悩みを口にすると、「仕方ないのよ」「大丈夫」と励ましてくれました。
車いすの母と外出するようになって、歩道には高い段差があり、車いす用のトイレも十分に整備されていない現実に憤りを覚えました。それがパワーとなって、小学生時代から漠然と抱いていたアナウンサーへの憧れが、明確な目標に変わりました。「福祉の問題点を多くの人に訴えたい」と思ったのです。
採用試験の面接では、母との生活を通して学んだことを話しました。合格できたのは母のお陰と思っています。
入社当初は深夜番組を担当していたので、朝と昼は母と一緒に食事をし、晩ご飯を作ってから出社する毎日。世間の人がイメージする華やかな生活とは無縁でしたが、夕方帰宅する高校生の妹らと家事を分担できて都合が良かったのです。
末期がん発覚
入社4年目の98年。町さんは、広美さんの車いすに敷いてある座布団が血で赤く染まっていることに気づく。末期の子宮頸けいがんだった。
母は言葉が不自由なんだから、私がもっと注意しておくべきでした。今でも後悔の念は消えません。
都内で入院して抗がん剤治療を受けていましたが、その効果も薄れてきた時、私は「最期は家で迎えさせてあげよう」と決断しました。長くベッドで過ごしてきた母を、病院で逝かせたくなかった。幸い、当時は珍しかった緩和ケアを行う病院を自宅の近くで見つけました。主治医と話し合いを重ね、「町さんのご家族なら大丈夫」と太鼓判を押して下さった時は、不安が軽くなりました。
訪問看護師に毎日来てもらい、私たちは体をふいたりオムツを交換したりする以外は、そばにいるだけ。でも、母に「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」が言えることで、家族みんなが心穏やかに過ごせたと思います。
早朝の番組のため深夜2時に家を出る時は、リビングルームで寝ている母の様子を見に行くと、目を覚まして私を片手で静かに抱きしめてくれるんです。「帰ってくるまで、生きててね」。社に向かうタクシーの窓から星空を見上げ、祈りました。在宅看護を始めて1か月半後、母は家族が見守る中、安らかな笑顔で49歳の生涯を終えました。
広美さんが亡くなった後、今度は父がアルコール依存症になり、2005年、病気で他界した。
実は子どもの頃、威圧的で酒癖の悪かった父を嫌っていました。でも、母を献身的に看病する姿に、初めて尊敬の念を抱くことができたのです。母の死後、お酒に走った父に「お母さんの分も生きなきゃ」と妹と2人で励ましましたが、結局、支えてあげられませんでした。
それでも私は、母が与えてくれた経験を無駄にはしたくない。これからますます重要性が増す医療や介護の問題を取材し、私なりの言葉で伝えていきたいと思っています。(聞き手・中舘聡子)
◇まち・あせい フリーアナウンサー。1971年、埼玉県生まれ。立教大文学部卒。95年、日本テレビ入社。2000年にアナウンス部から報道局に移り、医療や介護の現場を取材した。11年6月にフリーに転身。著書に「十八歳からの十年介護」(武田ランダムハウスジャパン)。
◎取材を終えて フリーになって時間に余裕ができたこともあり、最近は高校時代の友人と集まる機会が増えたという町さん。「若いうちに介護を経験したからか、大変だったねと言われますが、若くて柔軟だったからこそ、人生を悲観せずにいられたのかも」。介護をするうえで、そのプラス思考が大きな力になったのかもしれない。ともすれば深刻になるばかりの介護問題を、町さんなら前向きに伝えてくれるだろう。
*2012年3月19日