[永千絵さん]六輔さんを在宅介護

12/01 (日) 06:13更新


やっと普通の父と子に

 放送作家の永六輔さんは今年7月、83歳で亡くなりました。晩年は病気のため足腰が弱り、話すことが不自由だったそうです。長女で映画エッセイストの千絵さん(57)は、フリーアナウンサーの妹麻理さん(55)と交代で、自宅で過ごす父を介護しました。「忙しかった父と、最後に親子の時間を持てた」と言います。

不自由を嘆かず

 亡くなる前日の夜でした。たまたま麻理と3人で実家にそろったので、1時間ほどゆっくり過ごしました。言語聴覚士の方から「話せるようになるために頬を動かしましょう」と言われていたのでアタリメを勧めると、父は「おいしい」と気に入り、ずっとしゃぶっていました。のみ込みそうになり、喉に詰まらせるといけないので「危ないよ」と口から取り出しました。すると「危ないね」ってはっきり発音したんです。

 あまりにも言語明瞭だったから、麻理と2人で大笑いして「明日からアタリメでリハビリだ」と盛り上がりました。前の日にそんな元気な姿を見せていたので、いまだに亡くなった実感がないんです。子どもの頃から家にあまりいない父でしたから、今も留守番をしている気分です。「いつ帰ってくるんだろう」って。

  六輔さんは人気テレビ番組の脚本を書きながら、自らもテレビにラジオにと出演。独特な口調で世相を斬り、庶民の気持ちを代弁して人気を博した。2010年にパーキンソン病と前立腺がんを発症。2年ほど前から、徐々に思うように話せなくなり、体も不自由になってきたため車いすでの生活を送っていた。

 体が思うように動かせなくなり、本人はすごくつらかったと思います。でも「つらい」と言ったことはありません。神社にお参りに行くと、砂利道で車いすがガタガタする。すると「背中が痛い、これは問題だ」と、当時出演していたラジオ番組のためにメモするんです。お祭りの屋台では「子どもの目線に戻れる」と言って、焼きそばを焼く人の手元を見てニコニコ。病気と闘うというより、楽しくつき合っているようで、私たちの気持ちも和みました。ありがたかったです。

 ただ、同時代に活躍していた友人が亡くなるたびに、心身が弱っていくのを感じました。俳優の小沢昭一さん(12年12月)、作家の野坂昭如さん(15年12月)が亡くなった時は、とんとん、と階段を下りるみたいに。本当にさみしかったんだと思います。

  六輔さんは今年1月、背中の手術のために入院し、その後、肺炎をこじらせた。千絵さんら家族は4月から、在宅での介護を始める。

恨んだ頃も

 とにかく病院が嫌いで、「病院に行くと病気になっちゃう」と言うような人でした。父が負担に感じるのは嫌でしたし、02年に亡くなった母も家でみとったので、自然な成り行きだったと思います。夜は私と夫、昼間は麻理と看護師、ヘルパーさんが交代で付き添いました。

 父を放送の現場に復帰させよう、という目標を家族で持っていましたが、私の気持ちは揺れていました。私自身の問題として、今では好きな父の顔に「似ている」と言われるのが、嫌だった時期があります。父親似の娘は世の中に大勢いますが、父はテレビにも出る有名人。顔を知られているから私が嫌な思いをするのだ、と父を恨みました。

 その頃の思いを引きずっていたのでしょう。永六輔ではなく、父、孝雄(本名)のままみとりたい、と思ったのです。リハビリに一生懸命の麻理に「無理に復帰させなくていいよ」と言ったこともありました。頑張っていた麻理に、申し訳なかったと思います。

  六輔さんと家で過ごす日々は、千絵さんにとって、幼い頃に不在がちだった父との関係を再確認する、かけがえのない時間となった。

 ある日「千絵ちゃん!」と呼ぶので驚いて部屋へ行ってみたら、テレビの映像を指さして「ねこ」と一言。私は猫や犬が好きなので、呼んでくれたのです。一緒にその映像を見て、ボーッと過ごしました。それまでそんな時間を持つことはなかった。最後に“子ども孝行”をしてくれたのだと思います。介護を通じて、やっと普通の父と子になれたような気がします。

遺骨に名残

 父は苦しむことなく、大好きな家で亡くなりました。死因は肺炎でしたが、医師は「老衰といってもいいですね」と。気力、体力全てを使い尽くして逝った気がします。

 遺骨は、今も自宅の書棚に母と並んでいます。実家のお寺に納骨する予定ですが、久しぶりに再会した2人が部屋になじんでいるような気がして、連れて行きづらい。もうしばらく、家にいてもらうつもりです。(聞き手・志磨力)

  ◇えい・ちえ  1959年、東京生まれ。高校在学中から映画雑誌に原稿を書き、大学卒業後も映画に関するエッセーを多数執筆。雑誌「SCREEN」(近代映画社)でコラムを連載中。著書に「親子で映画日和 子どもと映画を楽しむために」(同)など。

  ◎取材を終えて  死生観に関する著書も多い永六輔さんは、「みとってくれる仲間が大切。家族も仲間です」と生前話していたという。千絵さんも「変な話だけど、家族と看護師、ヘルパーさんがチームのようで楽しかった」と介護の日々を振り返る。六輔さんを含む全員が、来る日を受け入れるべく、毎日を大切に過ごしていたのだろう。取材をしながら「死=恐怖」という固定観念が、ふと消えてしまうような不思議な気持ちを味わった。

*2016年12月18日 掲載*

ヨミドクター = 文