私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
人生の最後にグループホームを選んでくれた入居者さん

人生の最後にグループホームを選んでくれた入居者さん

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
ごんごん さん (女性)
34歳 介護福祉士 秋田県
看取られた方
介護福祉士と利用者
Care workers and users
享年 89歳
主な疾患 胃がん
闘病期間 0年 2ヶ月
最期を迎えた場所 施設

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

長野さん(仮名)は約45年間、1人で時計店を営んでいました。


一人暮らしをしていた頃は近所の人がよくお茶飲みに来ていたとのことで、おしゃべりが好きで人付き合いの上手な方でした。私が入社したばかりのときに、仕事のやり方を優しく教えてくださったのが印象的です。


お客様を相手にする仕事だったので身だしなみを気にされ、朝起きるとまず眉毛を描くのが日課でした。


でも認知症で描いたことを忘れてしまうため何度も描いてとても太くて濃い眉毛になっていたのがお茶目で可愛かったです(笑)そして「眉毛が落ちるから嫌だ」と顔を濡らしたがらず、なかなかシャワーをしてくれないのでお風呂が大変でした。


シャワーは嫌いでしたが、会話をしながらなんとか入浴を終えると「サッパリした」とまた鏡を見ながら髪型を整えて身だしなみを整えていました。


前掛けをいつもしていて家事を手伝ってくださいました。職員がお米を研ごうとすると「やろうかー?」と自らお手伝いしてくださり、野菜を切ったり味付けなどほとんどなんでもこなしてくださいました。


私みたいな若者が人生の大先輩には到底敵うことなく、いつも助けられていました。社交的で誰とでも仲良くなり、いつも笑顔でお話しされていました。


ある時、ご家族との面会中にご家族に呼ばれ、「何かを口から出した」との報告がありました。


ティッシュに包まれた少量の「ソレ」は、黒っぽく小さな餡子のような塊でした。長野さんはコーヒーを飲んだだけで気分は悪くないとのこと、体調面は異常なさそうな様子。私にはその場で判断がつかないため預かることにしました。


後から上司に報告するとどうやらそれは「血の塊」だったようです。吐血を見たことがなくイメージはサラサラの血液だったために気付かず、匂いで私も納得しました。


念のため病院で検査をしてもらうことに。結果は末期の胃がんとのことでした。


しかし穏やかだった長野さんの態度が一変、病院での治療は断固として反対。今すぐグループホーム(GH)に連れて帰れと激怒し、状態もその時は目立った不調もなかったため一旦GHに帰り、家族と職員でも話し合うことになりました。


娘さんは、長野さんの意思を尊重して入院治療はせずに最期までGHで過ごさせてあげたいと。職員も同じ意見で、すぐにGHでの対応を考えました。


初めは何事もなく他の入居者の方と同じ生活を送っていましたが次第に体力の低下、病気の進行も見られ吐血を繰り返して貧血で倒れたり、感染予防のために居室で過ごす時間が多くなりました。


みなさんと同じメニューは食べられませんでしたが、少しでも食べたいものを口から摂取していただきたい、食事の楽しさを味わってもらいたいと思い、長野さんの希望するメニューを作り職員も一緒に居室で食べたりしていました。友達が多い長野さんを心配した入居者が長野さんの調子のいい時に1〜2人で居室まで遊びに行き、談笑することもありました。


お話し好きの長野さんはすごく嬉しそうにしていました。病気の進行は止められることもなく、ついに食事を摂ることも起き上がることもできなくなり寝たきりになってしまいました。


だいぶ苦しさもあった様子でせん妄状態が見受けられ、意味不明なことを言うことも増えました。苦しさには波がある様子で声かけに反応することもありました。


こまめに様子を見に行っていたのですが私が様子を見に行って5分も経たない間に他の職員が見に行くと、大量に吐血しており息をしていませんでした。


ちょうどご家族が面会に来たタイミングでしたが血まみれの姿を見せるわけにはいかなかったので、ある程度の清拭と看護師さんと一緒に軽く死化粧をしてご家族と対面を果たしました。


ご家族は最期の瞬間には立ち会えなかったけど、本人が希望するGHで過ごせたことをすごく感謝してくださり私たち職員もこれでよかったんだなと感じることができました

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

長野さんは約45年間、1人で時計店を営んでいました。


一人暮らしをしていた頃は近所の人がよくお茶飲みに来ていたとのことで、おしゃべりが好きで人付き合いの上手な方でした。


お客様を相手にする仕事だったので身だしなみを気にされ、朝起きるとまず眉毛を描くのが日課でした。


でも認知症で描いたことを忘れてしまうため何度も描いてとても太くて濃い眉毛になっていたのがお茶目で可愛かったです(笑)そして「眉毛が落ちるから嫌だ」と顔を濡らしたがらず、なかなかシャワーをしてくれないのでお風呂が大変でした。


前掛けをいつもしていて家事を手伝ってくださいました。


職員がお米を研ごうとすると自らお手伝いしてくださり、野菜を切ったり味付けなどほとんどなんでもこなしてくださいました。


社交的で誰とでも仲良くなり、いつも笑顔でお話しされていました。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

ある時、ご家族との面会中にご家族に呼ばれ、「何かを口から出した」との報告がありました。


ティッシュに包まれた少量の「ソレ」は、黒っぽく小さな餡子のような塊で、私にはその場では判断がつかないため預かることにしました。


上司に報告するとどうやらそれは「血の塊」だったようです。病院で検査をしてもらうと結果は末期の胃がんとのことでした。


しかし穏やかだった長野さんの態度が一変、病院での治療は断固として反対。今すぐGHに連れて帰れと激怒し、一旦GHに帰り家族と職員でも話し合うことになりました。


ご家族は、長野さんの意思を尊重して入院治療はせずに最期までGHで過ごさせてあげたいと。職員も同じ意見で、すぐにGHでの対応を考えました。


初めは何事もなく他の入居者の方と同じ生活を送っていましたが次第に体力の低下、病気の進行も見られ、吐血を繰り返して貧血で倒れたり居室で過ごす時間が多くなりました。


みなさんと同じメニューは食べられませんでしたが食事の楽しさを味わってもらいたいと思い、長野さんの希望するメニューを職員も一緒に居室で食べたりしていました。


病気の進行は止められることもなく、ついに食事を摂ることも起き上がることもできなくなり寝たきりになってしまいました。


だいぶ苦しさもあった様子でせん妄状態が見受けられ、意味不明なことを言うことも増えました。苦しさには波がある様子で声かけに反応することもありました。


こまめに様子を見に行っていたのですが私が様子を見に行って5分も経たない間に他の職員が見に行くと、大量に吐血しており息をしていませんでした。


やってよかったこと What are you glad you did?

病気が発見される前は、他の入居者とコーヒーやお茶を飲みながら大好きなお話ができて、他愛ないことでもゆったりとした日々が過ごせたことがよかったのではないかと思います。


あとはなんでもやりたがる、頼ってほしいと思う方だったので職員がたまに程よく甘えることも人生の先輩としては誇れた?自慢できた?のではないかなと思いました。それが張り合いになっていたのかもしれません。


病気が発覚してからは、やはり本人の意思を尊重して緩和治療ではなく住み慣れたGHで最期まで仲間に見守られたことがよかったと感じます。


大嫌いな病院で1人寂しく過ごすより、住み慣れたGHで仲間と他愛もない話をしながら好きなものを食べれるときに食べて、緩やかに最期を迎えられたのは本望だったと思いたいです。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

やはり本人の希望といえど、全く緩和治療をせずに病気の進行を見ているのは辛かったです。


何かしてあげられたらなと思いましたが本人の希望なので仕方なく…。


本当に苦しそうにしていたのは最期の数日でしたが、それでももっと自由な時間が長く続けば、苦しまずに過ごすことができればよかったのかなと悩ましいところです。


吐血して貧血を起こして倒れても、血を拭き取って回復を待つことしかできないのは職員として不甲斐なさを感じました。


もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

特に思うことはないですが、強いていえばGHが看護や医師と密着した体制になっていればもう少し楽できれいな状態で(盛大な吐血をして全身血まみれになるようなことがない)最期を迎えられたかなぁとも感じます。


しかし本人の希望ですし、ご家族も納得されていたので後悔はないと思います。


この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

家族が急に余命宣告をされるとパニックになると思います。


一緒に暮らしていなかった家族だとなおさら「なんでもっと頻繁に会いに行って話を聞いて、早く変化に気付いてあげなかったのだろうか。もっとたくさんやってあげられることはあっただろうに…。」などと、少なからず後悔をすると思います。自分を責めることもあるでしょう。


しかし、死は誰にでも訪れることで後悔しても仕方のないことです。これから残された時間にできることを考えた方がいいと思います。


余命宣告をされた家族は、気丈に振る舞っていても心の中では、恐怖心や後悔、情けなさや悲しみでいっぱいだと思います。まずはその気持ちに寄り添ってあげるといいでしょう。


あとはマイナスな気持ちを受け入れるだけでなく、私たち家族はプラスの言葉をかけていくべきだと思います。共感、需要も大事ですが、一緒に落ち込んでいては良くないと思います。


長野さんは「GHで最期を迎えたい!病院は絶対に嫌だ!」という強い意思がありました。そしてご家族もそれを理解してくださっていたのが何よりだと思います。


救急車で搬送されてもできることがなく、何度も帰ってきては運ばれ…の繰り返しでした。本人も次第に体力を奪われていくことは怖かったと思います。


しかし大好きな仲間と他愛もない話をして、たった5分でも笑顔になれたことはGHを選んだからこそできたことだと思います。やりたいことはできるうちにやらせてあげましょう。


長野さんは「オムツは履きたくない」と言われ、ギリギリまで車椅子でトイレ誘導をしていました。吐血や貧血で倒れることもありましたが「オムツは嫌だ」という強い意思は変わらず。大切なことですよね。


食事が可能なら好きなものを食べさせてあげてください。明日まで待ったらもう食べ物を口から摂取することができなくなるかもしれません。


長野さんは味噌のおにぎりを好んで食べていました。一口サイズに握って持っていくと、喜んでいられました。


口から摂取するのが辛くなっても食べてみたいという気持ちはあるのでしょう。受け付けなくてその場で吐いてしまうこともありましたが、具合が悪いわけではないので好きなときに好きなものが食べられる環境は素敵なことだと思います。


本人が満足することをしてあげてください。それは、本人だけでなく自分たち家族が後悔しないためでもあると思います。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

新人の頃から大変お世話になりました。


何をすればいいかわからず戸惑っていた私に「今は掃除の時間だから、これを持って一緒に掃除しましょう」と優しく声をかけてくださったことを今でも鮮明に覚えています。


臆病な私が雷や地震に怯えて長野さんの影に隠れているといつも優しく声をかけてくださいましたね。とても頼れる存在でした。


料理や家事全般を教えてもらって、花嫁修行になったかな?(笑)穏やかでGH全体の雰囲気を和ませてくださって、みんなと仲良くできる長野さんは尊敬です!


私は会話の糸口が見つからずなかなか話が弾まないのが悩みですが、長野さんはすぐにみなさんと打ち解けていましたよね。