私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
祖父への歌はギターと共に、一室に集まる3世代

祖父への歌はギターと共に、一室に集まる3世代

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (男性)
バケットハット さん (男性)
28歳 WEBライター 岐阜県岐阜市
看取られた方
祖父
grandfather
享年 85歳
主な疾患 心疾患
闘病期間 5年 0ヶ月
最期を迎えた場所 自宅

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

祖父の最期には立ち会うことができませんでした。


むしろ祖父が孫である私と弟を最期まで見守ってくれたのです。祖父が亡くなったのは、2022年の11月末。もうすぐ一周忌になります。


「そろそろかもしれない。」福島県福島市に住む祖母から母に連絡が入り、私も母からの連絡で祖父の状態を知りました。


当時の私は東京都に住んでおり、その日は仕事の最中でした。


「仕事はいいから、直ぐに行ってあげなさい。」上司に相談すると、何の迷いもなく、そう言ってもらえました。私の都合で辞めてしまった勤め先ですが、この日の心遣いには本当に感謝しています。上司に相談した後、私は直ぐに職場を出ました。


いったん自宅に戻り、急いで身支度を整え、福島ではなく長野へ向かいます。


岐阜から車で来る母と弟に途中で合流し、運転を交代する段取りでした。


当時は弟がまだ運転免許を持っていなかったので、母の負担を減らすのが目的でしたが…今になって考えると少し遠回りだったと思います。


突然の話で私も母も細やかに段取りをする余裕がありませんでした。長野で夕食を済ませ、高速道路で福島へ。休憩を挟みながら向かい、到着する頃には深夜の2時を過ぎていました。


翌日、寝室を覗くと、そこには驚くほど痩せ細った祖父の姿が。あんことお酒が大好き、食いしん坊の祖父からは想像できない姿に私は言葉を失いました。


声を掛けると、反応はありますが、言葉としての意味は成しておらず。握った手の力のなさに命の最期を感じざるを得ませんでした。


かねてよりの祖父の希望で無理な延命治療はしていないと聞いてはいましたが、現実を目の当たりにして落胆したのをよく覚えています。


落ち込みはしましたが、滞在中の祖父の容態は安定しており、起きている時に話しかけに行ったり、祖母と一緒にご飯を食べたりして過ごしました。


数日経ち、弟が大学の講義で岐阜に帰る前日の夜。私も職場を空け続けていたので、母を福島に残して2人で一度戻ることになりました。新幹線で東京まで一緒に出て、弟を名古屋行きの新幹線に乗せる算段でした。


私が風呂から出ると、祖父の寝室で弟が持って来ていたギターを弾いていました。大学でアコースティックギターのサークルに所属している弟は、演奏会が近いらしく、練習をしていたのです。後から聞いたところによると、母の提案で祖父に聴かせていたのだとか。


私も祖父の寝室で弟の練習を聴いていると、家事を終えた祖母と母も集まってきました。みんなが何かを感じ取り、祖父のために…誰が提案するでもなく、気が付けば弟の演奏に合わせてみんなで歌を歌っていました。


祖父はみんなの歌声を聴きながら、声を発していました。変わらず意味を成す言葉にはなっていませんでしたが、声色は確かに嬉しそうだったと思います。翌日、祖父に挨拶をして私と弟は福島を発ちました。


弟が岐阜に着いて数時間後、母から電話が。その電話で祖父が亡くなったと聞かされました。「まるで孫が無事に帰るのを見守ってくれていたみたいだね。」母にそう言われ、私は東京の空の下で天国へ旅立った祖父を思いました。

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

あんことお酒が大好き、わがままで子供っぽいところもあるのですが、それを周りが許してしまうような愛嬌のある持ち主。


寝たきりになる前、一度だけ一緒にビールを飲むことがありました。私がグラスにビールを注いであげると、それはもう嬉しそうで…。あの笑顔は忘れられません。


ここで終われば良い話なのですが、続きがあります。


ひとしきり飲んだ後、次の日に病院の検査があることが発覚。翌日、検査の数値が悪かったらしく、そのまま数日入院していました。我ながら、そんなに孫と飲めるのが嬉しかったのかと笑ったエピソードです。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

なるべくそばにいたいという気持ちから、祖母が自宅で闘病生活を支えていたそうです。


薬を管理したり、食事制限に合わせて料理を作ったりしていたと聞いています。長年連れ添った大切な人が少しずつ痩せ細っていく様を隣で見る辛さは想像できません。


母に聞いた話では、入院させることもできたそうです。祖母の体力を考えると、その方が楽だったでしょう。


しかし、そうしなかったのは、病院嫌いだった祖父を気遣う祖母の優しさでした。私は適応障害を患うほどに人と関わるのが苦手です。WEBライターとして働く大きな理由の一つでもあるのですが…。


自分自身がこうだからか、1人の相手にそれだけ深く関われる祖母に私は尊敬の念を抱きました。今は無理でも、祖母のように自分以外の誰かをそれだけ尊べる日がくればいいなと思っています。

やってよかったこと What are you glad you did?

多少無理なスケジュールでも何とかして会いに行ったこと、これに尽きると思います。


亡くなる前後から葬式を終えるまで、下記のように動いていました。


職場に無理を行って早退、仕事終わりに新幹線で長野へ。そこから福島まで運転。帰りは翌日仕事に戻れるよう、新幹線を使う。


東京に戻った夜に祖父が亡くなったことを知る。翌日、職場に復帰するも、状況を知った上司が通夜と葬式も出てきなさいとシフトを調整してくれる。


一日だけ出勤して、再び福島へ。通夜と葬式を終えて、福島に残っていた母を車で岐阜まで送る。翌日に新幹線で東京に戻り、次の日には職場に復帰。もちろん体力的には辛かったです。


しかし、行ったり来たりの大移動のおかげで、最後に祖父の生きている姿を目に焼きつけることができました。


残された祖母に寄り添い、諸々の段取りで疲弊した母を無事に家まで送ることができました。


無理をするのが良い、と言いたい訳ではありません。ただ、最期の時は一度だけ。最善を尽くすため、普段は優先してしまう些細なことを後回しにしても良いのではないかと思います。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっと会いに行きたかった、それだけです。


祖父の闘病期間は、コロナ禍に重なります。当時の私は東京在住の上、仕事は不特定多数の人にお会いする接客業でした。


私は大丈夫でしたが、職場で何人も罹患…。体調が気掛かりな祖父に会いに行くのはためらわれました。


しかしながら、コロナ禍が下火になり始めてから亡くなったのは不幸中の幸いでした。


コロナ禍での通夜や葬式は、制限が相当に多かったと聞いています。

私の場合は平時と変わらない形式で祖父を送ることができました。


不幸中の幸いとは言いつつも、コロナ禍じゃなかったら…という思いはどうしてもあります。


何も気にせず会いに行けたのなら、祖父の大好きなお酒ももっと一緒に飲めたのかもしれません。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

通夜や葬式がもう少し緩やかに準備できればいいのに…と思いました。


喪主だった訳ではありませんが、祖父が亡くなってからの数日、悲しみに暮れる間もなくみんなが動いていたように感じます。母も喪主だった祖母も、ひととおり終わった後は随分と疲れていました。


葬儀屋とのやり取りもそばから少し見ただけですが、料金などに関して節操がないな…という印象を受けました。


遺族は心身ともに疲れ、時間もなく、葬儀屋に対して圧倒的に弱い立場になるでしょう。


1つでも多くの葬儀屋が遺族に真の意味で寄り添えるものであってほしいと切に思います。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

これから家族を看取る、大切な人と過ごしてきた中で間違いなく最も苦しい時間になるでしょう。私の体験談を皆様がどんな気持ちで読んでいらっしゃるのかを計り知ることは到底できません。


しかし、その苦しみの大きさはその人を大切に思う気持ちの大きさに比例しているのだと私は思います。


今すぐではなくても、後で誇らしく思える素敵な気持ちのはずです。私の経験から皆様に伝えたいことは2つあります。


1つ目は、自分の気持ちに素直であること。私と家族は、祖父のために一緒に歌を歌いました。


家族もそうだったと思いますが、近づきつつある未来を悲観しながらも、今なにをしてあげられるのかを考えた結果だったのでしょう。


私たちの場合がそうだった、というだけで本当に何でも良いのだと思います。


まだ出掛けられるのなら近所を散歩するのも良いでしょうし、外に出られないならば一緒にいるだけでも良いのでしょう。何をするかは大切な人をいつも通りに思えば自ずと決まると思います。


コロナ禍で私はそれが思うようにできませんでした。自分と同じような思いをした人も少なくないでしょう。まだまだ油断はできません。


しかし、これからの皆様は私たちの時より制約が少ないと思います。会いに行きたい。そばにいてあげたい。それらの思いに素直になってあげてください。


2つ目は、小さな後悔を選ぶこと。


私の体験談を読んでくださっている皆様の中には、最期の時を迎えようとしている家族と実は仲が悪いという方もいらっしゃるのではないでしょうか。


ここまで読んでくださった皆様には察しがつくかもしれませんが、私は父親と疎遠になっています。


最後に会ったのは何年も前で、現在どこに住んでいるのかも知りません。ときどき考えてしまうのは、最期を看取るときのことです。


今まで以上に疎遠になってしまったら、親の最期すら看取れないのではないか、と怖くなるときがあります。


過去にどれだけ喧嘩をしたとしても、自分以外の家族の間に何があったのか知りようがないとしても…家族の最期を看取れないことは必ず大きな後悔になるだろうと思います。


行ってする後悔と行わずにする後悔だと、後者の方が尾を引くと言います。それはきっと、失った機会を取り戻すことができないからです。


大きな後悔より小さな後悔をしましょう。私もその時が来たら、小さな後悔を選びます。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

食いしん坊だったおじいちゃん、天国で好きなものを食べて、好きなものを飲んでいますか?


闘病生活、たいへんだったね。大好きなあんこも大好きなビールも我慢しないといけなくて、辛かったでしょう。なかなか会いにいけなくてごめんね。


孫たちが無事に家に着くのを待ってくれてありがとう。


早くそっちに行かないように、なるべく健康には気を付けるよ。


おじいちゃんより年を重ねてから同じ場所に行けるように頑張るから、少し待っていてね。


天国で会えたら、1回しか注いであげられなかったビールをたくさん注いであげるよ。


一緒に飲もう!