私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
長いようで短かった介護

長いようで短かった介護

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
さき さん (女性)
36歳 会社員 ホームヘルパー 長崎県
看取られた方
おじいちゃん
grandfather
享年 62歳
主な疾患 胃がん
闘病期間 1年 0ヶ月
最期を迎えた場所 自宅

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

私は、22歳の時に実の親以上に愛情を注いでくれた祖父を亡くした。

祖父の家は私の実家から歩いて5分ほどの場所にあり祖母と私と3人で住んでいた。


当時18歳だった私は、大学に通っていたが、勉強についていくことが出来ずに大学を中退した。中退してからはとくにやることもなくやりたいこともなく家でダラダラ過ごしていた。学生時代から真面目に過ごしていた私にとって学校を中退するのは大変つらく、親との関係も悪い私にとって近所の目が気になって外に出ることもできなくなっていた。


そんな矢先に、祖父の胃がんが見つかった。祖父は、数か月前からよくごはんを残すようになっていた。以前は私とお菓子を奪い合うくらい食欲旺盛だったのに段々食欲もなくなってきた。胃の痛みを訴えるようになり病院を受診した。


私の父、つまり祖父の息子は「もともと我が家は胃がん家系だから、俺も将来胃がんかなぁ」などと呑気なことを言っていた。母はこれからのことを考えてかなり不安な表情を迎えていた。祖母はショックでしばらく寝込んでいた。


当時65歳だった祖父は手術という選択肢が出来たので、本人に病状を伝え、手術を受けることになった。術後は2年近く抗がん剤治療をしていた。食事は術前に比べてかなり気を遣うようになり、祖母は毎日献立に頭を悩ませていた。私は、できる限りのことをした。


自宅にはホームヘルパーも来るようになった。私は、アルバイトをしながらホームヘルパーの資格も取得して介護をした。


 術後は、すっかり食欲が減ってきたが、大好きなお饅頭だけはいつも食べていた。糖尿病もあったのでほんとうは甘いものは控えてほしかったが祖母は祖父がおいしそうに食べる姿を見るとついつい、お饅頭を買ってしまうのだといっていた。


祖父はいつも「もういつ死んでもおかしくないから好きなものを食べる」と言って寝る前もよく食べていた。


手術から3年ほど経過したときに、胃がんは再発した。今回は他の臓器にも転移して範囲も広い為、手術は難しく自宅で療養することになった。と言っても見た目はちゃんと立っていつも通り食べているように見えた。


もともと、祖父はあまり弱音を吐くような人ではなく、無口でずっとテレビを見ているような人だったのでいつ何が起きてもおかしくないというようなことを言われてもピンとは来なかった。


しかし、ある日の夜に祖父は急に立てなくなり便器まで這いつくばりながら行くようになった。布団の近くにポータブルトイレを設置しても、祖父は必ずトイレまで行くようになった。そこから、オムツを使用するようになるまでは早かった。


祖母は自分も腰は痛いし足も悪いのに看護婦さんに教えてもらいオムツ交換もしていました。料理があまり好きでないのに、必死に料理を作っていました。


祖父の骨は重くて祖母一人でのオムツ交換はかなりきつく、私と一緒にすることが多かったです。寝たきりになってからは祖父は祖母にだけきつい言葉をかけるようになった。なので、二人はいつも喧嘩していた。


しかし、祖母が祖父の介護を投げ出すことはなく、私と祖母は協力しながら介護をした。祖父の胃がんが再発してから1年半くらいたってから、祖父の様態が急変し病院へ搬送されることになり、祖父はそのまま息を引き取った。

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

私は、変わった子供だったので両親からあまり好かれておらず幼いころから祖父母と暮らしていた。祖父はいつも私だけにこっそりお小遣いをくれました。特別扱いしてくれるような気がして本当にうれしかった。口数は少なかったけど優しかった。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

胃の痛みを訴えだし、胃がんが発覚し手術をした。


その後、2年間は穏やかに過ごしていたが再発し、自宅で介護をする。夜間に自力でトイレに行くことが出来なくなり失禁することが増え、部屋中が尿のにおいで一杯になり、オムツになった。

やってよかったこと What are you glad you did?

介護中にしてよかったと思うことはとにかく祖父が美味しく食べれるような料理をたくさん研究して料理のバリエーションを増やしたことです。


やはり食べることが大好きな祖父にとっては料理のうまさは何よりも大切なのでしょう。たくさん考えました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

オムツにするタイミングが早かったと感じています。もっと、自分でトイレに行けるように介助するべきだったと思っています。オムツにしてから日中もベッドで過ごすことが増え、看護師さんとかには穏やかですが、祖母にはきつく当たるようになりました。ごはんも、嚥下があまりよくなくて細かく刻んだり片栗粉でとろみをつけて提供したので祖父の口には合わずにたびたび文句を言っていました。


それだけでなく、祖母はオムツ交換するときは「痛い。もっと優しくしろ」などと強い口調で言っていました。いちばん心に残っているのは「おれにこんなもん(オムツ)をつけやがって」です。なので、オムツにするのは早かったのでしょう。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

できればひ孫を見せてあげたかった。「このうちは〇〇についでもらいたい」とよく言っていた。もっと、私がしっかりしていたら、いい介護が出来たのかなぁ。いまなら、もっと寄り添えたのにと思うことがあります。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

これから家族を看取る人へ伝えたいことは、介護は一人でするものではないということだ。


祖母は最初は自分一人で祖父の介護をするつもりだったらしい。しかし、祖父が亡くなった後に私に「〇〇ちゃんがいてくれてほんとによかった。おじいちゃんはなにも言わないけど、〇〇ちゃんを一番かわいがっていたとよ」と言ってくれた。


介護中、祖父たちは毎日のようにけんかをしていた。祖母はそのたびに友人や娘たちに愚痴を言っていた。祖父たちは昔ながらの田舎に住んでいたので介護は息子の嫁が面倒を見るものだと言われてきました。


祖父たちは同居はしておらず、徒歩圏内に息子の嫁、つまり私の両親は住んでいたので、介護は祖母がしていた。私は、祖父と祖母と3人で暮らしていたので、祖母7割、私3割の割合で介護をしていたが、夜も眠れなくなった祖父は夜な夜な祖母の名前を呼ぶので睡眠不足に陥ってしまいましたので、夜は交代で祖父と同じ部屋で眠っていた。


しかし、祖父と一緒に眠る当番が私の時も祖母は気になって部屋を覗きにくることもあった。祖母が一生懸命作ったトロミが入っているけど味が落ちないように作った料理をすべて残されることもあり、それを自分で悲しそうに食べている祖母をみて、私は、「もっと手を抜いていいのに、なぜこんなにも介護をしているのか」といつも思っていた。


祖母に「もっとホームヘルパーや訪問看護を使ったらよかたい」といったところ祖母は「おじいちゃんの世話をするのは嫁なら普通のこと」と言っていた。そのあとに「それに、〇〇ちゃんもいるからだいぶ助かる」と言ってくれた。


私は、昔から少し変わっていて両親からはかなり煙たがられていた。子供ながらに自分が両親に嫌われていることが伝わってきた。それを見た祖父と祖母は「〇〇ちゃんは、こっちで暮らさんね」と言ってくれた。それからは、祖母と祖父と3人で暮らしだした。


私は、友達といることが苦痛で一人でいることが好きだし、周りからは人間嫌いと思われていました。しかし、祖母と祖父といるときは、自分がこの世に存在していいんだと思わせてくれました。そんな、祖父がもうすぐでいなくなってしまうかもしれないと思うと涙が出てきそうだった。


祖母はきっと私以上につらいはずだと思い、とにかく明るく振舞った。祖父と祖母はいつも私の冗談を笑ってくれた。人が笑ってくれるのは、ほんとにうれしい。介護は決してつらいものばかりではないので、笑顔を忘れてはいけない。だからこそ、介護する人は孤独の中で介護をしてはいけないと感じました。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

天国のおじいちゃん、私は、おじいちゃんの子孫にふさわしい真面目で人情に厚い人間にはまだなれないけど、おじいちゃんのことを忘れたことはありません。今は、天国でおばあちゃんときっと仲良く過ごしていると思う。おばあちゃんはほんとにおじいちゃんが好きでした。私も大好きです。