私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
~ 家族が語る 最期の物語り ~

~ 家族が語る 最期の物語り ~

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
ユリカ さん (女性)
30歳 会社員 宮崎県
看取られた方
father
享年 67歳
主な疾患 肝臓がん
闘病期間 0年 9ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

私の父はすい臓がんで2022年に2月に亡くなりました。


私が母から父が癌だと知らされたのは2021年の9月でしたが、病気の進行が早く、知らされてから5か月後には終末病院に入院していました。


それまでは実家のベッドでほとんど横になっている状態で母が仕事をしながら看病していました。病状は悪いものの状態は横ばいで、亡くなる前日までは母と私はもう少し持つんじゃないかなどと話していました。


しかし次の日の朝一で病院にいる母から連絡があり、父が危篤状態に入ったと知らされました。急いで病院に行き、個室の部屋に案内されると、変わり果てた父の姿がありました。


鼻に呼吸器をつけられて、目をうつろにし、一点を見つめ、口を開けて苦しそうに息をしていました。そして時折身体に強い痛みを感じたときに、もがき苦しむように身体をねじって、うめき声をあげていました。母が父のまだ少し暖かい手をさすっていました。私も父の腕をさすりました。


母が東京にいる弟とLINE電話をして、父の状況を知らせました。ビデオをつなげて画面越しに危篤状態の父を見た弟は何も言えないでただじっと父を見つめ涙を流していました。


私の妹はその日、産院で長期入院の末のお産で、午前中に無事元気な男の子を産んだのですが、母がその報告を危篤状態の父を看ながら受けました。


県外の弟と出産後の妹は来ることができなかったので、父の最後の看取りは母と長女の私が担いました。午後を過ぎた頃から午前中のように痛みで動くこともなくなり、単に呼吸だけをしている状態になりました。そしてだんだんと呼吸の間隔が長くなり、その日の16時頃、父の呼吸は永遠に止まりました。それが私が人生で初めて人を看取った瞬間でした。


亡くなること自体は残念で悲しいことでした。しかし私には、父が長い苦しみからやっと解き放たれたように見えましたし、不要となった体を魂が脱ぎ捨てたように思えてなりませんでした。そして看病していた母も泣きこそしたものの、肩の荷が下りたように思えました。父が一番きつかったでしょうが、やはりそれを看病する母も精神的にきつそうでした。


父が亡くなってからは夜中まで病院で手続きがあり、父の遺体は葬儀場に運ばれて行きました。全ての手続きを終えて荷物をまとめ、病院を出るとき、お医者様や看護師さんたちが皆暗い中で深くて長いお辞儀をしていました。


その光景が、なぜか今でも目に焼き付いています。本当に父の人生が終わってしまい、長かったような短かったような闘病生活の終わりを表していたからかもしれません。

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

真面目な父でした。物事のうんちくを語るのが好きでした。良く言えば理論的ですが、悪く言えば理屈っぽい人でした。


小学生の頃よく勉強を教えてもらっていたのですが、なぜか小学生目線で説明してくれず、あれこれと説明はしてくれるのですが、言っていることが理解できなくて泣いてしまった記憶があります。色々と説明するのが好きな人でした。


ただ思い起こせば私は父に怒られた記憶がほとんどなく、私が学生時代、実家から離れたときによくテレビ電話してくれたりなどしてくれました。不器用ながらも優しい父だったと思います。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

私が母から父の病気を知らされたのは2021年の9月でした。


父は県外で単身赴任していましたが、病気のために実家の方に帰ってきていました。私もその頃ちょうど東京から長期出張を終えて地元に帰り、久しぶりに父に会いました。かなり瘦せこけて、私が幼い時の記憶の父の姿とは全く変わってしまっており、戸惑った覚えがあります。


最初の頃は父も体調がすぐれない中でも、バイクに乗って近くに出かけたりしていました。まだ自分で動くことができていました。


しかしそのうち外出することがなくなり、母が健康のために散歩に行くこと提案しても出かけず、ベッドに横になっていることが増えました。ただ話すことはできていて、私が時折訪れたときは、近況やとりとめのない話をしたりしました。一人で病院に行けないときは、私が車に乗せて病院に連れて行ったりしました。


新しい年を迎えた2022年の1月には父のいる実家に親戚で集まったのですが、たくさん並べられた食事を少しだけ手にする様子でした。そのあとは皆がいるにぎやかな居間からは離れて一人部屋で過ごしているようでした。


そして2月に入る前には、起き上がることも痛がりました。食事もヨーグルト1口食べることさえも難しそうでした。食べると痛いと言っていました。そして一人でトイレに行くこともできなくなりました。


母一人で看れなくなり2月に入るころ、週末に病院に運ばれました。そして2月13日の夕方には息を引き取りました。本当に進行が早くてあっという間でした。

やってよかったこと What are you glad you did?

もうだめかもしれないという状況になってから、一緒にいる時間を少しでも取れたことです。


もともと県外にいることが多かった私は、タイミングよく地元に帰ってきており、仕事の合間に車の運転ができない母に代わって父の病院の送り迎えをすることができました。


今考えるとあれが父と最後に一緒に過ごせる時間でした。たとえ目的が病院だったとしても、一緒に車に乗ったり、どうでもいい話をしたり、亡くなった今となってはできないことです。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

前述のとおり私は高校卒業後から県外にいることが多く、父とも離れて暮らしていたので、久々にあった時から父とどんなことを話せばいいか、どんなふうに優しく接すればいいか分かりませんでした。


離れている間にいつの間にか父の健康状態は悪くなっていました。そんな父に対して久々に会えたにもかかわらず少しよそよそしかったかなと思います。


だからもっと優しく接してあげられたら良かったなと思います。そして身体が動くうちにどこかに連れて行ってあげたら良かったかなとも思います。また父が食べたいと言っていた地元の名産の饅頭があるのですが、少し遠くまで買いに行かないといけないこともあり、後回しにしていました。


今思えばすぐに買いに行けばよかったかなとも思います。思ったよりも病気の進行が早く、気が付いた時にはもう食べ物を食べられる状態になく、あっという間に終末病院に入ってしまい、その饅頭を食べさせてあげることはできませんでした。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

父と母にはもっと仲良くしてほしかったかなと思います。


父が母を困らせるようなことをたくさんしてきたことは知っていました。父が悪くなってから、母が父を看ないといけなくなったときに、本当にストレスを感じているようでした。


母にとって父の介護は相当大変なものだったと思いいます。ですが、当たり前ですが、子供からしてみれば親には仲良くしてほしいと思います。相手の人生が終わるとき、最後は愛を持って見送ることが私の理想です。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

その方がやりたいと言ったこと、できる限り早めに叶えてあげられるなら、叶えてあげてほしいと思います。


病状にもよると思いますが、叶えてあげられるのにいつの間にか本人がそれを受取れる状態じゃなくなってしまいます。だからちょっと手間でも本人が希望したら、早く実現してあげることで、本人が喜ぶだけではなく、看取る方も後悔なく見送ることができると思います。