亡くなってしまえば後悔しかない。
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
最期は、7年間入所していた老人ホームで、娘2人に見守られながら息を引き取りました。
コロナ禍で、なかなか面会ができなくて、もう、危ないと分かってやっと会う事が出来ました。部屋に行った時には、意識朦朧で息を引き取る寸前でしたが、いっぱい呼びかけて身体を摩ったり、話しかけたりしたら意識が戻って来ました。一生懸命に話しかけて、頑張って生きて欲しいと思いました。
その間に、水が飲みたいと…かすかに言葉にしました。ガーゼに水を湿らせて飲ませてあげました。少量の水分を一生懸命に啜っている父親を見て、かわいそうでたまりませんでした。少しするとまた昏睡状態に陥りました。
私も姉も泣きながら父に話しかけました。まだ逝かないで。もう少し一緒にいたいよ。と、そうすると、また、目を覚ましての繰り返しでした。ずっと手を握っていました。最後の力を振り絞るかの様に、力強く握り返して来ました。その時が最期の力だったんだと思いました。
3時間くらいが経ち、看護師さんがエンジェルセットを準備し始めました。それを見た時、あー、これで本当に最期なんだ…と感じたことを覚えています。
覚悟はしていたけど、悲しい時間がやって来ました。肩で呼吸をし始めて、口の中に泡が出て来ました。最期の合図でした。ちゃんと最期を見届けようと、最期の最後まで目に焼き付けました。肩呼吸が止まりました。一気に涙が込み上げて来て、涙が溢れ出て子供の様に泣きじゃくりました。
ご本人はどんな方でしたか
What kind of person was he
父は、物凄く義理堅く、誠実で、誰よりも優しい人でした。子供の為なら何でもしてくれました。自分が苦しくても、子供に苦労させない様にするひとでした。頭が良く、字は達筆で本当に自慢の父でした。この世の中で1番尊敬できる人でした。涙もろく、他人の為に涙を流す事が多々あり、その姿をたくさん見て来ました。本当に優しい人でした。
病気はどんな経過を辿りましたか
How did the disease progress
病気は、沢山ありました。心臓部も悪かったし、前立腺がんもありました。誤嚥肺炎で亡くなる3年前から入退院を何度も繰り返していました。その間、先生からは、いつ何が起きてもおかしくない状態です。と、覚悟しておく様に言われました。退院後は、腰骨の骨折や、大腿骨骨折など次々と怪我をして寝たきりになってしまいました。それから一年後、老衰になり最期は肺炎で亡くなりました。
やってよかったこと
What are you glad you did?
コロナ禍で面会が出来ない時期だったので、直接会う事は出来なかったが、毎週父の好きなオレンジジュースをいっぱい買って届けました。食べたいものがあれば買って届けました。リンゴや食パン、唐揚げが大好きで、小さく一口大に切って届けました。窓から食べる様子が見れるので見ていたら、美味しい、美味しいと喜んでむしゃむしゃと食べていたのが印象的でした。食べたいものを食べさせられて良かったです。
もっとこうすればよかった
Things I'm glad I did
できる事なら、コロナ禍で無かったら、実際に会って今までしてきたことをしてあげたかったです。
爪切りや、耳掃除、髪の毛の散髪など身の上の世話。沢山父の体に触っておきたかったです。
そして何よりもっともっと沢山の会話をしておきたかった。もっと父の若い時の話を聞いておきたかったです。
そして、父の要望を聞いて叶えてあげたかった…
もっとこうだったらいいのに
I wish it was more like this
父は、亡くなる2年くらい前から施設に不満があり、「出たい。」「他の所に移りたい。」と、言っていました。ですが、なかなか希望通りの施設が無く、施設を移す事が出来ませんでした。最期のあたりは、居心地が悪かっただろうな…と思うと可哀想でたまりません。もっと良い施設にいれてあげたかったと、悔いています。父に申し訳なく思っています。
この先 家族を看取る方へ伝えたい事
What I would like to convey to those who will be caring for their families
とにかく後悔のない様に、何でも力の限り尽くしてあげる事です。亡くなってしまえば、後悔しか残りません。「あの時ああしてあげれば良かった」。「こうしてあげれば良かった。」本当に後悔のない様に、全力で看病してあげて欲しいと思います。少しのわがままも、嫌がらないで聞いて欲しいです。自分が疲れていても、大事な人に時間を惜しげもなく使って欲しいです。




