私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
行けなかった映画のチケット

行けなかった映画のチケット

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
鷲本(ワシモト) さん (女性)
32歳 専業主婦 青森県
看取られた方
father
享年 59歳
主な疾患 胃がん
闘病期間 0年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

父が余命宣告を受けたのは亡くなる2週間前でした。


父は以前、胃癌を患っており、治療は一度成功しました。しかし、2年ほど経ってから腹痛を訴えるようになりました。半年ほど経過していよいよ耐えきれなくなった父は病院へ。


検査結果はピロリ菌と診断され、しばらくは薬での治療を受けていました。ですが、症状は一向に収まらず、むしろ悪化し続けました。泣く泣く2度目の検査を行ったところ、癌再発と通告されました。


発見された時には既にステージ4まで進行しており、残り1ヶ月生きられるかどうかという事でした。


けれど、この時の父は確かに腹痛を訴えているとはいえ、まだまだ自分で車を運転できるぐらい元気で、到底命の危機が迫っているようには見えませんでした。「きっと今回も平気だろう。」と、どこか安堵していました。


父に余命の事は伝えず、闘病生活から1週間ほど経った頃、見舞いに行くとそこには痩せ細った父がいました。どうやら胃がもう食べ物を受け付けられる状態ではなく、点滴で栄養摂取を与儀なくさせられた状態でした。


少し胸に一抹の不安がよぎりましたが、私の好きな作品の映画のチケットを「病院の受付けで配っているの見つけた」と言って、笑顔で「治ったら一緒に行こう」と見せてくれた父の笑顔を見て「大丈夫。父は絶対に治る」と、自分に言い聞かせました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。


それから数日後の夜、「今夜が峠だ」と連絡が入りました。半信半疑のまま、母と弟と3人で知り合いに車を頼み、病院へ向かいました。暗い病棟の中を足早に駆け、父の病室に向かいます。


この時の私は「まだ父は死ぬ筈はない」「きっと治るだろう」「だって今までだってなんとかなってきたのだから」———…必死にそう思おうとしていました。けれど、病室に入って目にした父は、数日前の姿とはかけ離れていました。


呼吸器をつけて苦しそうにしながら生死を彷徨う姿。入院してからというもの食事を摂る事が出来ず、頬はこけ、まるで棒のようにやせ細った真っ白な四肢になってしまった体。


現役時代、肌を浅黒くしながら外で立派に働いていた父の面影は残ってはいませんでした。病室に仄かに漂う甘い異臭に軽くめまいを覚えながらその光景をただひたすらに見守り続けました。


病室の中までついてきていた知り合いが重い雰囲気を変えようと軽く持参していた食べ物を配ろうとしました。その時、今までベッドに臥していた父が突如起き上がり、目を見開いてそれに手を伸ばそうとしていました。もう限界だったのでしょう。食べずにいる事がどれほどつらい事なのか、父の姿を見て痛いほどに伝わってきました。


生きたい、生きたい———…声は聞こえなくとも強く願う声が聞こえてきたように感じ、「どうにか生きてほしい」それだけを願いました。ですが、現実は酷く残酷でした。


父は静かに息を引き取りました。その瞬間、私は自分でも情けなくなるほど涙が止まらなくなりました。まるでドラマのワンシーンのように人前なのにも関わらず「まだ行かないで」と叫び続けました。


いつもは気丈な母も、反抗期でずっと父と気まずい状態だった弟も大粒の涙をぼろぼろと溢して動かなくなった父を見つめていました。それが父との最期のやりとりでした。

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

父は極度のヘビースモーカーなのはたまに瑕でしたが、いつも笑顔でめったに怒らない物静かな人でした。


力仕事が得意で、建設現場の仕事をする傍ら、祖母の畑仕事を手伝いながら一人で山に言って見た事のない柄のカエルを捕まえてきたりと、病気とは無縁の非常にアクティブな人でした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

過去に胃癌を患っており、一度治療に成功していたのですが、2年ほどの間に再発しました。当初はピロリ菌という感染病と診断されていたのですが、この病気は、放置しておくと胃癌になる可能性が高く、その結果、父は再発してしまったようでした。


入院時は口から飲む薬を投与出来れば回復の見込みはあるだろうと診断されていたのですが、思ったより病気の進行が早く、入院から3日目にして薬以外の食べ物や飲み物が一切受け付けなくなってしまっていました。


最後は点滴から栄養を摂取しながら薬を投与されている状態になっていました。

やってよかったこと What are you glad you did?

全てにおいて手遅れだったので、やっておいてよかった事というのは難しいのですが、亡くなる当日まであまり気負いすぎないようにいたのは父を含めて精神的によかったかもしれません。


暗い気持ちでいると本人にも悟られてしまうため、楽観的に構えていた方が気持ち的には非常に楽でした。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

やはりもっと早めに病気に気付いてあげるべきだったと思っています。一度治療に成功したからといって、終わりではない、再発のリスクがあるとわかっていた病気だったのに、本人だけでなく周りが気にしてあげられなかったのも原因の一つだと思っています。


再発防止のためにも生活習慣を整えて、時には注意してあげる事も大事ですし、体が辛い時はすぐに病院を勧める事も大切だと感じました。それと同時に医師に正確に症状を伝える事も大事だと思います。変に遠慮したり、なんとなくで症状を伝えるといまいちどんな状態か伝わりません。


自分が今どういった状態でどこが辛いのかはっきり伝える事が早期発見の鍵になると思います。又、地方在住で車を所持していないなど、交通の手段がない方はなるべく交通手段を整えておいた方がいいと思います。


今すぐに病院に駆け付けなければならないといった状況に陥った時に、車がなければ夜間に対応する事が出来ません。日中でも都合の良い時間に移動するのは困難だと思います。誰か身の回りの知り合いでもいいので声をかけられる人を見つけておいた方がいいです。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

私は地方在住なのですが、地域によっては医療が整っていない病院が多く、父の入院した病院もそこそこ大きな病院ではあるのですが、そこまで設備が整っているという訳ではありませんでした。県内では評判のいい大学病院もあったのですが、バスで片道3時間という場所にあり、交通手段がない人には通院するには厳しい場所でした。


現在コロナ禍のお陰で医療の現場がさらに厳しくあるのは承知ですが、もう少し満遍なく設備が充実した病院が増える事を願っています。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

これから家族を看取らなければいけない方、お辛いと思います。ですが、限りある時間をどうか後悔がないように過ごしてほしい、これに尽きます。


思えば私は不出来な子どもで、当時二十歳そこそこだったとはいえ、自由に生きていました。それは学生だったとはいえ弟も同様。弟が中学にあがってからはほぼ父と口をきく事がなく、私自身もぼんやりとどうにかしなければなと思いつつ、家族みんながバラバラでした。


大した親孝行をする事もなく、家族に迷惑ばかりかけていました。会話も他の家族に比べれば少ない方だったと思います。そんな中でも、父が私のためにとっておいてくれていたチケットは私の本当に大好きな作品でした。


面と向かってこれが好きだと話した事など一度もなかったのに。小さい頃はいつも父にほしいものを頼んでもてんで的外れなものばかり買ってきて何度怒ったかわからなかったなのに。あの時ばかりはちゃんとわかってくれていた。


その事実に、散々邪険にしていた父の優しさが痛いほど心に沁みました。「もっと話せばよかったな」、「もっとこうしてあげればよかったな」———…


父が亡くなってもう10年以上も経つのにそんな後悔が尽きません。そんな私も今では結婚して一児の母になりました。


自分がいざ子育てする側に立った時、毎日が悪戦苦闘です。まだ話せない子どもの気持ちを汲み取る、とても難しいですが、きっと話せるようになっても難しいだろうし、なんなら今の倍、子育てが難しくなると思います。


ですが、あの時感じた後悔を二度と繰り返さない為に今は家族とのコミュニケーションを大事にし、一日一日を大切に生きています。


これから家族を看取らなければいけないという方、是非後悔のないように家族との繋がりを最後まで大切にして下さい。叶えられる事は出来るだけ叶えて下さい。自分の心に正直に、悔いのない日々を過ごして下さいね。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

お父さん、いつもありがとう。口下手で不器用でマイペースなお父さんにイライラしていた時もあったけど、物静かでいつも笑顔なところに救われていた部分もありました。


力仕事が得意で、雨の日も風の日も外で体を張って家族を支えていてくれた事、こうして大人になって働く辛さを知って初めてお父さんの凄さに気付きました。


車が好きで、色んなところに連れて行ってくれた事も忘れません。お父さんが運転する車の助手席から見る景色が好きでした。


今、私も大人になって結婚をして子どもを産みました。その全てを見せてあげられなかったのが悔しいです。生きている時には見せられませんでしたが、どうか向こうで見守っていてくれてたら嬉しいです。