私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
頑張り屋さんの祖父と最後の時間

頑張り屋さんの祖父と最後の時間

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
まみ さん (女性)
26歳 会社員(完全在宅ワーク) 三重県
看取られた方
祖父
grandfather
享年 80歳
主な疾患 脳梗塞
闘病期間 1年 0ヶ月
最期を迎えた場所 自宅

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

脳梗塞を発症し約4週間入院、その後自宅に帰って約1週間経ったころに息を引き取りました。


病気の始まりは突然で、普段通り過ごしていたとある夕方、言葉を発することと、体の右半分を動かすことができなくなり緊急搬送となりました。

いきなり倒れた、転倒した、などではなく、始めは本当に「なんとなくおかしい」程度の症状でした。


病院に運ばれてから数時間は、麻痺した右半身を引きずりながらも頑張って歩こうとしていましたが、その後様態が急変。


数日間、様態は安定せずいつ息を引き取ってもおかしくないような状態が続きました。

そんな日々を超えたころ、詳しい検査結果が分かり脳梗塞と判明。


様態は安定したのですが、嚥下障害に陥ってしまい何も食べることができない、お水も飲むことができない状態となってしまいました。

右半身の麻痺も残っており、言葉も発することができません。

幸い文字は書くことができたのですが、本人が思っているようには書くことができず、書いては消して、そんな仕草を繰り返していました。


延命治療を行うか、自然な形でこのまま看取る体制に入っていくか、私たちは決断をしなくてはならず、何度も家族で話し合いました。

決断に大きな悩みを感じたのは、私たち家族が本人と「最期」についてのお話をしていなかったからだと思います。


決断をしなくてはいけないとき、本人と意思疎通ができなかったので、祖父が「どんな形を望むのか」を私たちは本当に理解することができませんでした。


元気なうちに少しくらいは聞いておけばよかったと、今も少し後悔しています。

結果的に本人の性格を考えて、私たちは自然な形でこのまま看取ることを選びました。


コロナ禍の対策もあり、面会時間は本当に短いものでしたが最期の時間を大切にしたいと思い毎日病院に通いました。


毎日の短い時間、ジェスチャーでコミュニケーションをとる中で、ただ一つ「自宅に帰る」ことに対しては本人からすごく大きな意思を感じました。

「家に帰りたい?」と何度聞いても大きく頷き、その為に車いすに頑張って乗ってみたりと、強い意志を見せてくれました。


そこから、私たちはすぐに家に帰すための手配や準備を始めました。

退院日の調整、訪問医療の手配、介護ベッドの搬入、ありがたいことにすべてスムーズに決まっていき、脳梗塞発症から約1ヵ月後には自宅に戻ることができました。


自宅では、在宅ワークをしている私と、パートタイムで働く母が中心となり、お世話をすることになりました。

とはいえ、私たち家族は介護経験が無く、毎日初めてのことだらけでした。


正直に言うと、自宅に連れて帰ろうと決断したときは不安もいっぱいでした。

ですが、入院していた病院のサポート、訪問で診てくださるお医師様や訪問看護さんの支えがあって、最後までそばで見守ることができました。


自宅で過ごした期間は約1週間でした。

その間、頑張って車いすに乗って、お見舞いに来てくれた人に元気な姿を見せたり、自宅の一部屋一部屋を回って何かを思い出すかのようにじっと眺めていました。

少しずつ、様態が悪くなっていき最期の瞬間は家族に囲まれて息を引き取りました。


寂しがり屋だけど、一人で頑張ることが多かった人生。最後は家族でそばに居ることができて、結果的に本人にとって幸せな形での看取りになったと思います。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

いつも家族を暖かく見守ってくれる存在でした。


若いころは本当に仕事熱心だったようで、責任感がとても強い性格です。


「自分よりも周りの人が幸せで心地よければそれでいい、俺はみんなの幸せを見守りたいんだ」と、何気なく言っていたこの言葉が忘れられません。

一人で抱え込み、頑張りすぎてしまうことも多かったと思います。


最期まで身だしなみに気を使い、お見舞いに来てくれた皆に頑張って元気な姿を見せようとする姿は、本人の「皆に元気な姿を見せて安心させたい」という思いの表れだったと感じます。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

普段通り過ごしていたある日の夕方、突然のことでした。


右半身の麻痺と言葉を発することができなくなり緊急搬送となりました。

その日の昼間までは元気に食事に出かけ、ドライブも楽しんでいたので私たちは驚きを隠せませんでした。


倒れたり、転倒してしまう様子ではなく、初めは「なにか普段と少し違う?」と思う程度でした。

言葉を発することができないのが大きなきっかけとなり救急車を呼びましたが、もし普段通り話せていたら「明日病院へ行けばいいか」で済ませていたかもしれません。


病院に運ばれてから数時間は、頑張って歩こうともしていましたがその後様態が急変。

数日間は原因も分からず様態も悪く、不安な日々を過ごしました。

その後詳しい検査結果が出て、脳梗塞だということがわかりました。


様態は安定しましたが、嚥下障害があり食べる事と飲む事ができなくなりました。

麻痺も残っており、言葉を発することもできません。


延命治療を行う選択もありましたが、本人の性格も考え自然に看取る方針を選びました。


本人の「自宅に帰りたい」という強い意志もあり、脳梗塞発症から約1ヵ月後に退院。

点滴のみで過ごしていたので徐々に体力は低下し、寝たきりの状態になっていきました。

自宅で約1週間過ごした後、そっと息を引き取りました。

やってよかったこと What are you glad you did?

自宅で看取る決断をしたことです。


本人の希望で、家に帰りたいという思いが強くありました。

話せないながらも、「帰りたい」という意思はしっかりと見せてくれていました。

早く家に帰してあげたいと思う反面、私たち家族は全員介護経験が無く、不安も沢山ありました。


初めてのことの連続ではありましたが、周りの方のサポートもあり、あの頃を振り返ってみても家に帰す決断をして本当に良かったと思っています。


本人が自宅に帰ってからは「毎日そばに居る事」が何よりも良かったことだと思います。


シンプルなことですが、本人が一番求めていた事でした。


寂しさや最期を迎える事への恐れ、色々なことを感じていたと思います。

寂しがり屋だけど、元気な頃は一人でその気持ちを抱え込んでいたようです。


最期は「そばに居てほしい」という思いを私たちに身振り手振りで伝えてくれました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

エンディングノートを書いてもらったり、「最期はどうしたいのか?」というお話を意思疎通がしっかりと取れるうちにしておけばよかったと後悔しています。


最期に近づくに連れて、色々なことで決断が必要になっていきます。


そんな時、本人は何を望むのだろう、と考えることが多々ありました。

延命治療を行うのか、このまま自然に看取るのかという決断をするときも、本人がどっちを求めているのか分からない。という状況になり家族で何度も話し合いました。


そんな状況になった時、エンディングノートに書いてもらったことを参考にしたり、これまでに話した内容を参考にできれば、もっと「本人の望む形」を作れたのかな?と考えることがありました。


また、介護などが必要になりそう、、と分かった瞬間から、介護知識や役立つ情報を少しでも学んでおけばよかったと思っています。

少しでも学んでおけば、病院での指導や、訪問看護師さんのアドバイスをいただいたときにもっとスムーズに理解が出来たのかなと後悔しています。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

検査の結果や病名を知るまでの時間がもっと短かったらいいのに、と思うことがありました。


脳梗塞と分かるまで約4日間の時間がありました。


その間も本人の様態は悪く、いつ息を引き取ってもおかしくないという状態の日もありました。

病名などはとても繊細な話題だと思いますし、難しいとは思います。


ですが、少しでも早く結果を知ることができたら「何も分からない不安な日々」が短くなり、もっと早く強い覚悟を持って本人と接することができたり、今後のことを考えることができたと思います。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

悲しい気持ちや寂しい気持ちと同時に色々と決断することも多く、大変な状況かと思います。


私たちは、本人が建てた大切な自宅で最期を迎えることを選びました。

家族全員、介護経験が無く自宅で看取るのはとても勇気のいる事でした。


ですが、入院していた病院にて自宅で看取るために必要な知識や介護の仕方などを細かく指導していただけたので、知識がほとんど0だった私でも介護をすることができました。


実際に自宅に帰ってからは、訪問で対応してくださるお医者さまや看護師さんの支えもあり安心して最期まで付き添うことができました。

看護師さんは24時間、いつでも対応をしてくださったので、深夜に病状が悪化したり、気になることがあってもすぐに相談に乗って、駆け付けてくださいました。


不安な気持ちは溜め込まず、看護師さんやサポートしてくださる方に伝えることで私自身も肩の力を入れすぎず、本人に付き添うことができたと思います。


もし、ご本人さんの意識がはっきりとされていて、お話しできる余裕があるようでしたら「どんな最期を迎えたいのか」エンディングノートなども参考にお話しをしても良いかもしれません。

とても重く難しい内容ではあるので、私たちは避けて通ってしまいました。


でも、勇気を出して本人が元気なうちに聞けていたら、言葉を発することができなくなった本人の気持ちをもっと細かく理解することができたのかな、と後悔しています。


最期に、あなたとご本人さんにとって幸せな最期となりますように願っています。

悲しい気持ちや寂しい気持ちと同時に色々と決断することも多く、大変な状況かと思います。


私たちは、本人が建てた大切な自宅で最期を迎えることを選びました。

家族全員、介護経験が無く自宅で看取るのはとても勇気のいる事でした。


ですが、入院していた病院にて自宅で看取るために必要な知識や介護の仕方などを細かく指導していただけたので、知識がほとんど0だった私でも介護をすることができました。


実際に自宅に帰ってからは、訪問で対応してくださるお医者さまや看護師さんの支えもあり安心して最期まで付き添うことができました。

看護師さんは24時間、いつでも対応をしてくださったので、深夜に病状が悪化したり、気になることがあってもすぐに相談に乗って、駆け付けてくださいました。


不安な気持ちは溜め込まず、看護師さんやサポートしてくださる方に伝えることで私自身も肩の力を入れすぎず、本人に付き添うことができたと思います。


もし、ご本人さんの意識がはっきりとされていて、お話しできる余裕があるようでしたら「どんな最期を迎えたいのか」エンディングノートなども参考にお話しをしても良いかもしれません。

とても重く難しい内容ではあるので、私たちは避けて通ってしまいました。


でも、勇気を出して本人が元気なうちに聞けていたら、言葉を発することができなくなった本人の気持ちをもっと細かく理解することができたのかな、と後悔しています。


最期に、あなたとご本人さんにとって幸せな最期となりますように願っています。