私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
大好きなおばあちゃんとの大切な時間

大好きなおばあちゃんとの大切な時間

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
ちよ さん (女性)
39歳 パート 神奈川県
看取られた方
祖母
grandmother
享年 90歳
主な疾患 脳梗塞
闘病期間 30年 0ヶ月
最期を迎えた場所 介護施設

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

父方の祖母は90歳で亡くなりました。


私はおばあちゃん子で、孫の私をとても可愛がってくれていました。60代で脳梗塞を発症、左半身付随となった祖母はリハビリを頑張りびっこをひきながらも一人で歩いて普通に生活出来るまでになっていました。でも2回目の脳梗塞になってしまい歩行が困難になり車椅子生活になりました。そんな中、祖父も膝を悪くしてとうとう二人で生活するには難しくなってしまいました。


祖母が80歳を過ぎた頃、マンションの4階から1階に引っ越し、一緒に住むことになりました。祖父は別の親戚の家へ行くことになり、離れ離れになりました。あんなに仲が悪く見えた二人ですが、寂しさからずっと泣いていたそうです。それを聞くと胸が苦しくなりました。


その頃私は家を出ていたのと仕事がとても忙しく、近い距離にいましたが実家にはなかなか帰っていませんでした。たまに帰ると、ベッドに横たわっている祖母が頑張って起き上がってくれておしゃべりな私の話にニコニコしながら耳を傾けてくれました。大好きなひんやりした手をさすりながら毎回おしゃべりしていました。


それから私は結婚し、式をあげる時は祖母に来てもらうためにバリアフリーの場所を探しました。当日は車椅子で来てくれてずうっと泣いていた祖母。私が子供を産んだ時は、転んで骨折してしまい施設に入所しました。


共働きの母が休みの日に必ず行くので、たまに付いていってはひ孫を見せに行きました。「かわえ~な~」と穏やかな表情で撫でたり話しかけてみたりしてくれて、何度も会いに行きました。私が二人目を出産した頃、風邪をこじらせては入院を繰り返すようになっていました。


育児でなかなか会いに行けず、行こうと思っていた矢先に、「施設にみんな集まって」と母から連絡がきました。子供達二人を連れて施設へ行くと痩せて小さくなった祖母がゆっくり呼吸をして寝ていました。3歳の息子はその姿にびっくりしてなかなか近づけず。でも、ひーばーばだ、というのは分かっていて。手をつなぐ事ができました。


始めて下の生後3ヶ月の娘を連れてきたので「おばーちゃん、なかなか来れなくてごめんね。ひ孫産まれたよ、女の子だよー!おてて触ってね!」と手を握らせてみました。すると、びっくり!!びくともしなかった祖母が、一生懸命目を開けて、眼球を動かしてひ孫を見ようと頑張ってくれました!嬉しくて泣いてしまいました。結構長い時間、目を開けてじーっと見ようとしてくれていました。


夜遅くなり、父を残して一旦帰ることに。きっと朝には…。明け方、父からLINEが来ました。ゆっくりと、何度か息を静かに吐き、息を引き取ったそうです。


祖母は仏教の宗派の関係で斎場は決まっていました。私は良く分からなかったのですが、両親が大変そうにしていました。でもお通夜で、棺桶の中にいる穏やかに眠る祖母に最後のおしゃべりをして、お花を添えて、次の日に火葬場でお葬式をしました。息子と二人でお骨を壺に入れ、最後のお別れをしました。


最後は苦しまずに静かに亡くなっていった祖母。父も、寂しそうな、ホッとしたような、なんともいえない気持ちだったようです。そして、うちの息子ですが、3歳で人が亡くなる場面を体感してから、1年経ったころでも良くお葬式の話をしていました。


ある日、急に泣き出したので「どうしたの?」と聞くと「僕も死ぬの?怖いよ」としくしく。死という未知の世界に恐怖を抱いていました。大丈夫よ、と抱きしめることしか出来ませんでしたが、3歳の子供には受け止めきれない出来事なのだなと、考えさせられました。


今は実家に帰るたびに、仏壇の前で写真を見ながら話しかけるのが私のおきまりです。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

祖母は父曰く、鬼のように怖かった、らしいです。ですが、孫の私にとってはとっても優しく、手先が器用でいつも編み物をしてはお人形たちに着せていました。それを会いに行くたびに横で眺めるのが癒やしだった気がします。


津軽と飛騨の方言が混ざり、聞き取れないことは多かったのですがそれもまた聞いてるのも好きでした。わたしのおしゃべりをニコニコして聞いてくれて、ほぉー、そーかそーか!と笑ってくれた顔が今でもはっきり思い出せます。


小学生のころは文通をしていました。日常にあった出来事をお互い書いたり絵を書いたり。病気をしてからも文通は少しの間続きました。左利きの祖母は左半身麻痺になったので右手で頑張って書いてくれていました。


時代背景もあるとは思いますが、孫の私から見たらリハビリも凄く頑張ってお医者さんに褒められていたので、とても辛抱強く頑張り屋さんな大好きなおばあちゃんです。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

始めに脳梗塞で倒れたのが60代でした。左半身不随になり、ごはんも味が分からず、食べることが好きな祖母はかなり落ち込んでいました。喋るのも上手くいかず、もどかしかったと思います。


編み物が好きだったので使えなくなった左利きの手を、リハビリでなんとか上げ下げしたり、少し握ったり出来るまで回復しました。引きずりながらも両足で歩けるようになり、少し聞き取りにくいですが、ちゃんと会話もできるようになりました。そこから10年近くは何もなく過ごしていました。


その後70代の時、2度目の脳梗塞になりました。この時から歩けなくなり、車椅子生活になりました。そこから少しずつ体力が低下していき、食事も少なくなり。両親と一緒に暮らす頃にはベッドでほとんど過ごしていました。


両親は共働きなので日中誰も居ない中、トイレに行こうとして転んでしまい、足を骨折してしまいました。それを期に、介護施設に入所しました。


最後は風邪からの、熱がずっと下がらずご飯も殆ど食べられなくなり、点滴に頼ることが多くなりました。肺に水が溜まってしまい入退院を繰り返しましたが、最後は老衰という形で亡くなりました。

やってよかったこと What are you glad you did?

祖母と祖父が離れ離れに暮らすようになってから数年後。本人も遠出をするのは辛そうなのであまりお出かけしませんでしたが、1度祖父に会いに両親が岐阜まで連れて行っていました。その時はもう車椅子でした。<


夫婦でお互い照れて会話はしなかったらしいですが、最後に分かれる際には祖母は涙を流していたそうです。もともとすぐ泣いちゃうかわいい祖母です。


その数年後、祖父が先に他界しました。老衰でした。そのことは、祖母には伝えるのはよそう、と家族で決めました。わざわざ悲しませることはないなって。でも、あの時会いに行く事ができて良かったなと思います。祖母も、絶対会いたかったと思うので。


あとは家族全員で看取れたことです。

これは残された私達が悔いにならず、ちゃんとお別れが出来たので本当に良かったと思っています。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

まだ自分が学生や社会人なりたての時期でなかなか会いに行く時間を作れなかったことを今でも後悔しています。居なくなってから気づくものですね。


祖母は聞き上手でした。今思うと、大正生まれの時代背景や生活、黒部ダム工事に出稼ぎに行った話など!色んな事を聞いておくべきだった!と思いました。もしかしたら辛いことのほうが多かったかもしれないので話してくれなかったかもしれませんが、質問すらしたことがなかったです。先代の人から学ぶことは沢山あったと思います。


介護に関しては、母に全員任せっきりでした。祖母も嫁にお世話になるのは嫌だったはず。


もともと、二人は口にはせずとも気は合わなかったと思います。母も、トイレのお世話など、最後の方は大変だったと思います。お互いストレスだったはず。


もう少し、家族全員で協力し合って看てあげていたら良かったかな、と少し後悔しています。


ヘルパーさんが、とても良い方だったので、祖母もデイサービスの時は楽しそうにしていたのでそれが唯一の救いです。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

祖母は身体に麻痺はありましたがなんとか歩いてトイレに行ったり、内蔵も元気だったので長生きできました。でも、母が良くぼやいていました。「仕事もしているので留守の時が怖い。倒れたりでもしたら。」案の定、転んで骨折する結果に。なかなか施設を探しても入れるところは費用が高く、リスクを背負っての介護となることが世間一般的にも多いと思います。


私が直接介護したり施設を探したりしたわけではないのですが、入れる施設が決まったときの母のホッとした顔を見たら、母が疲れ果ててしまう前で良かったなと心から思いました。なので、老老介護問題の解決策や、もっと介護施設入所の条件を見直したり、介護士の働く環境を良くしたりと山積みの問題を解決していってほしいです。


ニュースで、介護疲れで悲しい結末を辿ってしまった話を聞く度、悲しくなります。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

私の家族がまずはじめに取り組んだことは、葬儀場と形式をどうするか、です。どんなものにするかは各家庭で違うと思うので直前でばたばたしたり、看取るときにいらない心配をするよりは、ある程度決めておいて最後の看取りのときは焦ることなく大切な人との時間を過ごしてほしいと思います。


そして、亡くなる本人が呼んでほしい人、親戚に早めに連絡しておくこと。特に遠方の親戚は早めに伝えておかないと亡くなってしまってからでは遅いし、何で知らせてくれなかったのか!というトラブルにもならずにすみます。


孫の立場から思ったのが、昔はお世話になった親戚も自分が大きくなると会う機会が減り、お葬式で会うのが最後の機会になる方が居ると思いました。もしかしたらお葬式も来られないかもしれません。なので、亡くなる前にお会いしてゆっくり話す機会があったほうがみんなの心の整理がつくのでは、と思います。


とにかく、生前は沢山お互い悔いのないように時間を作って会いに行ったり、おしゃべりしたりして欲しいと思います。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

大好きなおばあちゃん。


どんなときでも味方でいてくれて、話を聞いてくれて、沢山の愛情をありがとう。


一緒に折り紙を折ったこと、商店街に散歩に行って塗り絵を買ってくれたこと、夏休み冬休みの別れ際いつも泣いてくれたこと、全てが尊くて素敵な思い出ばかりです。


ひ孫も元気に丈夫に育っているよ!頑張ってママをしてるよ!


小学校のときにしてた文通にいつも「お手紙ありがとう」と書いてくれてありがとう!その文字にいつも癒やされていたよ!


おばあちゃんとの思い出は大切だから今でも岐阜県高山市には旅行がてらあの家の前を通って思い出に浸って…。


裏の公園迄続く獣道にはいつも送ってくれるドクダミの花が沢山咲いていたよ。


沢山思い出をありがとう。私もそんなおばあちゃんになれたらいいなと思っています。


空から見守っていてね、ありがとう。


孫より。