Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
大切な方々へ

大切な方々へ

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
とにー さん (女性)
30歳 サービス業 熊本県
看取られた方
father
享年 52歳
主な疾患 肺がん
闘病期間 2年 6ヶ月
最期を迎えた場所 病院併設の緩和ケア

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

父の最期は自宅に帰る事は叶わず緩和ケアでした。


ある日突然その時がやってきました。


副作用が原因なのか汗をたくさんかくようになった父は『着替えたい』と言ってきました。普段いつもしていた事なのでいつも通りに着替えを手伝いしばらくたった時の事。容体が急変しました。意識もなくなり、話すらできない状態になりました。妹の学校もあったので母だけを残し、妹を連れて自宅に帰っていた私のスマホに母から電話がかかってきました。『そろそろ危ないかもしれないから、みんなで来なさい。』と...。


急いで父の元へ向かいました。妹から順番に声をかけていき、私の順番に。


顔を見せるだけで精一杯。声が出ませんでした。でも父には伝わっていたと思います。


私が顔を見せて少し経った後に息を引き取りました。


きっと私たちが来るまで頑張ってくれたんだろうなと思います。

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

父は誰からも好かれる人でした。知り合いも多く、出かけた場所では必ず一人は知り合いに出会うくらいです。私たち家族、親族、友人、みんなから信頼されていた自慢の父でした。あまり怒る事がなく、常に相談にのってくれ『自分がされて嫌な事は相手も嫌な事だと思いなさい』と相手の立場に立って物事を考える人でした。


私はそんな父が大好きでした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

最初は放射線治療をメインに通院をしていました。自宅近くには専門の病院がなかったため、1時間半から2時間程かかる病院まで送り迎えをしていました。しかし、効果がほとんどなく体調が悪くなっては入退院をくりかえしました。


最終的には酸素ボンベをつけないと呼吸が苦しくなる所まで悪化しました。歩くのも呼吸が苦しくなるということで車イス生活が始まりました。ここからは介護士の私の仕事。そこまでガッツリではありませんが介助生活が始まります。


治療が原因なのか痩せていくにつれてずっと座りっぱなしもきつかったのでしょう。クッションなどが手放せなくもなりました。床ずれになるといけないので寝る向きを変えクッションを間にはさんだり、工夫をしながら毎日を過ごしていました。しばらくすると体調も良くなり、退院が許されました。仕事にも復帰し、車も自分で運転できるまでに回復。このまま続いてくれればいいなあとみんな思っていました。


しかし、またもや体調が悪化。仕事復帰もできなくなりました。入院ばかりするようになって自宅にも帰れない状態になりました。

やってよかったこと What are you glad you did?

当時の私は父が最後に入っていた緩和ケアと併設されていた病院で介護士として働いていました。なので、病院の仕組みやそこで働いている職員の方は大体分かっていました。そこで私は『介護休暇』を取ることにしました。


母ではなく私が介護をする事にしたのです。家族で色々と話し合ったわけでもなく、私の独断で決めました。大好きな父のそばにいるためです。本来であれば介護士だと夜勤がありますが、それも断りいつ連絡が来てもいいように動ける状態を作りました。ほとんど車いす生活、酸素ボンベは必需品でした。介護士だった私はトイレ介助からベッド移動等の介助まで手伝う事ができたのです。介護士をしていてよかったなと思いました。


また、介護士だと色んな患者様の最後に立ち合います。私も立ち会った事があり、エンゼルケア(最期に綺麗になってもらうお手伝い)をする機会がありました。看護師さんにお願いして父の時も立ち会う事にしました。顔を拭いたり、髪を洗い最期はいつも着ていたスーツを着せる…。サイズがちょうどよかったスーツもブカブカでした。母から妹、叔父を呼び、一緒に綺麗にする、その光景を見た時に介護士という仕事を誇りに思った事を今でも覚えています。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

最後に着替えさせた日。もし着替えさせなければもう少し父と一緒にいられたのかなとふと考える事があります。母にも同じような質問をしたこともあります。タオルをいれてあげるとか...他にも違う方法があったんじゃないかと思ってしまいます。着替えさせる前に気付いてあげられたら...と心残りではあります。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

とにかく入院生活などを少しでも楽に過ごしてもらいたいというのが先だったので特に考えてなかったというのが本音です。看護師さんも支えてくれて周りの環境にも恵まれてましたから。ただ、病気がわかった時は私も学生だったので『運転出来ればよかったのに…』とは思いました。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

きっと言葉では言い表せないくらいの気持ちで生活されていると思います。当然の事です。自分にとって大切な人ですから。当時18歳だった私は病院で母と一緒に余命宣告を受けました。『来月までもつかどうか...』当時の私はその言葉が衝撃すぎて涙が止まらなくなり、別の部屋で休んでいる父の元へ行くことがしばらくできませんでした。


お医者さんはやっぱりすごいですね...宣告通りでした。まだまだ時間が欲しかった...。


上記でお伝えした通り私は介護士をしていて急遽介護休暇を取りました。それが父にとってどうだったのかは分かりません。でも私は取って良かったと思っています。つまりそれだけでいいと思います。『何をしてあげたらいいんだろう...?』ではなく、『私がしてあげたい事を全部しよう!』でもいいと思います。お互いが大切な人ですから。嫌な気持ちになる人なんていません。少しやりすぎくらいが丁度いいです。悲しい事ですが『会えなくなってからでは何もできません。』


そばにいる、顔をみせる、声をかける、これだけでも立派な事です。今後の事を考えてしまう方もいらっしゃると思います。私たち家族、特に母がそうでしたから。でも、大切なのは『今、この瞬間』です。


どうかその事を忘れず後悔だけはしないでください。また再会したときに笑顔で会えますように願っております。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

きっといつも近くで見守ってくれているんでしょうね。いろんな出来事が起こった時に『お父さんなら何を想うかな?』となんど思ったことか…。今このメッセージを書いてる時も覗かれてるかもしれないね(笑)


会えなくなってもう10年以上が経ちました。そちらの生活はどうですか?


いつも言ってくれていた『人のフリ見て我がフリ直す』を忘れずに頑張るね♪


いずれ私もそっちに行く時が来るから『やりきったよ!』って笑って報告ができるように自分の人生を楽しみたいと思います。


生活面、金銭面含めて色々と大変だけど…家族を支えられるように自分がまず変わりたいと思っているので見守っていてくれると嬉しいです。


たまには夢の中でもいいのでアドバイスください!