私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
祖母の看取り

祖母の看取り

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
ブラックリリー さん (女性)
46歳 自営業 秋田県
看取られた方
祖母
grandmother
享年 75歳
主な疾患 肝臓がん
闘病期間 5年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

亡くなったのは病院でした。意識も混濁していましたが、最期の瞬間はみんなで立ち合いました。苦しんでいる祖母に向かい、看護師さんが「楽になる強い点滴があります。だけどー」と言うまでは覚えていますが、あとの記憶が曖昧です。もう悲しくて、なんとも言えなくて。父と叔母がその点滴を選択しました。


祖母の呼吸が落ち着き眠ってるように見えました。深夜でしたので、叔母二人を残しわたしたちは、家路につきました。翌朝、叔母からの電話で祖母の死を知りました。最期は苦しまず、眠ったように逝きました。


亡くなる前の一週間は、本人のたっての希望で、自宅で過ごしました。「病院は嫌だよ。家に帰りたい」という願いをくみ、在宅医療で、家で過ごしました。穏やかに、自分の部屋で、自分のお気に入りのベッドで眠っていました。


大好きなサスペンスドラマや時代劇の音が流れる中で、入れ替わり立ち替わり子供や孫達が祖母の横に座っていたり、隣の部屋でおしゃべりしていました。なかなかそれぞれが大人になり、お正月でも皆が集まることの難しくなっていたので、つい昔話に花が咲きます。


父が祖母の好きな「うさぎのダンス」という童謡を歌います。皆んなで、昔のようにお蕎麦屋さんに出前を取り食事をしながら、話します。隣の部屋の祖母に届いたでしょうか。音楽のように、わたしたちの声が聞こえていたなら幸いです。


病室に帰った最期の日より、この一週間がわたしたちにとっての、看取りの日々でした。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

2年前に亡くなった祖父のことが大好きな祖母でした。断片的に聞いた話をつなげると、戦争中、二人は命からがら、満州からで引き揚げてきたらしいです。戦後の混乱期、アメ横でマカロニもどきを売り、財産を築きましたが、番頭に持ち逃げされ振り出しへ戻ったりいろいろ大変だったようです。


わたしの父が中学生のときに二人は離婚しますが、わたしが物心ついた頃には、お正月には祖父が祖母の家に寄り、親族みんなで祝っていました。


子供や孫に囲まれ、趣味の旅行や麻雀を楽しんでいました。サスペンスドラマや時代劇を見るのも好きでした。明るくて優しくて人が集まってくるような人柄でした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

病気の経過については叔母が窓口になり聞いてくれていたので、わたしは叔母からの説明を聞いていました。


そもそも肝臓が悪くなったのは、お酒の飲み過ぎなどのアルコールが原因ではなく、叔母を産んだ時の輸血が原因のようでした。


亡くなる10年くらい前から肝臓の数値が悪くなると、短い入院を繰り返すようになり始めました。ときおりだるそうで疲れやすくなっていきました。でも退院して元気になったら、旅行に行ったり、麻雀を楽しんでいました。ゆるやかに、肝炎から肝硬変、そして肝臓ガンに進行していったのだと思います。


亡くなる半年前までは、腹水なのかお腹が大きくなり歩くのもやっとでしたが、気持ちはしっかりしていました。それでも徐々に入退院の繰り返しのスパンが短くなり、家族や親族が、かわるがわるお見舞いや付き添いに行き、いつもだれかがいる病室でしたが、だんだんと歩くことや話すことが辛そうに見えました。

やってよかったこと What are you glad you did?

死ぬ前に本人のたっての希望により自宅で一週間を家族と過ごせたこと。

在宅医療(訪問診療)で往診してくれた内科と歯科の受診。

バリアフリーに家や階段をリフォームしたこと。訪問介護を頼み、祖母の家の掃除などをしてもらったこと。

食べられるときは、好きなものを食べてもらったこと。あんずの砂糖がけのお菓子が好きでした。

動ける時は、バリアフリー専門のツアーに行き、大好きな桜を見せてあげたこと。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

元気なうちに、もっと祖母本人と終末期に対してみんなで語り合えたら良かったと思いました。深刻ではなく、なごやかな感じで理想の終末期を聞いておけば良かったです。エンディングノートなど、何か形にあるものを残しておけば良かったと思います。


もう病気が進行して、苦しそうな祖母が繰り返して言ったのは、「家に帰りたい」という願いだけしか言いませんでした。そこまで進行する前に、家に帰る前にホスピスで穏やかに過ごしたりなど、まだまだ選択肢があったように思えます。本人に選ばせてあげたかったと思いました。


また、セカンドオピニオンではないですが、祖母の体や心に対して、もっと、かかりつけ医を見つけておいた方がまた選択肢が広がると思いました。


そして、祖母の病に対して付き添う人間がもっと知識を持つべきだと思いました。在宅で容態が急変し、何度もあたふたとしました。どのタイミングで医師を呼ぶのかが良いのか、ここまで急変したら救急車の方が良いのか、誰もわからなくて大変でした。付き添う人間にも病と向き合い、新しい知識学んだり、服薬している薬について調べたりする姿勢の必要さは感じました。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

今、振り返れば、もっと訪問診察医やヘルパーさんや入院していた病院がチームのように密に連絡を取り合っていたら、より祖母が安心して過ごせたのではないかと考えます。


また、付き添う側も話し合い、自分の仕事の都合ではなく、祖母に負担のないように付き添えたのではないかとも思います。ローテションのように、みんなで日程を調整し、祖母が疲れないような間隔を考えるのも大事だと思います。


誰もが心配で顔が見たい気持ちはわかりますが、お見舞いが続きすぎたり、また肝心なときに付き添いが不在になってしまったりしたことは後悔しています。付き添う側にも体力や休息も必要ですので、そのバランスがうまくとれていたらと思いました。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

医学や介護保険の制度は年々、変わっていくものです。人から聞いた話や自分の思い込みなどで、正確な情報にたどりつけないこともあります。よく調べ、本人の希望を聞き、使える制度は使い、より快適な空間を作ってあげてください。


また、付き添う側も適度に休み、適度に自分の時間を持ち気分転換をしてください。共倒れになったり、負担に感じで疲れてしまったら、もともこもありません。


本人と話したり、希望を聞いたり、ご飯を一緒に食べたり、寄り添うことが大切だと思います。理想の死に方なんて答えが難しいですが、本人を思う気持ちが大事だと思います。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

ばあちゃん、ありがとう。また、会いたいよ。


話したいことがたくさんあって困るよ。