私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
亡くなる前日に大切な人を呼び寄せた粋な旅立ち

亡くなる前日に大切な人を呼び寄せた粋な旅立ち

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
くま さん (女性)
52歳 専業主婦 愛知県
看取られた方
実父
own father
享年 93歳
主な疾患 パーキンソン病
闘病期間 6年 0ヶ月
最期を迎えた場所 医療対応型有料老人ホーム

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

父は6年前、手の震えが日常的になったため受診したところ、難病指定されているパーキンソン病と診断されました。


根本的な治療法がなく、選択肢は症状を和らげる薬物治療のみでした。ただ、パーキンソン病が直接の原因で亡くなることはないため、特に余命宣告はされませんでした。


手の震えから始まり、お箸が持てない、麺類をすすれない、方向転換ができない、転倒が増えるなど、年々できなくなることが増えていきましたが、亡くなる2か月前までは、まだひとりで手すりにつかまりながらトイレに行ける状態でした。


パーキンソン病を発症してから3年ほど経った頃、血尿が続いたため検査すると、初期の膀胱がんが見つかりました。


手術をすれば問題なかったのですが、パーキンソン病であることから、全身麻酔によって認知機能に影響が出るかもしれないとのことでした。もちろん、影響が出ない可能性もあります。


がんを取り除くことができても、目が覚めたときには自分が誰だかわからなくなっているかもしれないなんて…。


家族で何度も何度も話し合い、父の意向も尊重した結果、手術をしないことに決めました。一日でも長く、父が父でいるために選んだ結果です。


コロナ渦では父も感染してしまい、救急車が到着してから2時間以上も病院の受け入れ先が見つからない事態になりましたが、2つ隣の市の病院が受け入れてくれたため大事には至りませんでした。


しかし今年に入ってすぐに脳梗塞になり、誤嚥性肺炎も併発しており、自力で立つことも食事をすることも話すこともできなくなってしまったのです。


またここでも究極の選択を迫られました。 脳梗塞の治療をすれば膀胱がんが破裂する恐れがあり、直ちに命が危険にさらされるとのこと。


一方脳梗塞の治療をしなければ、次に脳梗塞が起きた場合は危険な状態になりうるということ。そして、次に脳梗塞がいつ起きるか誰にもわからないとのこと。


結局また治療をしない選択をしなければならず、このときの決断は胸が張り裂ける想いでした。


誤嚥性肺炎の治療だけしましたが自宅に戻れる状態ではなかったため、病院から医療対応型有料老人ホームに入居することになりました。


ホームに入居してしばらくしたころ、体調も良かったので外出許可をもらい、念願の一時帰宅をすることにしました。


自宅に帰った父は「オーオー」と何度も声を出して大喜び。 喜んでいる父を見て私たち家族も嬉しくなり、二度目の一時帰宅を計画しました。


二度目の一時帰宅の前日、コロナ渦でしばらく会えなかった親戚からたまたま連絡があり、事情を話すと父の一時帰宅にあわせて会いに来てくれることになったのです。


お正月に帰省できなかった私の息子も、父の一時帰宅にあわせて帰省してくれました。 家族、親戚、孫たちが待つ自宅に戻った父は、とても嬉しそうに一人一人の顔を見て満足気でした。


しかしホームに戻った後、あんなに元気そうだった父が発熱して呼吸の状態が良くないと連絡が入ったのです。


姉と二人であわててホームに向かい、ベッドに横たわった父が苦しそうにしているのを見たときは頭が真っ白になりました。


何か言いたそうに見つめる父に声をかけ、祈るように父の手や足をさすりながらも、どこかで「まだ大丈夫だろう」と思っていたことが不思議です。


その後呼吸は安定し、ウトウトと眠り始めたので「また明日くるね」と声をかけて自宅に戻りました。


しかしそれが、父との最後になってしまいました。


翌朝、ホームから父が呼吸をしていないと連絡が入りました。朝6時はまだ呼吸をしていたようですが、その後眠るように息を引き取ったそうです。


ホームに駆け付けたとき父はまだあたたかく、手を握ったら握り返してくるのではないかと思うほどでした。


息を引き取るとき、そばにいてあげたかった…。


眠るように息を引き取り、穏やかな顔をしていたことがせめてもの救いでした。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

父は無口でとても温厚な人でした。私も姉も、父に怒られた記憶が一度もありません。


私たちが子供の頃は年に2回必ず旅行に行き、私たちが自立した後は、毎月2回以上母と二人で旅行に行くほど旅行が大好きでした。電車や飛行機などの乗り物オタクで、乗り物に乗るのが好きな乗り鉄です。


「お前たちがよければそれでいい」というのが口癖で、何をするにも応援してくれる人でした。


また、家族や親戚をとても大事にする人で、父の体が不自由になってからも母の心配ばかりしているような人でした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

発症してから1~2年は手の震えはありましたが特に大きな変化はなく、相変わらず母と二人で旅行を楽しんでいました。


発症して2年が過ぎたころ、今までペロリと食べていたカツ丼を、ご飯粒が飲み込みづらいという理由から好んで食べなくなりました。また、足がもつれて転倒することが増え、週1回デイサービスを利用するようになりました。


発症して3年目に入ると、はじめの一歩がなかなか出ず歩行時に介助が必要になったため、外出時は車いすを使うようになりました。また、麺類や温かい汁などをすすることができなくなり、おかずも細かく切って食べるようになりました。膀胱がんが見つかったのはこの頃です。


発症して3~4年の頃は体重が減少したものの、症状に大きな変化はなかったです。


発症して5年、食事をあまりとらなくなったため、病院で処方された栄養剤を飲むようになりました。また、会話のスピードが極度に遅くなり、YES、NOの返答はハンドサインでするようになりました。転倒する頻度も増え、発熱することが多かったため、訪問診療、訪問介護を利用することにしました。


発症して6年、着替え、お風呂など身の回りのほとんどに介助が必要でした。トイレに一人で行きますが間に合わないことが増え、常時オムツを履いていました。


週4回デイサービスへ行き、家ではほとんどの時間を寝て過ごしていました。この頃は、40キロに満たない体重でした。

やってよかったこと What are you glad you did?

家族に迷惑をかけてはいけないという想いや、できない自分を認めたくないという意地から、できる限り自分のことは自分でやろうとするため、周りから見てできないとわかっていても自分でやらせるようにしていました。


自尊心を傷つけないよう見守る体制を作ったのはよかったと思っています。


そのため、家の中に以下のものを設置しました。


・見守りカメラ


・呼び出しチャイム


・滑り止めマット


・ケガ防止用クッションガード


・一歩歩くごとにつかまれる手すり


洋服はボタンからファスナーのものに変え、ズボンは前開きファスナー付きのウエストがゴムになっているもの。


また、父の意思(自分が誰だかわからないまま生き永らえたくない)を尊重したのも、よかったのではないかと思っています。


加えて、早い段階から介護サービスを受けたこともよかったです。


ケアマネジャーさんなど相談できる人がいるのはとても心強く、心理的な負担が軽くなるためありがたかったです。また、自治体の福祉サービスのことなども詳しく教えてもらえるため、とても助かりました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

言い出したらキリがないのですが、買い物に出かけるのを楽しみにしていた父の小さなお願い(駅弁が食べたい、電気屋に行きたいなど)を、もっと聞いてあげればよかったと思っています。


できる限りのことをしたつもりではいますが、自分の生活が優先になってしまい「今日は忙しいから無理!!」と断ることも多かったので。


次第に、小さなお願いをしなくなったように思います。迷惑をかけてはいけないと、遠慮したのかもしれません。


特別なこと(旅行に連れていくなど)もいいですが、もっと日常の小さな願いに耳を傾けてあげればよかったと思っています。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

デイサービスについてですが、家族が一緒に参加できる時間があったらよかったのにと思います。


週4回通うようになったとき、顔を合わす時間がほとんどなかったため、一緒に行けたらいいのにと思っていました。


また、これは不可能かもしれませんが、息を引き取るときにそばにいられなかったことがとても悔やまれるため、もしかしたら…という兆候が事前にわかる何かがあったらよかったのにと思います。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

父が亡くなってからまだ日が浅く実感がないため偉そうなことは言えませんが、ご家族様が笑顔でいることが、これから旅立つ方にとって一番の幸せなのではないかと思います。


どれだけ尽くしたとしても、大満足の看取りはできないのかもしれません。


そうだからといって何もしないのではなく、ご本人様と最期の時までどう生きるかをよく話し合い、少しでも理想の旅立ちに近づけて頂けたらと思います。