「忘れられないおばあちゃんとの約束」
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
祖母は86歳のときに肺がんで亡くなりました。
大きな持病もなく元気に過ごしていましたが、亡くなる半年ほど前から「肩が痛い」と身体の痛みを訴えるようになりました。
しばらく自分でマッサージや湿布を貼って様子をみていましたが一向に良くなる気配がないため整形外科クリニックに行き診てもらいました。ですが、医師からは「加齢だろう。」と痛み止めの内服と湿布を処方されるだけでした。
その後、痛みは肩だけでなく背中や関節などあちこちに広がり、家の中でも部屋で過ごすことが多くなりました。
亡くなる一か月ほど前には食事ができなくなるほどあっという間に弱ってしまい、急いでかかりつけ医に往診にきてもらい、栄養失調と脱水が深刻ということで病院に入院することになりました。
入院先の病院で血液検査や全身のCT・MRIを撮りそこでようやく祖母の身体の痛みの原因がわかりました。それは、肺がんからくる骨転移が原因でした。ステージ4でした。両親の意向で祖母には告知せず、医師の申告通りそこから一か月程度で亡くなってしまいました。
祖母は優しくてとても穏やかな人でした。わたしの誕生日には毎年好物のおはぎを振舞ってくれ、風邪をひいたときは、高価な桃の缶詰を買ってきてくれました。いつも優しく接してくれる祖母がわたしは大好きでした。
我が家は少し特殊で、両親とわたしを含めた9人の兄弟、父方の祖父母の13人の大所帯で暮らしていました。そのため、祖母は母と協力しながら孫たちのお世話や家族の食事の支度、掃除、買い物などいつも忙しそうでした。どんなに大変でも愚痴一つこぼすことなく、黙々と働く女性でした。
わたしは祖母の病気が見つかり亡くなって今なお「なぜもっと早くに気づけなかったのか」という後悔をずっと抱えています。
自分が看護師という医療従事者であるにも関わらず一番身近な家族の変化に気が付くことができなかった悔しさ、祖母に身体の痛みをずっと我慢させ苦しい想いさせたという無念さが消えることはありません。
もっと早く病気に気づいて適切な治療をしてもらいたかったと思います。もっと早くに痛みの原因を突き止め、できるだけ辛い想いをさせないようにしてあげたかったです。
できるならもっとゆっくり祖母と時間を共に過ごし、その気持ちや言葉を聞いてあげればよかったと思います。
十分ではありませんでしたが、できてよかったと思うこともいくつかあります。当時、父は単身赴任、母もパート勤めが忙しかったためわたしが祖母の病院の付き添いをしました。
またご飯支度や食事も思うようにできなくなっていたため数日分の食事を用意し、休みや夜勤明けに実家に赴き食事や水分が十分とれているかみていました。病院に入院後は、余命が僅かということが判明してから単身赴任先から急いで父を呼び寄せました。
短い時間ではありましたが父は祖母と話しをすることができ、その後すぐに祖母の容態が悪くなり、最期を看取ることができなかった父にとってその時の面会が最後の会話となりました。
ご本人はどんな方でしたか
What kind of person was he
わたしの祖母は優しくてとても穏やかな人でした。決して前に出て目立つタイプではなく物静かで大人しい性格でした。
祖母は孫のわたしたちを怒鳴ったり、きつく叱るようなことは決してなく、わたしの誕生日には毎年好物のおはぎを振舞ってくれ、風邪をひいたときは、高価な桃の缶詰を買ってきてくれました。
いつも優しく接してくれる祖母がわたしは大好きでした。我が家は少し特殊で、両親とわたしを含めた9人の兄弟、父方の祖父母の13人の大所帯で暮らしていました。
そのため、祖母は母と協力しながら孫たちのお世話や家族の食事の支度、掃除、買い物などいつも忙しそうでした。
どんなに大変でも愚痴一つこぼすことなく、黙々と働く女性でした。
病気はどんな経過を辿りましたか
How did the disease progress
祖母は86歳のときに肺がんで亡くなりました。大きな持病もなく元気に過ごしていましたが、年を追うごとに徐々に足腰が弱くなり行動範囲が狭まっていく様子がわかりました。
亡くなる半年ほど前から「肩が痛い」と身体の痛みを訴えるようになりました。しばらく自分でマッサージや湿布を貼って様子をみていましたが一向に良くなる気配がないため整形外科クリニックに行き診てもらいました。
ですが、X線を撮り診察してもらっても医師からは「加齢だろう。」と痛み止めの内服と湿布を処方されるだけでした。その後、痛みは肩だけでなく背中や関節などあちこちに広がり、家の中でも部屋で過ごすことが多くなりました。
亡くなる一か月ほど前には食事ができなくなるほどあっという間に弱ってしまい、急いでかかりつけ医に往診にきてもらい、栄養失調と脱水が深刻ということで病院に入院することになりました。
入院先の病院で血液検査や全身のCT・MRIを撮りそこでようやく祖母の身体の痛みの原因がわかりました。それは、肺がんからくる骨転移が原因でした。ステージ4でした。両親の意向で祖母には告知せず、医師の申告通りそこから一か月程度で亡くなってしまいました。
やってよかったこと
What are you glad you did?
十分ではありませんでしたが、できてよかったと思うこともいくつかあります。当時、父は単身赴任、母もパート勤めが忙しかったためわたしが祖母の病院の付き添いをしました。
またご飯支度や食事も思うようにできなくなっていたため数日分の食事を用意し、休みや夜勤明けに実家に赴き食事や水分が十分とれているかみていました。
病院に入院後は、余命が僅かということが判明してから単身赴任先から急いで父を呼び寄せました。短い時間ではありましたが父は祖母と話しをすることができ、その後すぐに祖母の意識が悪くなり、最期を看取ることができなかった父にとってその時の面会が最後の会話となりました。
後になって父から、あの時わたしがすぐに帰ってきたほうがいいと教えてくれたから最後に話したができたと感謝の言葉を口にしていました。
もっとこうすればよかった
Things I'm glad I did
わたしは祖母の病気が見つかり亡くなって今なお「なぜもっと早くに気づけなかったのか」という後悔をずっと抱えています。
自分が看護師という医療従事者であるにも関わらず一番身近な家族の変化に気が付くことができなかった悔しさ、祖母に身体の痛みをずっと我慢させ苦しい想いさせたという無念さが消えることはありません。
もっと早く病気に気づいて適切な治療をしてもらいたかったと思います。もっと早くに痛みの原因を突き止め、できるだけ辛い想いをさせないようにしてあげたかったです。
わたしたち家族はみな仕事をしており、祖母が痛みを抱えながらその辛さや孤独を十分に受け止める時間を確保することができませんでした。
できるならもっとゆっくり祖母と時間を共に過ごし、その気持ちや言葉を聞いてあげればよかったと思います。
もっとこうだったらいいのに
I wish it was more like this
患者さんの主訴が病気の直接的な原因に結びつかない場合に原因検索を積極的にする医療体制・システムがあったらいいのにということは感じました。
わたし自身、看護師として日々患者さんと関わっていますが、病院の中では本当に一時的な関わりにすぎないということを家族の死を通して実感しました。
つまり、医療従事者でも限られた情報だけで判断することが難しいということです。医療の知識がない一般の家族であればなおさらのことと思います。
この先 家族を看取る方へ伝えたい事
What I would like to convey to those who will be caring for their families
これから大切なご家族を看取るみなさんに伝えたいことは、看取ったあと少しでも後悔がないようにしてほしいです。
人は死に向かって生きています。誰しもが死は避けられません。しかし、日常の生活を送っているときはその死と向き合う機会はほとんどありません。
いざ、その死と向き合わなければならなくなった時、本人やその家族は死と向き合う準備が整わないままに故人が旅立ってしまうこともあると思います。亡くなってしまってから後悔してももう取返しがつかないのです。
祖母が身体の痛みで思うように動けなくなったある日、「来年の春になったら近所の桜を一緒に見に行きたい。」といったのです。
なんとなくですが、自分の死期がそう遠くないことを悟ったのか、もう今となってはわかりません。わたしは「いいよ。一緒に見に行こう。」と返事をしましたが、その翌年の2月に祖母は旅立ってしまいました。
これまで一緒に買い物やお出かけはしたことがあったのに、一度も桜を見に行ったことはありませんでした。
それ以来、わたしは春になり桜が咲く時期になると必ず祖母を思い出すようになり、今は毎年夫と一緒に桜を見に行くようにしています。
本人が最期どんなふうに過ごしたいのか、誰と話しをして、何を伝えたいのか希望を聞いておくことはとても大切だと思います。
すべて希望通りに叶えてあげられなくても代わりにできることもあるからです。
また、看取るご家族も、本人と最期どんなふうに過ごしたいのか話し合っておくことで必要だと思います。




