私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
『おかあさんありがとう。そしてごめんね』

『おかあさんありがとう。そしてごめんね』

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
soyosoyo さん (女性)
54歳 専業主婦 鹿児島県
看取られた方
step-mother
享年 72歳
主な疾患 くも膜下出血
闘病期間 6年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

18年前の六月末、「くも膜下出血」で義母を亡くしました。


何年も患ってきた脳動脈瘤の手術治療のため、手術日も決まり早めの入院をしていました。しかし、当初、予定していた手術日はどんどん延期になっていきます。


そんな中、学校から帰宅した娘たちと、夕方に病院へお見舞いにいきました。金曜日の夕方ということもあり、同じ病室の方たちも許可が出た方は、外泊をされていた方が多く、寂しい病室でした。


いつもはわがままを言ったりしない穏やかな義母でしたが、後になって思うとその日は違っていました。


突然「自分も家に帰りたい」と言い出し、子供のようにわがままをぶつけてきました。「看護師さんに聞いてみるね」と言い、私はナースステーションに行きましたが、夕方の引継ぎをされていましたので、「もう少ししてから、また聞きに行ってくるね」と伝えました。


でも義母はそれを待てずに、自らナースステーションへと向かいました。普段、そのようなことをする義母ではなかったので、驚いたことを覚えています。


その後、看護師さんが主治医に連絡を取ってくださり、一泊だけというお許しが出て、帰るために洋服に着替える義母は、それはそれは嬉しそうでした。そして実家へと向かう帰りの車中では、孫たちと嬉しそうに話していました。


家に帰りつくと、玄関で家の中の義父に「もう帰っていいよと言われたから、帰ってきたよ」と子供のように嬉しそうに話す義母。そして、突然帰ってきた義母を見て、普段無口な義父が驚きながらも、にこやかに微笑んでいた光景が今でも鮮明に思い出されます。


私たちは、送り届けほっとし、車で3分ほどの近所の自宅へと帰りました。義母は、その夜は、仲良しの親戚などあちこちに電話をしていたようです。


その翌朝の早い時間、まだ休んでいるところに、両親と同居していた義理の弟から電話が鳴りました。「おふくろがおかしい…救急車を呼んだから来て」との事でした。驚きすぎて、心臓がバクバク大きな音をたてながら、なりふり構わず急いで、主人と駆け付けました。


義母は布団の上で、大きな唸るようないびきをかいていて、何回声をかけても目を開けてくれません。間もなく、救急車が到着し入院していた病院へと搬送されました。


検査の結果、「脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血をおこしている」との説明があり、『非常に厳しい状況であること』、『常に家族は病院で待機していてください』との宣告をされました。


その日から昼夜関係なく、家族、親戚含め、交代で病院にある家族の控室に待機し泊まり込みをしました。


私は、まだ娘たちが小学生だったため、日中しか行けませんでしたが、朝は、娘たちが登校した後に、泊まり込んでくれている家族、親戚に簡単な食事を準備して、朝早くから病院へ向かう日々でした。

控室でも病院の内線電話が鳴るたび、震えが止まりませんでした。夕方になると、私は気になりながらも娘たちの帰宅に間に合うよう自宅に帰りました。


特に夜になると、心配と恐怖が襲ってきてどきどきして眠れない日々が続き、いたたまれず、かかりつけのクリニックへ行き、事情を話し気持ちを落ち着かせるお薬を頂いて過ごした日々でした。


救急ICUで治療を受ける義母の様子はよくなることはなく、毎回、ドキドキしながらの面会......と言っても頻繁には面会は出来ません。何度、声をかけても、手や足をさすっても目を開けてくれませんでした。


ただ、目をあけてくれない義母に、声を掛け続けると涙をこぼしたこともありました。聞こえているのに......と。


絶対に起きてくれると信じていました。でも、搬送から3日目の午後、控室で待機していると内線電話が鳴り、「血圧が下がってきた」との連絡。急いでICUへと駆け付けましたが、血圧はみるみるうちに下がっていき、心拍数も下がっていきました。


脳死状態だった義母は本人の誕生日に旅立ってしまいました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

温厚でおっとりと話す義母。話好きで、よく電話もかけてきてくれていました。


料理と裁縫が上手な義母で、たくさんの料理を作ってもらいました。義母から教わった、「ふくれ菓子」「炊き込みご飯」「大根の漬物」今でも、そのままのレシピで作り続けています。


裁縫も上手で、孫である私の娘たちにも、赤ちゃんの頃からたくさんの洋服を作ってくれました。


右眼の視力を失ってからも、弱音を吐くことなく明るくいてくれた義母。私が、体が弱かったため、体調の悪い日には横になっている私の背中をさすってくれたこともありました。


働き者で、無農薬の野菜もたくさん作ってくれました。本当にあったかい優しい義母でした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

くなる数年前、右眼の視力が低下し眼科を受診しましたが原因が分からず、脳神経外科を紹介されましたが、視力低下の原因は分かりませんでした。


総合病院に紹介され、いろいろな検査をしても、すぐには原因が分からず、後に、「脳動脈瘤」があることが判明いたしました。そうしているうちに、義母の右眼は視力を失ってしまっていました。


「脳動脈瘤」が視神経を圧迫し右眼の視力を失ってしまったことが分かるまで、相当な日数を要しました。


定期検診を受けながら経過観察をしていましたが、脳動脈瘤は徐々に肥大し、手術を受けるための検査入院を繰り返しました。手術日が決まり、事前入院をしていましたが、なぜかどんどん延期になっていきました。


検査があるわけでも治療があるわけでもなく、入院をし続けていたある日の夕方、どうしても外泊で帰りたいという義母。


許可を得て連れて帰った翌朝の早い時間、お手洗いに行った義母は布団に戻り、義父の隣で意識を失いました。


「脳動脈瘤がくも膜下出血をおこして危ない」とのことで、その日から3日後、一度も目を開けることなく旅立ってしましました。

やってよかったこと What are you glad you did?

私の場合、「やって良かったこと」は、生前、皆無と言っていいと思っています。何もしてあげられませんでした。


私自身、体が強くなかったことを含めたくさんの心配ばかりかけてきました。ただ、子供は主人と義弟二人で男の子しかいなかったこともあり、娘のように可愛がってもらいました。婚前から、料理教室を一緒に受講したり、時には映画館に映画を見に行ったり。



義母が体調を崩してからは、必ず病院に付き添い、入院期間中は毎日、会いに行きました。出来たことと言えば、それだけだったと思います。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

これは、本当にたくさんの思いがあります。


具体的に言葉にするには、たくさんありすぎて本当に難しい事なのですが、今でも一番、後悔していることは、


外泊をしたがった義母を連れて帰らなければ、このような事にならなかったのではないか......という後悔の思いは、今でも強く強くあります。


義母は、自分の家で...... 長年寄り添ってきた義父のそばで......


「それで良かったんだよ」と声を掛けてくださる方もいらっしゃいましたが、18年経った今でも、私が連れて帰らなかったら......と思います。


そして、手術が決まり入院したのに延び延びになっていきました。なぜだったのか理由はわかりませんが、早い時点でほかの病院に連れて行ってあげていたらもしかしたらまた少し違っていたのかなと思います。


意識を失ってからは、救急ICUでの治療で面会も思うように出来ず、何一つ、看病という看病は出来なかったこと......


まだまだ、たくさんあります。出来ることが、どれくらいあったのかわかりませんが、きっと、まだまだあったはずです。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

医療機関の体制についてですが、失明した時点で、もっと早くに何か治療ができなかったのか。


そこの病院で分からなかったり、出来なかったことは、早くにどこかほかの病院に紹介いただけなかったのか。


主治医の先生には、お世話になりましたが、なぜ、手術を延期されていったのか。そのことについて、もっと説明して頂きたかったです。


18年前と現在とは違ってきていると思いますが、すべてにおいて納得のいくものではありませんでした。


もっと早くに、何らかの行動に移すべきでした。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

様々な病気、疾患があると思います。患者さん本人にとっても家族にとっても充分に納得のいく治療をしてくださる病院を探していただきたいです。


早い時点で、信頼できる医師に出会い、納得のいく治療法を選択できる場所に出会えたらそれはとても良いことなのですが、少しでも納得がいかないことがある場合は、ぜひ、ほかの病院にも足を運んでいただきたいです。


セカンドオピニオンは、体調が優れない中、足を運ばなければいけない本人はもちろん、家族にとっても色々な面で、負担が少なくはありません。


ただ、「ここなら」と思える病院と医師、スタッフに出会っていただきたいです。そして、看取るということは、周りの家族にとっても、本当にたくさんの覚悟や体力、


そして経済的にも大変なことだと思いますが、残された大切な時間を、少しでも後悔が残らないように、家族みなで寄り添い支えあって、満たされる時間を過ごしていただきたいです。


そして一番たいせつなこと。本人を支える周りのご家族にとっても、心も体も大変なことだと思います。ぜひ、くれぐれもご自身の体と心のメンテナンスも大切にしながら、過ごしていただけたらと思います。


絶対に一人で抱えないで欲しいです。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

72歳の誕生日に旅立ってしまったお義母さん。


たくさんの優しさで私たち家族を見守ってくれたね。


無農薬のお野菜をたくさん作っては、私たちにはもちろんのこと、親戚、友人、ご近所のみなさん、本当にたくさんの方に配っていましたね。


そして、お義母さんの作る「ふくれ菓子」本当に美味しかった。孫たちが生まれたときには、病院のみなさんへと「ふくれ菓子」をたくさん作り、一切れずつラップで包んできれいに箱に詰めて持ってきてくれたね。


スタッフのみなさんも大変喜んでくださって、産後の私にとっても、心からほっとできたお義母さんの味だったこと、本当に嬉しかったです。


たくさんたくさん心配もかけました。


いつも優しく寄り添ってくれたお義母さん。言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。


空から、孫たち、そして会うことは叶わなかったひ孫たちのことを微笑んで見守ってくれていると思います。


お義母さん、ありがとう。


あなたの義娘として過ごせた時間は、私にとってたいせつな時間でした。


天国で、お義父さんと仲良くね。