私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
祖母に感謝を込めて

祖母に感謝を込めて

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
mimi さん (女性)
30歳 自営業 神奈川県横浜市
看取られた方
祖母
grandmother
享年 83歳
主な疾患 心臓病/人工透析/認知症
闘病期間 1年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

「ばあちゃんあと1週間だから会いに来て」とクリスマスが近い年末に母から電話がありました。


私は実家から離れて暮らし仕事もしていたので、有給を使い、休みを取って会いに行きました。会いに行く前、私はかなり緊張していました。不安な気持ちを顔に出さないように病室に入ると、おばあちゃんは笑顔で笑ってくれました。


人工透析もして身体全体が管だらけのおばあちゃん、息をするのも辛そうで話すことすらできないのに、私に笑顔で対応してくれて今にも涙がこぼれそうでした。


母親には「ばあちゃんが頑張っているのに、あんたが辛い顔してどうするの。笑顔で見送って送り出しなさい。」と言われ作り笑顔をしていました。


お医者さんからあと1週間と言われていましたが、大晦日を迎え家族全員でおばあちゃんとお正月を過ごすことが出来ました。


もちろんお節は食べることが出来ず、食事も流動食でほとんど食べられない。何かしてあげられることはないのかなと思い、おばあちゃんはカラオケが大好きだったので、よく歌っていた美空ひばりさんの曲を病室で流してあげました。


歌うことはできなかったけど、耳で聞いてわかっていたようで「あ~あ~」と言いながら声を出していました。


私も自分の生活があるため、お正月休みの後おばあちゃんに会いに行くのは1週間に一回になっていました。普段生活している中での1週間とおばあちゃんと過ごした1週間の重みは雲泥の差があり貴重な時間でした。


おばあちゃん本人はどのように思いながら病室で過ごしていたかはわかりませんが、私自身は仕事をしながら、あと1週間、また1週間と長生きしてほしいと願いながら毎日考えていました。


お正月休みも終わり、1月の3週目に会いに行ったときには病状はかなり進んでいました。


会いに行って声をかけてもほとんど反応してくれず、呼吸も苦しそうな状態。そしておばあちゃん自身が食事を拒否したと言うのです。


流動食ですから無理矢理口に入れようと思えば出来ると思うのですが、口をかたく閉じゆっくりと首を振って拒否をするようになったのです。


見ていて思ったのですが、呼吸をすることだけでも疲れてしまっているようでした。この苦しい状況から早く解放されたいのかなと思うほど見ていて辛かったです。


お医者さんにも相談し、父と母もこのまま静かに眠らせてあげようと決めて、おばあちゃんの好きな歌「川の流れのように」を毎日かけてあげました。心地よい眠りで1月末、83 歳で永眠いたしました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

看護師として定年まで働き、子ども3人を育てあげて仕事に生きた人でした。


母に聞くと毎日仕事で家にいなかったから幼少期は寂しかったと話しており、令和の時代だと共働きは当たり前ですが昭和の時代で専業主婦の家庭も多いなかで働き続けた人生は孫の私にとって誇りで理想のおばあちゃんでした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

定年前に職場で倒れて、検査をしたときに不整脈で心臓が悪くなっていることがわかりペースメーカーを埋め込み手術をしました。


その後も職場復帰をしましたが、高血圧や糖尿病なども発覚し定期的に病院に通院していたそうです。それでも気にせず定年まで働き80歳近くになると入退院を繰り返すようになっていました。


やってよかったこと What are you glad you did?

私は孫なので母から聞いた話になってしまいますが、ずっとおばあちゃんは一人暮らしで生活をしていて、たくさんの病気が発覚後70歳を過ぎたあたりから認知症の判断もされたので同居することになり一緒に生活をしていました。


おばあちゃんは何事も大丈夫と言って自分の事は後回しにする人だったので同居し一緒に通院することで病状の管理や健康状態がわかるのが良かったと母は話していました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

家族としては長生きして欲しい、だから管理をきちんとしたいし、してほしいと願っていました。もしかしたら、そのこと自体はおばあちゃんにとってストレスだったかもしれないと感じました。


もともと、しっかりした人で自分はボケていないし認めたくないと日常生活からでも感じていて、はじめは友達とカラオケや旅行に出かけたり好きにさせていたのですが、旅先で倒れることが何回もあったので自宅で過ごすようにしてもらいました。


ストレスを感じなければもう少し長生きすることができたのかなと、振り返ったとき思うことがあります。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

本人の気持ちと家族の気持ちに温度差があることが心苦しいなと思いました。


本人はまだ動けると思っていても、見ている私たちは衰えていくのがわかることの辛さ。


両親も共働きだったので、孫の私はおばあちゃんに育ててもらったようなもので一番身近でおばあちゃんが変わっていくのを感じていました。


今まで美味しいお弁当を作ってくれたのに、卵焼きの作り方も忘れてしまったおばあちゃんの顔は忘れられません。


もし余裕がもてたのなら、好きにさせてフォローするくらいの気持ちがあれば両者とも上手く生活できたのかなと思いました。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

まず体力と金銭面が大変だと思います。家族だけで問題を解決することの大変さ、いろんな方に協力してもらわないと厳しい現実にぶつかります。


介護、病院、付き添いなど仕事をしながら本人の意思を確認し治療を進めていく。認知が進んでしまうと薬を飲むことも管理しないといけない。


おばあちゃん本人の体と気持ちが崩れてしまうと暴れてしまうこともある。じゃあ病院やホームに入所させたら良い、そう判断すると思います。


でも両親も金銭的に大変だった面もあるとは思いますが、おばあちゃん本人がホームに入所するのを嫌がり自分のことができなくなったら入院させてと言っていたので本人の気持ちを尊重してホームへ入所するという判断はしませんでした。


私もおばあちゃんが好きでしたし少しでも動ける身体であれば一緒に暮らしていこうと思っていました。


今回おばあちゃんを看取って感じたことは、家族全員が協力しないとできないことなのだなと思いました。


孫としてそこまで協力はできなかったけれど、両親、親戚のみなさんは順番でおばあちゃんの対応をしてくれました。


病院にまかせる家族も多い中で、もしお金があり余っていたとしても、私達家族は今回と変わらずみんなで協力していたと思います。


おばあちゃんが積み上げてきたものを崩したくない、笑顔でお別れしたい思いが一 致したことでおばあちゃんは深く眠れることが出来たと思います。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

「おばあちゃんありがとう」この一言です。


自分がボケていくのがわかっていたから、酷くなる前に私に色々教えてくれたね。掃除の仕方、裁縫、応急措置とか働くことの大変さをたくさん語ってくれた。おばあちゃんを信じていたから、ボケて暴れたってイライラはしなかったよ。


「人はみんな衰えていくものだから、慌てず冷静に考えること。悲しくなる必要はない。」 そう私に語ってくれたね。何かあっても一呼吸置いて考えることができる大人になりました。


毎月は行けないけど、毎年必ず会いに行くからね、おばあちゃんありがとう。