私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
強く、優しかった祖母が最期に残したもの

強く、優しかった祖母が最期に残したもの

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
あや さん (女性)
35歳 会社員 香川県
看取られた方
祖母と孫
grandmother&grandchildren
享年 73歳
主な疾患 腎機能障害
闘病期間 2年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

祖母の最期は病院で、私以外の家族に看取られながら過ごしました。


私には祖母の危篤を知らされず、私がそれを知ったのは祖母が天国に旅立ってからです。というのも、祖母自身が「知らせるな」と家族に言っていたからでした。


タイミング悪く、ちょうど私の大学受験直前だったのです。そのため祖母は私が大学受験をきちんと終わらせられるよう、家族に固く口止めをしていました。


高校に登校できず中退し、高卒認定から独学で大学受験を志したという複雑な状況。将来に向かって頑張っている私を思うからこその、祖母らしい判断だったと思います。


祖母の死を知ったときはショックでしたし、死に目に立ち会えなかったことをとても後悔しました。


伝えてくれなかった家族、祖母をも恨む気持ちもありました。ただ、今ではそれでよかったのだと思っています。


祖母が私を思ってくれる気持ち、目標に向かって頑張れと励ましてくれているようで泣きました。


大学受験はもちろん、就職活動や仕事でつらかったときにもたびたび思い出し、ずっと人生の支えになっています。葬儀では大号泣しましたが、棺の中の祖母にたくさんの「ありがとう」を言えて見送ることができました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

4人の子どもを育て上げ、持ち前のタフな精神力を発揮して漁師である祖父を立派に支えた人でした。


孫の私には甘く優しかった反面、基本的な礼儀やしつけには厳しかった記憶があります。


亭主関白タイプの祖父は、ギャンブル好き、酒飲み、女好きでしたが、そんな祖父を相手によき妻を務めたあたり、とても我慢強い気質も備えていたのだと思います。


病気が発覚してからは身体こそ小さくなってしまったものの、周囲に心配をかけまいと気を張っていました。


入院のことを祖父にも秘密にして出てきたために、祖父がほかの男との浮気と駆け落ちを疑って探し回ったというエピソードが印象的。いまでも親戚との思い出話の際には必ず話題に上るほどです。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

祖母は、私が高校2年生のときに腎臓がんを患いました。


発覚した際にはもう病気がかなり進行しており、即入院することに。田舎で病院がない地域だったので都市部の総合病院に入り、結果的には亡くなるまで入院生活を余儀なくされました。


病気の影響でお腹に水が溜まってしまい、それを排出させるための機械を身体に取り付けていました。


むくみもひどく、痛みや不快感、倦怠感などはずっと感じていたと思います。基本的にはベッドからいっさい出られない状態で、お風呂をはじめとした生活全般を看護師さんに頼らなければなりませんでした。


食事こそ自分で食べられていましたが、腎臓に負担をかけないように塩分を調整した療養食だったようです。トータル1年半くらい入院することとなり、転院や退院もできないままだったのがとても残念です。


腎臓の機能は回復することがないそうで、よくなるための治療というよりはいかに負担を軽減して楽に過ごさせてあげるかに注力していたのだと思います。


入院期間の最後のほうは顔色も悪く、見るからにしんどそうで家族の立場でもつらかったです。それでも弱音を吐かなかったのはさすがとしか言いようがありません。

やってよかったこと What are you glad you did?

当時私は高校にほとんど行けておらず、フリーターのような状態でふらふらしていました。


そのため家族のなかでは一番時間があったので祖母の病院に毎日お見舞いに行っていました。祖母にとって私は初孫で、小さいころからとても可愛がってくれたことを覚えています。


母から頼まれた洗濯物の受け渡しや食事のサポートはもちろん、話し相手を務められたのがよかったと思います。


自分に置き換えて考えたとき、病気への不安や入院生活のストレス、悲観的な気持ちを癒やしてくれるのは家族の寄り添いだと思うからです。


病気や治療のために大したことはできなくても、そばにいるだけで心強い存在でいれたのではないかと今でも誇りに感じています。


特に、私の日常生活であった楽しかったことや家族の面白い話を聞くのを楽しみにしていました。


つらい入院生活、大変な治療をひとときでも忘れてもらえたのだと思います。祖母は逆に、心配されることを極端に嫌がっていました。


ですから、私を含め家族は病気にふれないよう、普通に家でおばあちゃんと接する感覚で過ごすように気をつけていました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

入院生活のなかでというよりは、発見が遅れて手の施しようがなかったことを悔やみました。


気丈な祖母だったからこそ体調の悪さを隠し、悪化していたことは想像に固くありません。家族もまったく気づくことができず、病気を進行させてしまいました。


優しく、強い人ほど心配かけまいと振る舞ってしまうので注意する必要があると痛感しました。


離れて暮らしている家族がいる人は、もっと気にかけてあげてほしいなと思います。


最期の瞬間に立ち会えなかったことに関しては仕方なかったし最善の選択だったと考えてはいますが、いまでも時折「本当によかったのだろうか」と自問自答することがあります。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

病院では悪いところの治療はしてくれますが、家族としての接し方に関するアドバイスやメンタルケアなどはありませんでした。


強く装っていた祖母も、きっと夜はひとりになると泣いていたのではないかと思うと胸が締め付けられます。


医師や看護師だけでなく、カウンセラーさんなどのサポートがもっと積極的に受けられる選択肢があればよかったと思います。


家族だけでは限界があるような気がしてなりません。


今はまだネットで情報を得たりできますが、当時はそんな環境がありませんでした。


同じ状況にいる人たち、苦しんでいる人たちとの交流や情報交換ができればもっと気持ちが楽になれたのかなと思います。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

これから大切な家族を看取る人に伝えたいのは、「後悔はしないようにしてほしい」ということ。


私が体験したケースのように本人の意思を尊重することがいいのか、家族が望むように過ごしたほうがいいのかはわかりません。ただ後悔だけはないように、ひとつひとつの岐路や選択を大切にしてください。


残り限られた時間、できるだけ長く一緒にいてあげてほしいと思います。本人に対してはメンタルの動きを注視してあげることが大切だと思います。


強い人ほどカモフラージュしがちで、でも内心では不安定になってしまう瞬間があるはず。ささいな変化や反応を見逃さず、細やかに寄り添ってあげてください。


長い闘病生活が続くと、ご家族も疲弊してくるかもしれません。疲れると本人への当たりが強くなったり、うまく接することができなくなったりします。


医療関係者や民間サポート、行政団体など頼れる場所を見つけて、上手に頼れたらいいのではないでしょうか。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

とにかく「ありがとう」と、最期に言えなかったひと言を伝えたいと思います。


祖母の強さ、優しさ、思いやりが今でも私の人生の支えになっているし、尊敬しています。


こんなことを言ったらきっと怒るだろうけれど、最期に立ち会えなくてごめんなさい。


またお墓参りに行きますね。