私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
穏やかな最期

穏やかな最期

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
まいこ さん (女性)
28歳 会社員 広島県
看取られた方
叔父
uncle
享年 72歳
主な疾患 脳性まひ
闘病期間 60年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

看取りはとくに前触れもなく、おやすみと言って寝てから、そのまま起きないというものでした。


そのため、非常に穏やかな最期であり、本人が苦しむこともなく、主治医からも老衰の判断を受けています。


本来、幼少期の病気をきっかけとし、寝たきりになった人は短命であるため、ここまで長生きできたこと、そして苦しむことなく老衰で最期を迎えることができたことは、とても恵まれているケースであると医療関係の方々や、福祉サービスでお世話になった方々にはたくさん言っていただきました。


そういったことも関係するのかは分かりませんが、家族としても「大事にしてあげられたよね」という達成感や満足感が強く、最期を受け入れることができています。


寝たきりになってから40年ほどあり、全介所の必要性があったため、家族介護をしてきた年数が長く、介護疲れも感じることはありましたが、それでも毎年の叔父の誕生日に「今年も無事に誕生日を迎えることができて良かった」とみんなで話すことができていたので、良い距離感を保ちながらバランスの取れた家族介護ができていたのではないでしょうか。


コミュニケーションを取ることができなかったため、叔父本人がどのような最期を迎えたいかは聞くことはできていませんでしたが、表情はとても穏やかで、優しい顔をして息を引き取っていたため、これで良かったのではないかと家族としては感じ取っています。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

叔父は私が生れた時には既に寝たきり状態であり、言葉を発することもできない状態であったため、言葉を介してのコミュニケーションはとったことがなく、性格を正しく感じ取ることができていたかは分かりません。


しかし、30年近く関わってきたなかで感じ取ることは、心が穏やかで我慢強い人ではありました。


自分ができないことが多くても、決して人にあたることは無く、自分のなかで消化しているような人で、介護をしていて嫌な気持ちになるようなことはひとつもありませんでした。


寡黙で、人への感謝を忘れない人だからこそできたことなのではないかと感じています。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

生れた時はごく普通の人であり、何も病気も障害もありませんでした。


しかし、幼い時に高熱を出し、その高熱がきっかけで次第に身体が思うように動かなくなっていき、言葉も発することができないようになりました。


高熱が出た時から、寝たきり状態になるまでにはおよそ15年の日々があったと聞いています。


私が生れた時には既に寝たきり状態であったため、昔の様子は自分自身の目では見ることができていませんが、親族からの話によると、若いころは一人で杖や車いすがあれば近場の範囲で出かけることもできていたようで、積極的に外に出ることが多かったようです。


人とのコミュニケーションも特に嫌がることはなく、自分自身が動ける範囲では日常生活も可能な限り自立して行うことを意識していたようですが、発症から15年ほどをかけてゆっくりと病状が悪化を辿りました。


最終的には、まったく動くことはできず、寝返りも自分ではできず、関節も固まっていたため、スプーンを握ることや文字を書くこともできませんでした。

やってよかったこと What are you glad you did?

コミュニケーションは言葉を通じて取ることはできなかったのですが、家族として身近に暮らし、表情をしっかり見ていると、家族には目の奥の開き具合や顔色、かろうじて出せる「ああ」という声のかすかな変化で、体調やメンタル的な状態が感じ取ることができていました。


そのため、毎朝しっかりと本人の顔を見て「おはよう」の挨拶をし、今日の天気や気温が分かるように窓をしばらくは開けて会話をしたことで、叔父の日常において家族との関りが少しでもとれることは良かったことだと思っています。


まだ本人の体力がある若いうちは、寝たきりの状態でもベッドを高くすると、口でペンを加えて文字を書くことができていました。


そのため、私が子どものころは、文字でやり取りすることもできていましたので、本人ができることはなるべくやらせてあげる方向で関わることができたのは家族にとっても良かったことだと感じています。


文字が書けるのも一生ではないことは分かっていたので、その時にできることは何でもさせてあげることができ、本人を尊重することができて良かったです。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

寝たきり状態になってからは、車いすに乗ることもできないような身体の硬直具合でした。肘や膝の曲げ伸ばしも介助をしたとしても難しい状態であったため、外出が全くできませんでした。


本人も行きたいと言うことや、行きたそうにすることもなかったのですが、叔父は40年ほど家の外に出ることはなく、自室での生活しかできませんでした。


当時は、やはり、移動手段のことや、人手のこともあり、仕方がないとは思っていましたが、やはり、看取ってからはもっと出かける機会を設けてあげたらよかったなと感じています。


しかしながら、あの状態で外に連れ出すのは非常に難しいため、最善の方法は今でも見つかってはいませんが、生きている間に身近な家族との思い出を作るための工夫は、もう少しできたのではないでしょうか。


正直なところ、叔父のような病気であれば、本来は短命であり、寝たきりになってから数年で亡くなる方がほとんどであるにも関わらず、叔父は寝たきりになってから40年ほど生きることができたため、それだけ家族みんなで大切に介護ができたという部分は達成感のようなものは感じています。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

きれいごとでしかありませんが、もっと、社会が障がいを受け入れやすいと良いなと感じます。


寝たきりの人と一緒に外出ができなかったのは、やはり周囲からの目も気になっていたからです。


家族に、障がいや病気がある人がいると、可哀想となかなか受け入れてはもらえず、、これから生まれてくる子たちにも同じような病気があるのではないかと言われることもありました。実際に、自分自身が結婚する際にも気にされた部分ではあります。


特に遺伝性のある病ではないにしろ、家族である限り、いろんな声を受け入れないといけない部分があるため、もっと様々な人が共に過ごしやすい共生社会が広がると嬉しいです。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

寝たきり状態の家族を介護することはとてもしんどいことだと思います。


コミュニケーションを取ることも難しいと、介護をする側としても自分だけでできることは非常に少なくなり、本人も何を思っているかが分からないため、ネガティブになりやすいと思います。


だからこそ、協力してもらえる家族がいれば、協力体制を整えて家族介護を進めていくことがとても大切になるのではないでしょうか。また、福祉サービスを利用し、家族が辛い時は休息を取ることも大切です。


介護してもらう側にも、気を遣わせないように、正直に気持ちを伝えて、「少し休憩させてもらうね」と言って介護から離れる時間がときにはあっても良いと思います。


苦しい気持ちや、疲れている状態で介護をしていても、きっと相手に伝わってしまうと思うので、決して無理することはなく、家族介護をしていただけると嬉しいです。


また、看取りといっても、コミュニケーションを取ることが難しい状態であると、なかなか本人の理想の看取りも難しく、思い悩むこともあるかもしれません。


ご家族での関わりによってそれぞれ変わる部分もあるとは思いますが、ご家族皆様が「これまでの介護を献身的にやりきった」と思えるような方法で看取りをしていただけると十分なのではないでしょうか。


ご家族らしい姿で、少しでも長く時間を過ごしていただきたいです。