私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
20歳の冬、父を看取ったあの日

20歳の冬、父を看取ったあの日

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
五十嵐理恵 さん (女性)
21歳 学生 新潟県
看取られた方
父
father
享年 76歳
主な疾患 脳腫瘍/腎がん
闘病期間 5年 5ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

父の最後は地元の診療所で看取りました。


 

毎日毎日、仕事終わりに母と一緒に父に会いに診療所に行っていました。すれ違う車も少ない、診療所までの真っ暗な夜道を運転していると、心が蝕まれるような感覚になっていたのを今もよく覚えています。


 

病室に入って母と一緒に父にたくさん声をかけました。もうこの時はすでに父は受け応えができる状態ではありませんでした。


 

ですが、まだ意識はあり、父特有の小さくて子供のような目でじっとこちらを見つめ返してくれました。手を握ると、握り返してくれる時もあり、私と母の心は救われるような思いでした。


 

ただ、誤嚥性肺炎で入院しているため、肺炎が悪化しないよう何も食事ができず、お腹が減っているのか咀嚼する様に口を動かす父を見るのはとても心が苦しかったです。


 

そして、入院から1ヶ月も経たないうちにその時は訪れました。その日、私は仕事帰りにいつも通り父に会いに診療所に行きました。あの時、なぜか父の呼吸がいつもより荒かったのを覚えています。


 

(これは後に調べてからわかった事ですが、死前喘鳴というもので、亡くなる前の末期ガン患者におこる症状だそうです)一抹の不安を感じましたが、今日はたまたま具合が良くないのかもしれないと思い、そのまま帰りました。


 

それから深夜の2時、スマホに着信がありました。慌てて跳ね起きて確認すると、それは母からの電話でした。


 

母は昨日から診療所に寝泊まりしていたので、その日も診療所にいました。


 

「〇〇ちゃん、早く来て」切羽詰まったような母の言葉に私はついにその時が訪れてしまったのかと瞬時に理解しました。


 

胸が締め付けられるような思いになりつつも、冷静にならなくちゃと落ち着いて返事をしました。「わかった。親戚にもくるように連絡する?」というと母から「今はしなくていい」と返ってきました。


 

「お父さん息してない。もう......来ても遅いから」その言葉を聞いた瞬間頭が真っ白になりました。


 

母が私に電話をした時、すでに父は息を引き取っていました。母も看護師に起こされて気がついた時には父は息をしていなかったそうです。電話を切って急いで車をはしらせました。


 

あの日、診療所までの道のりが、いつもより異様に長く感じました。まだ肌寒い4月だったのに、異様に汗をかいたのを覚えています。


 

病室に駆けつけた時、母が父の病室に立っていました。病床に臥せる父はまだ眠っているかのようで、死の匂いを感じさせませんでした。


 

ですが、もう父は息をしておりませんでした。その姿を見た瞬間涙がこぼれ落ちました。


 

「お父さん、もう死んでいるの…?」母に問いかけると、母も涙を流していました。


 

いつかくるだろうと思っていた瞬間が、思っていたものとは違う結果に終わってしまい、私と母はショックでした。父と最期の時を過ごしたかった。


 

父が逝くのを見守りたかった。それは今でも思うことです。


 

ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

父はあまり怒ったことのない穏やかな人でした。思い返しても怒られたような記憶は1回くらいしかありません。


 

姉も1回怒られた記憶はあったそうですが、理由は姉を守るためだったらしく、理由まで優しい父でした。(なので認知症になり、暴言を吐くようになったことはとてもショックでした)


 

また、普通の父親とは違う部分が私の父にはありました。それは普通の親に比べるとかなり高齢の親だったことです。


 

私が生まれた時にはもう父は58歳でした。良く祖父に見間違えられることもあり、私にとってはお父さんでもあり、おじいちゃんでもあるような人でした。

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

今から13年前に脳腫瘍を発症し、余命宣告まで受けた父でしたが、放射線治療や抗がん剤などの治療を重ねて治すことができました。


 

その後何回か再発することもありましたが、治療を受けて元気に退院することが出来ました。


 

しかし、4年前に脳梗塞、2年前に尿路感染症になって入院したことにより、徐々に体力が落ちて、完全寝たきりの状態になりました。


 

そしてさらに腎臓に悪性リンパ腫ができてしまったのですが、父や私たち家族の体力面を考えて訪問看護を利用しながら自宅で介護することにしました。その後肺炎になり地元の診療所に入院し、そこで父は息を引き取りました。

やってよかったこと What are you glad you did?

沢山父の写真を撮ったことです。入院中の姿も、母が父にご飯を食べさせている姿も、どんな些細な場面でも写真を撮るようにしていました。


 

それから父が息を引き取り、父が亡くなった事が信じられずしばらくショック状態が続いていたある日、父が初めて私の夢に出てきました。


 

そして私のスマホの中の画像を見て「こんなに沢山良い写真があるならアルバムを作れば良いじゃないか」と言ったのです。


 

目が覚めた後、スマホにある父の写真をアプリで印刷の注文をしました。(最近だとスマホの写真を安く印刷注文できたり、アルバムを作れたりするアプリが沢山あるのでおすすめです)数日後印刷された写真が届き、母と一枚一枚父の写真に目を通しました。


 

スマホの画面で見た時とは違う、生き生きとした、息遣いすら感じられるような父が写真の中に居ました。2人で泣きながら父の写真を見た事を今も良く覚えています。


 

父の写真を印刷したことにより、私も母も心の整理をつける事ができました。

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

誤嚥性肺炎や尿路感染症に気をつけて介護しておけばよかったと思いました。振り返るとこれがなければ父ともう少し一緒にいることが出来たのではないかと思います。


 

ガンに比べれば、介護する側の努力で避けられる病気ですし、もう少し介護に関して勉強しておけばよかったなと思いました。


 

末期患者だと体力が落ちて飲み込む力が弱っているので、自宅で介護している方は食べ物の粘度や素材に気をつけるといいと思います。

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

病院の対応がもっと柔軟だったらよかったのになと感じました。


 

父の入院のために1ヶ月に6回病院に行くこともあったのですが、12月でちょうど大寒波が襲ってホワイトアウトしている中での往復4時間の運転だったので、わざわざ行かなくてもいいものはリモートでできたらいいのになと思いました。


 

また、危篤状態のうちに連絡が欲しかったなと思います。やはり父の最期を看取れなかったのはショックでした。

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

大切な家族を看取るというのは非常に辛いことだと思います。


 

特に、前述したように、これから看取る家族の写真を撮ったり、写真を印刷することは、本当におすすめです。家族を失った後の心を驚くほど慰めてくれます。


 

また、家族がまだ受け応え出来る状態なら動画も撮ってみるのもいいと思います。私自身、父の声をもう一度聞きたくて悲しくて仕方がなかった時、昔撮った父の動画を見て心が慰められましたし、とてもおすすめです。

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed

お父さんへ


 

子供の時はおじいちゃんに良く間違われるお父さんが嫌で、友達みたいに若い父親がほしいと思っていました。


 

けれど、過ごせる時間が残りわずかだと感じるにつれて、父さんがもっと若ければよかったのにと思うようになりました。


 

もう心の整理がついたと思っていたけれど、こうしてお父さんと過ごした日々を回顧するとお父さんが恋しくて仕方がありません。


 

そういえば、父さんが亡くなってから会社を辞めて進学しました。


 

父さんの介護のためにイヤイヤ地元に就職したけれど、社会人経験があったからこそ本当にやりたいことを見つけることができました。今は新しい夢に向かって猛勉強中です。これからも私を天国から見守ってね。


 

ずっと大好きだよ。