[永田和宏さん]相聞歌が深めた絆

乳がんの妻と最期まで
歌人で細胞生物学者の永田和宏さん(64)は、妻で歌人の河野裕子さんを昨年8月に64歳で亡くしました。
乳がん発見から再発するまでの間には、夫婦の絆が揺らいだ時期もありましたが、短歌で気持ちを伝え、最期は自宅で家族でみとりました。それでもなお「もっと彼女に気持ちを伝えれば良かった」と話します。
面白い人やったなと思いますね。2人の相聞歌を集めた本「たとへば君」(文芸春秋刊)を今夏に出しました。出版にあたって出会いからの歌を数えると、40年で彼女が500首、僕は挽歌(ばんか)も入れて同じだけ相手のことを詠んでいる。我ながらその数に驚きました。恋の最中でもないのに、何で間断なく詠み続けたかと言えば、互いに相手が面白かったからだと思うのです。
今もつらい歌
夜中に2人でしゃべると、話がどんどん膨らむ。直球で考えを率直に言う彼女の前だと、僕も何でも話せた。自分の一番いい面を引き出してくれていたと改めて思います。
乳がんが見つかったのは、2000年9月。河野さんが左わきにしこりを見つけ、永田さんに「これ何?」と聞いてきた。知人の教授に診察を頼んだ。診察結果は、河野さんから直接聞く前に、電話で永田さんに知らされた。
一種の予感というか、ああやっぱりという感じがありました。病院から帰る彼女に道で会った時、動揺を悟らせないようにするのが精いっぱい。その時の僕を彼女は〈何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない〉と詠んだ。今でもこれはつらい歌です。
誤解で不和に
病気を知ってからの僕の態度はむしろそっけなかった。僕が彼女と同じレベルで心配したら、彼女はガタガタになってしまう、自分がしっかりしなくてはダメだという思いがあった。大変なことだと思いたくなくて、忙しい生活も変えませんでした。それが彼女の精神的な不安定さを呼び、家族がずたずたになるんです。
手術後の体の不調に加え、死への不安や孤独感が、人一倍繊細な河野さんの心をむしばんだ。眠れずに睡眠薬を常用し、副作用でもうろうとしながら、激しく怒って永田さんや家族を罵倒する――そんな嵐の時期が数年間も続いた。
温存手術だけれど乳房を切除して、女としての不安を抱えた彼女の前で、僕ものんきに別の女性をほめたりした。僕や家族が普通にのうのうと生活し、家の外で楽しく過ごしていると思って、許せなかったのでしょう。
誤解を解こうと話しかけると「あなたは理屈でごまかそうとする」、黙ると「ひきょうだ」と言われる。家の門まで来たのに帰りたくなくて、職場に引き返したことが何度もあります。子どもたちも離婚した方がいいと言ったけれど、それは考えませんでした。
数年間のしんどい時期を洗い流してくれたのは彼女の歌です。〈あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて〉。この歌がなかったら立ち直れなかったかもしれんなぁ。
精神科に通ってようやく落ち着いたのに、08年7月に再発。彼女の心がまた不安定になるかと心配しましたが、彼女は「とうとう来ましたか」と不思議と冷静に受け止めた。死についてずっと考えてきたからでしょう。
僕は動揺を隠す余裕もなかった。彼女の前で泣くこともあった僕に彼女は一体感を感じてうれしかったようです。
我々に残された時間は長くない。〈一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ〉〈歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る〉と歌を作りました。彼女が死ぬことを前提に歌を詠み、その歌が彼女の目に触れるのはショックだろうし、出すか出さないか迷いましたが、えいっと出した。面と向かっては話せなくても、我々は短歌を通じてキャッチボールをしていたと思う。
在宅でみとり
最後に京大病院に入院したのは昨年6月。抗がん剤治療も効果がなかった。ホスピスに移ることも考えたが、家で在宅看護を受けることを選び、7月に退院する。
彼女には生活の中にいてほしかった。薬袋やティッシュペーパーの箱にまで歌を書き付けていました。誰かが後で歌として拾ってくれるという信頼感があったのでしょう。作品として作ったのではなく、家族への、特に僕へのメッセージでこれだけは知っておいてね、と歌を残したのだと思います。最期は一人ひとり家族の頭をなでて抱いて、いいお別れをしてくれた。
今思えば、もっときれいだと言ってあげたかったし、歌人、妻、母として頑張る彼女をもっと褒めて喜ばせてあげれば良かった。人は誰かが見ていてくれている安心感がないと生きていけない。それが僕にとって河野であり、河野にとっては僕。一番大変で、一番面白くて。彼女がいない物足りなさを感じています。(聞き手・大森亜紀)
◇ながた・かずひろ 1947年滋賀県生まれ。京都大学再生医科学研究所教授を経て、現在は京都産業大学総合生命科学部学部長。「塔」短歌会主宰。若山牧水賞など多数受賞。2009年紫綬褒章受章。息子の淳さん、娘の紅さんも歌人として活躍。
◎取材を終えて 病人の前で心配をかけまいと強がるのか、一緒に病を嘆き悲しむのか。永田さんの体験は、病人と暮らす家族が直面する正解のない悩みだと思う。
河野さんの絶筆は〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉。かけがえのない人を残して去るせつなさが胸を打つ。2人の歌集やエッセーが、相次いで出版されている。相手を思い合う2人の姿にひかれる人が多いのだろう。
*2011年11月13日


