[金子稚子さん]夫が望む通りの日々…「仕事続ける」一心に支え

11/01 (土) 07:12更新


 新聞やテレビで活躍した流通ジャーナリスト、金子哲雄さんは2012年10月、41歳で亡くなりました。「病気を隠して仕事を続けたい」と在宅での終末医療を選んだ哲雄さんの望みをかなえようと、妻の稚子さん(47)は、最後まで夫のそばで支え続けました。

結婚10年目

 11年6月のことです。役員を務めていた広告制作会社での仕事中、夫が電話してきて、いきなり「末期の肺がんだって」と言いました。頭を殴られたようなショックで、思わず立ち上がって「うそ!」と叫んでしまいました。

 2人は、編集者だった稚子さんに哲雄さんが「本を出版したい」と相談したことがきっかけで知り合い、結婚。その後、哲雄さんは消費者の目線に立った流通ジャーナリストとして、マスコミで引っ張りだこになった。忙しいなかで激しいせきに悩まされ、胸部検査を受けた。結婚して10年目を迎えていた。

 検査入院の結果、悪性の腫瘍が肺をむしばむ「肺カルチノイド」と診断されました。肝臓や骨などにも転移していました。数千万人に1人という珍しい腫瘍で、医師に「今すぐ亡くなっても驚かないほどの末期」と言われました。

 私は「仕事を休んで治療に専念してほしい」と思いました。ただ、夫は、子どもの頃から思い描いていた「お買い得情報を伝える」という仕事が軌道に乗ってきたところです。夫は「病気を隠して仕事をすることにしたから」と私に宣言しました。

 仕事が生きがいの人だったので、それを奪うことはできませんし、自分の命をどのように使うかを決められるのは夫だけです。仕事を続けると決めたのなら、その希望を支えたいと決心しました。会社を辞めて時間の融通の利くフリーの編集者になり、夫に付き添うことにしました。


石垣島でサイクリングを楽しむ稚子さん(右)と哲
雄さん(2008年撮影、稚子さん提供)

 夫の知人に紹介された大阪の病院で、腫瘍につながる血管をふさいで小さくする治療を受け、腫瘍は9センチから3センチになりました。別の病院で放射線治療も受け始め、夫は「生き続けられる気がする」と喜びましたが、肺の手術で一時入院するなど、体調は次第に悪化していきました。

尊厳の一線

 家で稚子さんと過ごすことが好きだった金子さん。最後まで自宅で自分らしい生活を送ろうと、在宅医療の体制が整っているクリニックの医師の診察を受け、12年7月半ばから在宅医療が始まった。

 夫は朝晩シャワーを浴びるほど清潔好きだったので、毎日の入浴はとても大切な時間でした。酸素濃縮器のチューブをつけたままキャスター付きのいすに座り、私が浴室まで押していきました。

 最初は自分で髪を洗っていましたが、下を向くと息が苦しくなるため、次第に「髪を洗って」と頼まれるようになりました。入浴だけで疲れるのですが、「気持ちいいなあ」と喜んでいたので、この楽しみを奪うことは考えられませんでした。

 排せつを自分でするかどうかは人間の尊厳の最後の一線だと思うので、「ケアが楽になる」とわかっていても、本人が望まない以上、おむつを使うという選択はありませんでした。し瓶もほとんど使っていません。入浴と同じようにいすを使ってトイレに移動し、便座に座るのを手伝います。その後は、近くにいることを望むので、ドアを半分閉め、座って本を読みながら待っていました。

 ケアでへとへとになることもありましたが、「彼の望みは全てかなえる」という一心でした。

 夫が深夜に目を覚まし、「おれの人生は無駄だった」と話し始めたこともありました。学校で勉強したり就職して身につけたりしたことは、全て「生きるため」のもので、「死ぬため」のものは何もありません。「今までやってきたことが全く通じない」という無力感と、体験したことのない死への恐怖に直面していたのだと今ならわかります。でも、当時の私は横に座って背中に手を当て、聞いていることしかできませんでした。

 夫はテレビには出演できなくなりましたが、「周りに同情されたり仕事が来なくなったりするのは嫌だ」と病気のことは公表せず、電話でラジオに出演したり、インタビューに答えたりする形で最後まで仕事を続け、「終末期」という時間を生き抜きました。

社会に問う

 12年10月1日。金子さんは主婦向け雑誌の電話インタビューに答えた後で寝入った。深夜に呼吸のリズムがゆっくりに変わり、止まった。いつも診察に来ていた医師が往診し、翌2日、死亡を確認した。

 終末期、夫は在宅終末医療や死の迎え方についての原稿を書き、死後に「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(小学館)として出版されました。私も、夫の命日の今月2日に「LTN」という会社を作り、夫をみとった体験を基に、在宅終末医療や死について社会に考えてもらう活動を始めました。

 姿形は見えなくても、夫は今も一緒にいて、「あの世担当が夫」「この世担当が私」と役割分担している気がしています。(聞き手・吉田尚大)

 ◇かねこ・わかこ 1967年、静岡県生まれ。出版社や広告制作会社に勤務。編集者だった2002年、金子哲雄さんと結婚。哲雄さんの死後、介護や死について考えたことをまとめた「金子哲雄の妻の生き方 夫を看取った500日」(小学館)を出版した。

 ◎取材を終えて 「姿形が見えなくなっても、今も一緒にいるような気がする」――。このように強く結びつくまでには、金子さんとのどれほど深い心の通い合いがあったのだろうか。死について話し合うことを避けず、金子さんから「あの世とこの世はあまり変わらないような気がする」という心情を聞き、「死は終末期の後の通過点」という死生観を共有するに至ったからこそ、死別から2年が過ぎても夫婦で居続けられるのだろう。

*2014年10月19日

ヨミドクター = 文