Stories of each family
~ 家族が語る 最期の物語り ~
家に帰って来るはずだったのに…

家に帰って来るはずだったのに…

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
たま さん (女性)
43歳 サービス業 石川県
看取られた方
義父
father-in-law
享年 69歳
主な疾患 肺血症、脳出血
闘病期間 2年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

義父は亡くなる10年ほど前に交通事故に遭い、後遺症で首から下に麻痺が残りました。


しかし懸命なリハビリにより自立歩行や車の運転もできる状態まで回復しました。


一進一退を繰り返してはいましたが、亡くなる2年前、クリスマスを目前に自力で歩くことが困難になりました。かかりつけ医に診察してもらいましたが「歳のせいだと」とのこと。


その診察結果に納得いかず、A病院という別の病院でセカンドオピニオンを予定していました。


前日より車いすも手配し、診察を予約していた前日の夜、別居していたのでなんとなく家に電話したところ「今様子がおかしい」と義母からの第一声。


すぐに実家へ駆けつけ義父の状態を確認したところ、義父は意識もあり受け答えもしっかりしていましたが、何か変なぞわぞわ感があり、夜間病院への受診を勧めました。


しかし「明日行くからいいよ。」「今何ともないから大丈夫」の一点張り。私も簡単には引きません。


何とか説得し病院へ行ったところ、一過性脳虚血発作と診断されました。心臓にも異常があるかもしれないとのことでしたが、状態は落ち着いているので明日診察に来てくださいと言われました。


翌日、A病院に受診した結果、心臓の弁に異常があり、手術が必要と診断されました。家族で悩み抜いた結果、治ると信じて、遠いけどもっと大きなB病院に転院し手術をうけました。


手術は成功し、もう少ししたら家に帰って来れるねなどと話していた矢先、原因不明の発熱や下痢症状に襲われ、結果として肺血症(血液に細菌が入り、発熱や頭痛がでる重い症状)を起こしていました。


肺血症の症状は落ち着きましたが長期間寝たきり状態だったため、筋力が落ち、再度リハビリからのスタートとなりました。


遠くのB病院からリハビリに特化している近くのC病院に転院し、私たちはある程度自立ができるようになったら帰って来れると信じていました。


暑い夏が終盤にかかってきたころ、義母の所にC病院から連絡がきて、私にも義母よりすぐに連絡がはいりました。仕事を抜け出して義父の元へ駆けつけ、私が一番に病院に着きました。


義父は自発呼吸が弱くなっているのとのことで、会話はしましたが、意識が混濁しているようでよくわからない会話でした。


呼吸器を入れて一命をとりとめましたが、それにより、会話ができなくなりました。この日が義父と会話した最後の日となりました。沢山の山場を越え、呼吸器によって呼吸も安定し始めた矢先のことでした。


お見舞いで見た義父の様子に違和感があり、看護師さんたちに様子がおかしいと訴えたのですが、軽くあしらわれてしまいました。


その日の夜、意識がなくなったと連絡がはいりました。脳出血でした。A病院に転院したものの、何もできないと…。


代わる代わる義父に付き添い、涙し、時には昔の話をして笑ったり…。最後は義母と子供達と私に見守られ旅立っていきました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed