Stories of each family
~ 家族が語る 最期の物語り ~
64歳、引退目前に脳出血で倒れた父との1年

64歳、引退目前に脳出血で倒れた父との1年

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
菅田なほ さん (女性)
40歳 会社員 大阪府
看取られた方
father
享年 65歳
主な疾患 脳出血
闘病期間 1年 1ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

私の父は10月末に脳出血(左側)を発症、救急車で兵庫県内の急性期病院に運ばれました。


脳室ドレナージなどの手術を行い、翌日0時頃に手術は終了しました。同日の夕方頃、再度脳出血(右側)を発症し、再手術を行いました。


一時は意識が戻らないかもと言われていましたが、1か月たつと、まばたきで簡単な意思疎通ができるようになりました。ただ現在の病院は急性期病院のため、3か月しか入院できませんでした。


3か月後、父は兵庫県内の療養型病院に転院しました。しかしここも3か月間しかいられません。この療養型病院は、とても良い病院でした。熱心に言語聴覚士の方が嚥下訓練をしてくれました。理学療法士も作業療法士もついて、リハビリも毎日してくれたのです。


次第に父の目に力が宿るようになりました。てんかんもなく、簡単な意思疎通もできるため自宅介護ができるのではないかという話になりました。そして退院後の自宅介護に向けて準備を進めました。


実家を売却し、兵庫県から大阪府に引っ越し、小さな家を購入しました。(私や母の姉が大阪府内の同じ市に住んでいたため)


また、介護保険を利用して、ドアを引き戸に変更したり、障害者手帳を取得したり、介護認定を申請して、要介護5に認定されました。退院時は院長をはじめ、スタッフの方が大勢見送りに来てくれ、温かい気持ちになりました。


そして在宅介護が始まりました。訪問診療、デイサービス(お風呂)、リハビリ、ショートステイ、訪問看護を利用しました。


アットホームな雰囲気で、お風呂に入れるデイサービスは特に気に入っていたようでした。ポータブルトイレを借り、トイレの練習も始めました。自宅ではTVを見たり、音楽を聴いたりして過ごしていました。


しかし10か月後、父はてんかんを起こしました。その場で救急車を呼び、大阪府内の急性期病院へ運ばれました。脳梗塞の疑いがあるとされ、検査入院となりました。


脳梗塞はなかったものの、痰(たん)が出るようになってしまいました。さらに「脳梗塞ではないので、すぐに退院してほしい」と言われました。


痰を自宅で吸引する機械を取り寄せるのには時間がかかります。痰の吸引器が届くまでの繋ぎのつもりで、母の自宅近くの療養型病院へ転院しました。その病院は薄い布団しかありませんでした。また、いつも同じ姿勢で、体位交換された形跡がないと母から聞きました。


しかし「吸引器が届けば退院できるから、波風立てずにおこう」と病院にはクレーム入れませんでした。クレームを入れることで、何もできない父に報復があるのが怖かったのもあります。


食事も薬も最初のうちは口から摂取していましが、胃ろうからの注入へと変わっていきました。吸引器が届き、いざ退院というタイミングで「肺炎を起こしかかっているので肺炎が収まるまでは退院できない」と言われてしまいました。


肺炎は収まらず、病状は悪化しました。病院なのに床ずれが起き、ストレスによる下血の症状もみられました。検査すると腸の潰瘍(大腸の炎症)を起こしていました。このままでは父を苦しめるだけと転院先を探しましたが、胃ろうがネックになり見つかりません。


自宅介護前に入院していた療養型病院のソーシャルワーカーに転院したいと手紙を出したところ「診断情報提供書と看護サマリーがあれば受け入れは可能」と返信が来ました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed