もっと伝えたかったありがとう。ずっとかっこよかった私の兄。
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
兄は地元を離れ遠方で暮らしておりました。
私は地元で小さい子供もいるため、簡単に身動きが取れなかったので、テレビ電話を使用しての看取りでした。私以外の兄弟と両親、兄の家族がその場にいて、私は画面上で兄の様子を見守る形でした。
旅立った後は悔しさや悲しさ、もどかしさと、もう楽になれるねという安堵感の入り混じった複雑な気持ちでした。あの場にいた全員が同じ気持ちだったと思います。
兄とは全く会えなかったという訳ではなく、亡くなる2週間前に「会いに来てほしい」と連絡がきたので子供たちと兄の家まで行き、会っていました。そして両親に子供たちを預け、兄弟だけでカフェに行き話をしました。
小さい頃は毎日一緒に遊んで過ごしていたのに、大人になってからこんな風に一緒に出掛けたのは、15年間で5回もなかったと思います。
病気になる前にも地元に帰省する機会はあったのですが、照れくささもあり会話をしたり出掛けたりすることに気が乗りませんでした。
今となってはもっといろいろと会話をしておくべきだった、一緒に思い出をもっと作っていたらよかったと思います。
思い返すと、帰省してきた兄が急に太っていたり、次の帰省では痩せていたりと違和感はあったのですが、気のせいかと思い本人に深く聞いたりしませんでした。
様子の変化や違和感があれば、病院にすぐ行けとまでは言わなくても、一言急に変わったけど大丈夫?」くらいは伝えていてもよかったのかもしれません。
(実はそのくらいの時期に、兄は友人に血便が出ているという話をしていたそうですが、心配かけるといけないから家族には黙っていてと言っていたそうです)
なのでどんなに小さな違和感も見逃さずに、本人も黙っていることもありますのでこちらから声をかけるということが必要なのだと思いました。
カフェで兄弟だけで話したとき「自分はもうあともって半年くらいだ、これで会うのは恐らく最後になる、こんな形でなにもしてやれることもなく申し訳なく思っている、お父さんとお母さんを頼んだ」というような話をされました。
そんな話は聞きたくなかったのですが、辛く苦しい治療をずっと耐えてきている兄に「もっと頑張ろう」とか「そんなこと言わないで」とか軽々しく言うこともできず、なるべく笑顔で話そうと努めている本人の前で泣きわめくこともできず、ただ「わかった」と頷くことしか私にはできませんでした。
ただただ一緒にいる間はありがとうの言葉だけは多く伝えるようにしました。
それからわずか2週間で兄は旅立ってしまいました。最後の日は、たまに起き上がって水分をとったり、家族や会いに来てくれた友人と会話をしたりしていました。
夕方、疲れたから横になると言ったきりなかなか起き上がってこず、家族が様子を覗き込んだ時にはせん妄状態になっていたそうです。そのときに私に電話が掛かってきました。
意識がなく呼びかけにも応答せず、目が横を向いたり上を向いたりとせわしなく動いていました。
私は驚いてしまい体が震え、最初は電話越しに「どうしよう、兄が死んでしまう」と、うろたえることしかできませんでした。
しかし何か伝えなくてはと思い、「頑張ったね、本当によく頑張ったね。ありがとう。」と泣きながら話していました。兄は亡くなる直前に奥さんの方を向き「頼む!頼む!」と言葉を遺しました。
何を伝えたかったのか、その真意はわかりませんが兄にはまだ小さい子供たちがいるのできっと子供たちのことでしょう。最後まで家族思いであった兄は、大事な家族に囲まれて旅立ちました。