自由に過ごしたい気持ちを尊重した暮らしとは
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
吉澤さん(仮名)はまだ若く、身体的にはとても元気で活発な方でした。しかし認知症の進行が早く数分前のことも忘れてしまうので、関わり方がとても難しかったです。
帰宅欲求の強い方で、勝手に外に出てものすごいスピードで歩いてどこかへ行ってしまうことなんて毎日でした。追いかけても怒鳴るので、目の届く範囲で遠くから静観するしかありませんでした。
お金の管理もご自身でされていたため、ご自宅に帰れないかわりに「買い物へ行きたい」という希望はできる限り叶えるようにしました。週に何回か、食材の買い出しに行くのですがそれに同行してもらい近くのお店で文房具や雑貨などを購入しました。
塗り絵がとても得意な方で、影をつけながら立体的に色塗りをして私たちにも真似できないような才能を開花させていました。しかし、午前中に買い物をして帰宅するとすぐに買い物に行ったことを忘れ、また午後から「買い物に連れて行ってくれ」との要求があります。
どうしても行けないときは、趣味の将棋を教えてもらったりして過ごしていただきました。
機嫌が悪くなると怒鳴って玄関を飛び出してしまうこともありましたが「あれ?吉澤さんじゃないですか!偶然!どこか行かれるんですか?面白い場所を知ってるなら、よかったら私も連れてってください♫」と20代という武器を活かして甘えてみると「付いてこい!」と一緒に見守りをしながら散歩をすることに成功しました。
また、距離感覚をわかっていないため「おかしいな?バス停がないぞ?店もないぞ?」と悩まれます。そんな時は「吉澤さん、私、体力がなくて疲れちゃいました。お茶飲んでからまた出ませんか?」と声をかけると「それは大変だ。一旦休憩にするか。」と納得してグループホーム(GH)へ戻られるのでした。
GHから少し歩いて長い階段を登ったところに小さな神社みたいなところがあり、2人でそこへ行った際に参拝の仕方を教えてもらったのが印象的です。本殿の周りを回るのはこのとき初めて知りました。夏の暑い日に近所の八百屋まで買い物に行くと「これ、やるよ。」と自動販売機でジュースを買ってくださったり、とても可愛がってもらいました。
入居当初は思い通りにいかないと怒鳴ったり暴れたりしていましたが、次第に穏やかになり、周りの入居者や職員とも関係が作られていきました。買い物や散歩も「いま人手が足りないので少し待ってもらえますか?」と声をかけると納得してくださるようになりました。
相変わらず買い物はよく行くのですが、認知症が進行して買ったことを忘れて同じものを何個も買おうとしたり、お金の計算ができずに千円札ばかり出すため小銭がものすごく溜まっていったりと気になる点は増えていました。あるとき、往診で異常が見つかり病院に受診することになりました。
確かに傾眠(弱い刺激で意識を取り戻す程度の、軽度の意識障害の一種)することが増えていたし足の浮腫も気になってはいたのですが、ずっと寝ずに動きっぱなしだったためかと思いあまり気に留めていませんでした。
病気は進行していたようで、肝臓の悪さから浮腫が出て(トイレも自立のため尿量のチェックができていませんでした)脳に酸素が回らないため傾眠が増えてきているとの診断でした。少しの浮腫があっという間に全身に広がり、手足にとどまらず顔までまん丸に浮腫んでいきました。
傾眠の時間がどんどん長くなり、寝ている時間のほうが長くなりました。しかし本人に具合を訊ねても「どこも悪くない」と言われます。そのため日常生活は普通に送っていました。まだ心配するほどではないのかな?と思っていました。しかし次の受診では待ち時間や先生の説明の時間もずっと傾眠していて浮腫もすごく、黄疸も出ていて「あと少しの命」と言われてしまいました。
ご家族の希望は「本人には最期まで自信を持って自由に過ごしてもらいたいため病気のことは告げず、最期はGHで看取って欲しい」とのことでした。夜間、無呼吸になることが増えてきたので、気にしながら巡回に行っていました。最後の日は私が早番で出勤すると「吉澤さんまだ寝てるよー」との申し送りがあり、5分後に夜勤者が見回りに行くと舌根沈下(仰向けの状態で舌が沈んで気道を塞ぐ状態)で呼吸が停止していました。
ご家族の希望通り延命はせずに、そのまま主治医に死亡確認をしてもらいました。