グループホームで亡くなるということは
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
新田さん(仮名)は陸軍から帰還後、国鉄に勤務。国鉄を定年退職後は市役所の臨時職員として勤務していました。とても真面目な性格で、曲がったことは嫌い。優しいですが頑固な方でした。外出はあまり好まれませんでした。
歩行器を使って外に出る時に、職員が付き添おうとすると、大声を出して怒鳴ることもありました。居室にこもっている時間が長いとどうしても妄想的になってしまうようです。「ここにあった◯◯がないじゃないか!どこに隠した?!」と急に怒鳴られたこともありました。入社したてで初めて入居者と関わった私はとてもびっくりしてしまいました。
それでも調子がいいときにはリビングに来られ、笑顔でコーヒーを飲みお菓子を食べていました。とても満面の笑みで美味しそうに食べていたのが印象的です。元々、他の入居者とはあまり関わる方ではなく交流も少なかったため居室で過ごす時間が多く、外出やレクリエーションに誘っても参加されなかったので、ますます引きこもりになり妄想的になっていきました。
持病でいくつかがんの手術をされていたのですが、経過観察などはせずに過ごされていました。歩行器を使用して歩行していたのが車椅子になり、トイレも行けなくなってオムツになりました。
調子がいいとベッドに座って好きなものを食べたり飲んだりできました。しかしほとんど寝たきりで、尿、便失禁が増えました。身体的な援助が必要なため、ベッド上で着替えの介助をし、シーツ交換をする日々でした。また、車椅子でお風呂まで連れて行ってシャワーだけをするときもありましたが、グループホーム(GH)は一般浴槽のためなかなか介助なしでは入浴が難しく悩ましかったです。
妄想?夢?幻覚?で、大きな声で叫ばれることもありました。その都度対応はしますが会話はほとんど成立しません。それでも呼ばれたら居室へ行きましたし、呼ばれなくても様子を見に伺いました。
月に1回医師の回診はありましたが、病院で診てもらうことはなかったので詳しい状態はわかりませんでしたが、次第に意識のなくなる時間が増えてきました。食事が摂れなくなり、看護師さんが付き添っている間は点滴で栄養を補給することもありました。
水分が摂れず口腔内がカラカラだったため、スワブ(口腔用スポンジ)に水を含ませて唇付近を濡らしたりしました。暖房をつけているので居室が乾燥しないように、洗面器に水を張り枕元に置きました。空気の換気も適宜行いました。気休めですができることはやったつもりです。
ある日から呼びかけにも反応がなくなり、排泄もほとんどなくなってきたため死期が近いのでは?と職員で話し合い、そして巡回をよりこまめに行くようにしました。
私が夜勤のとき、5分おきに呼吸を確認していましたが、夜勤が半分くらい過ぎた頃に行くと呼吸は止まっていました。
すぐにリーダーに報告、隣のユニットから職員が来て救急車を呼び、救急隊が来るまで心臓マッサージを続けました。しかしそのまま目を覚ますことはありませんでした。翌朝、主治医に死亡確認をしていただくと、がんが全身に転移していたことがわかりました。
GHでの看取りは初めてのことでまだ体制が整っておらず、またご家族などと契約書を交わしていなかったため「居宅での不審死」という扱いになり警察が来て事情聴取を受けました。入居者が亡くなる場面に遭遇したのは入社してから初めてでした。私も動揺しており、そんななか警察にいろいろ話を聞かれるのはあまりいい気はしませんでした。
「私が殺してしまった?」「私のケアが悪かった?」と自分を責めることもありました。しかしご家族は感謝の言葉を述べてくださいました。他職員にも「◯◯さんが一緒だったから安心したんだよ。選ばれたんだよ。」との言葉をいただき気持ちが少し軽くなりました。
働き始めてすぐの経験で衝撃でしたが、新田さんにはいい学びの機会を与えてもらったと感謝しています。