長いようで短かった介護
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
私は、22歳の時に実の親以上に愛情を注いでくれた祖父を亡くした。
祖父の家は私の実家から歩いて5分ほどの場所にあり祖母と私と3人で住んでいた。
当時18歳だった私は、大学に通っていたが、勉強についていくことが出来ずに大学を中退した。中退してからはとくにやることもなくやりたいこともなく家でダラダラ過ごしていた。学生時代から真面目に過ごしていた私にとって学校を中退するのは大変つらく、親との関係も悪い私にとって近所の目が気になって外に出ることもできなくなっていた。
そんな矢先に、祖父の胃がんが見つかった。祖父は、数か月前からよくごはんを残すようになっていた。以前は私とお菓子を奪い合うくらい食欲旺盛だったのに段々食欲もなくなってきた。胃の痛みを訴えるようになり病院を受診した。
私の父、つまり祖父の息子は「もともと我が家は胃がん家系だから、俺も将来胃がんかなぁ」などと呑気なことを言っていた。母はこれからのことを考えてかなり不安な表情を迎えていた。祖母はショックでしばらく寝込んでいた。
当時65歳だった祖父は手術という選択肢が出来たので、本人に病状を伝え、手術を受けることになった。術後は2年近く抗がん剤治療をしていた。食事は術前に比べてかなり気を遣うようになり、祖母は毎日献立に頭を悩ませていた。私は、できる限りのことをした。
自宅にはホームヘルパーも来るようになった。私は、アルバイトをしながらホームヘルパーの資格も取得して介護をした。
術後は、すっかり食欲が減ってきたが、大好きなお饅頭だけはいつも食べていた。糖尿病もあったのでほんとうは甘いものは控えてほしかったが祖母は祖父がおいしそうに食べる姿を見るとついつい、お饅頭を買ってしまうのだといっていた。
祖父はいつも「もういつ死んでもおかしくないから好きなものを食べる」と言って寝る前もよく食べていた。
手術から3年ほど経過したときに、胃がんは再発した。今回は他の臓器にも転移して範囲も広い為、手術は難しく自宅で療養することになった。と言っても見た目はちゃんと立っていつも通り食べているように見えた。
もともと、祖父はあまり弱音を吐くような人ではなく、無口でずっとテレビを見ているような人だったのでいつ何が起きてもおかしくないというようなことを言われてもピンとは来なかった。
しかし、ある日の夜に祖父は急に立てなくなり便器まで這いつくばりながら行くようになった。布団の近くにポータブルトイレを設置しても、祖父は必ずトイレまで行くようになった。そこから、オムツを使用するようになるまでは早かった。
祖母は自分も腰は痛いし足も悪いのに看護婦さんに教えてもらいオムツ交換もしていました。料理があまり好きでないのに、必死に料理を作っていました。
祖父の骨は重くて祖母一人でのオムツ交換はかなりきつく、私と一緒にすることが多かったです。寝たきりになってからは祖父は祖母にだけきつい言葉をかけるようになった。なので、二人はいつも喧嘩していた。
しかし、祖母が祖父の介護を投げ出すことはなく、私と祖母は協力しながら介護をした。祖父の胃がんが再発してから1年半くらいたってから、祖父の様態が急変し病院へ搬送されることになり、祖父はそのまま息を引き取った。