~ 家族が語る 最期の物語り ~
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
私の父はすい臓がんで2022年に2月に亡くなりました。
私が母から父が癌だと知らされたのは2021年の9月でしたが、病気の進行が早く、知らされてから5か月後には終末病院に入院していました。
それまでは実家のベッドでほとんど横になっている状態で母が仕事をしながら看病していました。病状は悪いものの状態は横ばいで、亡くなる前日までは母と私はもう少し持つんじゃないかなどと話していました。
しかし次の日の朝一で病院にいる母から連絡があり、父が危篤状態に入ったと知らされました。急いで病院に行き、個室の部屋に案内されると、変わり果てた父の姿がありました。
鼻に呼吸器をつけられて、目をうつろにし、一点を見つめ、口を開けて苦しそうに息をしていました。そして時折身体に強い痛みを感じたときに、もがき苦しむように身体をねじって、うめき声をあげていました。母が父のまだ少し暖かい手をさすっていました。私も父の腕をさすりました。
母が東京にいる弟とLINE電話をして、父の状況を知らせました。ビデオをつなげて画面越しに危篤状態の父を見た弟は何も言えないでただじっと父を見つめ涙を流していました。
私の妹はその日、産院で長期入院の末のお産で、午前中に無事元気な男の子を産んだのですが、母がその報告を危篤状態の父を看ながら受けました。
県外の弟と出産後の妹は来ることができなかったので、父の最後の看取りは母と長女の私が担いました。午後を過ぎた頃から午前中のように痛みで動くこともなくなり、単に呼吸だけをしている状態になりました。そしてだんだんと呼吸の間隔が長くなり、その日の16時頃、父の呼吸は永遠に止まりました。それが私が人生で初めて人を看取った瞬間でした。
亡くなること自体は残念で悲しいことでした。しかし私には、父が長い苦しみからやっと解き放たれたように見えましたし、不要となった体を魂が脱ぎ捨てたように思えてなりませんでした。そして看病していた母も泣きこそしたものの、肩の荷が下りたように思えました。父が一番きつかったでしょうが、やはりそれを看病する母も精神的にきつそうでした。
父が亡くなってからは夜中まで病院で手続きがあり、父の遺体は葬儀場に運ばれて行きました。全ての手続きを終えて荷物をまとめ、病院を出るとき、お医者様や看護師さんたちが皆暗い中で深くて長いお辞儀をしていました。
その光景が、なぜか今でも目に焼き付いています。本当に父の人生が終わってしまい、長かったような短かったような闘病生活の終わりを表していたからかもしれません。