父であり母であった父へ
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
高齢化社会といわれる現代で、正直66歳という若さで父を看取る事になるとは思ってもいませんでした。今回父の看取りを通して、改めて命の尊さと儚さ感じました。そして、個人として家族としての人生のあり方を見つめ直す、よいきっかけとなりました。
私は父が倒れて4ヶ月程時間が経ってから、再会する事ができました。
倒れたと連絡がきた時は、「1日でも早く会いたい」と思っていたのに、なぜかその時は正直会う事が「怖い」という感情しかありませんでした。きっと私の中の父は、元気で優しく微笑んでくれる姿しか想像がつかず、病に伏している父の姿など想像できなかったからだと思います。
そしていざ父と再会した時、全身的に痩せ細り視線はどこに向いているのかわからず、両腕は曲げた状態で、両手を握りしめ胸の上に置いていました。右足は伸びきったままで、左足は膝が曲がったまま拘縮しているようでした。
そんな状態の父と再会した時、思わず涙が溢れました。覚悟はしていたものの、やはりそこには私の知っている父の姿はありませんでした。
動揺した気持ちを抑えきれないままでしたが、10分間という短い面会時間を無駄にしないよう、私はそっと父のベッドサイドへ歩み寄り、父の耳元で色々なお話しをしました。
長女が無事に1歳を迎えた事、次女も元気いっぱいに生まれ生後100日を迎えた事など誰よりも1番娘の成長を楽しみにしてくれていた父には、たくさん娘達の話をしました。そして、父の体に触れマッサージをしました。
父と触れ合う事で幼少期の頃の父との思い出が走馬灯のように蘇ってきました。幼い頃から海が大好きだった私。父はそんな私を休みの日にはよく海に連れて行ってくれました。
一緒にシーグラスを探したり、お魚釣りをしたり、水際で貝を拾ったり、そして何より青い空の下で海を眺めながら父の握ってくれたおにぎりを食べる事がすごく幸せでした。
幼い私や兄を抱っこしたり、ギュッと抱きしめてくれた筋肉質で太い腕、たくさん繋いだ大きな手。今では過去の面影もないくらいに痩せ細ってしまっていましたが、父への感謝の気持ちを込めながらマッサージをしました。
できる限り面会に訪れ、携帯電話で娘達の動画を見せてあげたり、日頃の様子をお話したりそれが今の私にできる最大限の親孝行だと思い、そんな日々を2ヶ月間ほど続けました。
そんなある日の正午頃、急変の連絡がありました。私が病院に到着した時には、すでに父の心臓は止まっていました。急変時に関しても救命処置等は一切希望せず、私達家族が到着するまでの酸素投与のみお願いしていました。
ベッドに横たわっている父はすごく優しい表情をしていて、穏やかに眠っているようでした。兄は旅立った父をみて大粒の涙を流しました。
父と兄は対立する事が多く、冷たく接してきた事をすごく後悔していたからです。だからこそ父が倒れてからというもの、少しでも親孝行ができたらと父のお世話は率先して兄がしてくれていました。
きっとその思いは父に届いていて、私には父と兄の間にあったわだかまりがすーっと解けていくように感じました。
兄も私も「父が元気だった頃に、もっとこうしてあげていればよかった」と後悔している事はたくさんあっても、今回の看取りに関しての後悔は全くありません。
看取りに関して正解などなく、看取りをする方の数だけの看取りの方法があって、本人また自分達家族にとって納得のいく、後悔のない選択こそが正解なのだと思いました。
旅立ってゆく人、残される家族、両者が幸せになれるように限られた時間を有意義に過ごす事が大切だと身を持って感じました。