Stories of each family
~ 家族が語る 最期の物語り ~
看病から看取るまでの経験で感じた気持ちと行動

看病から看取るまでの経験で感じた気持ちと行動

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
なつこ さん (女性)
43歳 サービス業 千葉県野田市
看取られた方
father
享年 74歳
主な疾患 肝臓がん
闘病期間 1年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

私の父は2016年肝臓がんが見つかり、2017年1月に亡くなりました。


1月は父の誕生日月で、74歳を迎えた誕生日から数日後に亡くなりました。

2016年の年初め頃から、首が痛くて、寝返りが打てないと話していました。


元々C型肝炎を患っていて、無呼吸症候群もあり、本人も大したことはないと思っていたようです。

その年の春頃から、病院に通院し、全身の検査をしたところ、肝臓がんだとわかりました。


肝臓がんは、脳の血管、腰骨にも転移していました。8月と9月に肝臓と脳の血管の手術、11月に放射線治療をしました。手術では、悪いところはすべて摘出し、放射線治療も治療計画通りに進んでいました。


次の治療を試みると2017年はじめに入院したのが最期となり、治療や検査をしないまま亡くなりました。2017年はじめの検査入院時、がんはすでに全身に転移しており、主治医からは、「施しようがなく、このまま自宅には戻れません。こちらの病院で看取って下さい」と説明されました。そして余命宣告を受け、どんなに長くても、あと1週間、2週間だと告げられました。


父には、主治医より、少し治療や入院が長引くことと、体の今の状態を説明してもらいました。余命宣告の話はしませんでした。余命宣告の話を聞いたのは、私のおばさん(父の妹)と私です。その後、父の兄弟が駆けつけ、亡くなるまで毎日病院に通いました。


そして入院から1週間、多少体の痛みや苦しみはあったのだと思いますが、苦しむこともなく、静かに目を閉じ亡くなりました。亡くなった時間が早朝で、私は前の日の夜から病院で付き添っていました。


看取ったのは私と(父の弟)私のおじさんです。看取る前の日の昼間、親族を通じて病院から電話があったと連絡を受けました。「危篤状態で、呼吸が浅いので、すぐ来てください」と言われ、病院へ駆けつけました。


夜まで付き添いましたが、病院の面会時間が近づき、私は1度帰宅しました。病院の規則で、夜、深夜の付き添いは男性の方にお願いしたいと言われました。


病院スタッフも数が少なくなり、目が行き届かなくなり、患者も男性だったこともあり、私は1度帰宅し、おじさんに任せることにしました。私が家についた頃、おじから連絡をもらい、再び病院へ行きました。


そして看護師さんに様子を説明してもらい、病室でともに過ごしました。父の呼吸が薄くなるにつれて、体につけている心電図モニターから緊急を知らせるランプと音が鳴り響いていました。まさに医療ドラマにあるような数字モニターが「0」になり、呼吸が止まりました。正直、ドラマの中の世界にいる感覚でした。


私は、自分が中学生の時、母が42歳で、卵巣がんで亡くなっています。看取ることはできませんでしたが、亡くなった母が家に帰ってきて、寝ている姿を見ました。なので、亡くなる姿に驚くことはありませんでした。父ががんだとわかったとき、亡くなるという覚悟はできていました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed