看病から看取るまでの経験で感じた気持ちと行動
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
私の父は2016年肝臓がんが見つかり、2017年1月に亡くなりました。
1月は父の誕生日月で、74歳を迎えた誕生日から数日後に亡くなりました。
2016年の年初め頃から、首が痛くて、寝返りが打てないと話していました。
元々C型肝炎を患っていて、無呼吸症候群もあり、本人も大したことはないと思っていたようです。
その年の春頃から、病院に通院し、全身の検査をしたところ、肝臓がんだとわかりました。
肝臓がんは、脳の血管、腰骨にも転移していました。8月と9月に肝臓と脳の血管の手術、11月に放射線治療をしました。手術では、悪いところはすべて摘出し、放射線治療も治療計画通りに進んでいました。
次の治療を試みると2017年はじめに入院したのが最期となり、治療や検査をしないまま亡くなりました。2017年はじめの検査入院時、がんはすでに全身に転移しており、主治医からは、「施しようがなく、このまま自宅には戻れません。こちらの病院で看取って下さい」と説明されました。そして余命宣告を受け、どんなに長くても、あと1週間、2週間だと告げられました。
父には、主治医より、少し治療や入院が長引くことと、体の今の状態を説明してもらいました。余命宣告の話はしませんでした。余命宣告の話を聞いたのは、私のおばさん(父の妹)と私です。その後、父の兄弟が駆けつけ、亡くなるまで毎日病院に通いました。
そして入院から1週間、多少体の痛みや苦しみはあったのだと思いますが、苦しむこともなく、静かに目を閉じ亡くなりました。亡くなった時間が早朝で、私は前の日の夜から病院で付き添っていました。
看取ったのは私と(父の弟)私のおじさんです。看取る前の日の昼間、親族を通じて病院から電話があったと連絡を受けました。「危篤状態で、呼吸が浅いので、すぐ来てください」と言われ、病院へ駆けつけました。
夜まで付き添いましたが、病院の面会時間が近づき、私は1度帰宅しました。病院の規則で、夜、深夜の付き添いは男性の方にお願いしたいと言われました。
病院スタッフも数が少なくなり、目が行き届かなくなり、患者も男性だったこともあり、私は1度帰宅し、おじさんに任せることにしました。私が家についた頃、おじから連絡をもらい、再び病院へ行きました。
そして看護師さんに様子を説明してもらい、病室でともに過ごしました。父の呼吸が薄くなるにつれて、体につけている心電図モニターから緊急を知らせるランプと音が鳴り響いていました。まさに医療ドラマにあるような数字モニターが「0」になり、呼吸が止まりました。正直、ドラマの中の世界にいる感覚でした。
私は、自分が中学生の時、母が42歳で、卵巣がんで亡くなっています。看取ることはできませんでしたが、亡くなった母が家に帰ってきて、寝ている姿を見ました。なので、亡くなる姿に驚くことはありませんでした。父ががんだとわかったとき、亡くなるという覚悟はできていました。