行けなかった映画のチケット
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
父が余命宣告を受けたのは亡くなる2週間前でした。
父は以前、胃癌を患っており、治療は一度成功しました。しかし、2年ほど経ってから腹痛を訴えるようになりました。半年ほど経過していよいよ耐えきれなくなった父は病院へ。
検査結果はピロリ菌と診断され、しばらくは薬での治療を受けていました。ですが、症状は一向に収まらず、むしろ悪化し続けました。泣く泣く2度目の検査を行ったところ、癌再発と通告されました。
発見された時には既にステージ4まで進行しており、残り1ヶ月生きられるかどうかという事でした。
けれど、この時の父は確かに腹痛を訴えているとはいえ、まだまだ自分で車を運転できるぐらい元気で、到底命の危機が迫っているようには見えませんでした。「きっと今回も平気だろう。」と、どこか安堵していました。
父に余命の事は伝えず、闘病生活から1週間ほど経った頃、見舞いに行くとそこには痩せ細った父がいました。どうやら胃がもう食べ物を受け付けられる状態ではなく、点滴で栄養摂取を与儀なくさせられた状態でした。
少し胸に一抹の不安がよぎりましたが、私の好きな作品の映画のチケットを「病院の受付けで配っているの見つけた」と言って、笑顔で「治ったら一緒に行こう」と見せてくれた父の笑顔を見て「大丈夫。父は絶対に治る」と、自分に言い聞かせました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
それから数日後の夜、「今夜が峠だ」と連絡が入りました。半信半疑のまま、母と弟と3人で知り合いに車を頼み、病院へ向かいました。暗い病棟の中を足早に駆け、父の病室に向かいます。
この時の私は「まだ父は死ぬ筈はない」「きっと治るだろう」「だって今までだってなんとかなってきたのだから」———…必死にそう思おうとしていました。けれど、病室に入って目にした父は、数日前の姿とはかけ離れていました。
呼吸器をつけて苦しそうにしながら生死を彷徨う姿。入院してからというもの食事を摂る事が出来ず、頬はこけ、まるで棒のようにやせ細った真っ白な四肢になってしまった体。
現役時代、肌を浅黒くしながら外で立派に働いていた父の面影は残ってはいませんでした。病室に仄かに漂う甘い異臭に軽くめまいを覚えながらその光景をただひたすらに見守り続けました。
病室の中までついてきていた知り合いが重い雰囲気を変えようと軽く持参していた食べ物を配ろうとしました。その時、今までベッドに臥していた父が突如起き上がり、目を見開いてそれに手を伸ばそうとしていました。もう限界だったのでしょう。食べずにいる事がどれほどつらい事なのか、父の姿を見て痛いほどに伝わってきました。
生きたい、生きたい———…声は聞こえなくとも強く願う声が聞こえてきたように感じ、「どうにか生きてほしい」それだけを願いました。ですが、現実は酷く残酷でした。
父は静かに息を引き取りました。その瞬間、私は自分でも情けなくなるほど涙が止まらなくなりました。まるでドラマのワンシーンのように人前なのにも関わらず「まだ行かないで」と叫び続けました。
いつもは気丈な母も、反抗期でずっと父と気まずい状態だった弟も大粒の涙をぼろぼろと溢して動かなくなった父を見つめていました。それが父との最期のやりとりでした。