頑張り屋さんの祖父と最後の時間
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
脳梗塞を発症し約4週間入院、その後自宅に帰って約1週間経ったころに息を引き取りました。
病気の始まりは突然で、普段通り過ごしていたとある夕方、言葉を発することと、体の右半分を動かすことができなくなり緊急搬送となりました。
いきなり倒れた、転倒した、などではなく、始めは本当に「なんとなくおかしい」程度の症状でした。
病院に運ばれてから数時間は、麻痺した右半身を引きずりながらも頑張って歩こうとしていましたが、その後様態が急変。
数日間、様態は安定せずいつ息を引き取ってもおかしくないような状態が続きました。
そんな日々を超えたころ、詳しい検査結果が分かり脳梗塞と判明。
様態は安定したのですが、嚥下障害に陥ってしまい何も食べることができない、お水も飲むことができない状態となってしまいました。
右半身の麻痺も残っており、言葉も発することができません。
幸い文字は書くことができたのですが、本人が思っているようには書くことができず、書いては消して、そんな仕草を繰り返していました。
延命治療を行うか、自然な形でこのまま看取る体制に入っていくか、私たちは決断をしなくてはならず、何度も家族で話し合いました。
決断に大きな悩みを感じたのは、私たち家族が本人と「最期」についてのお話をしていなかったからだと思います。
決断をしなくてはいけないとき、本人と意思疎通ができなかったので、祖父が「どんな形を望むのか」を私たちは本当に理解することができませんでした。
元気なうちに少しくらいは聞いておけばよかったと、今も少し後悔しています。
結果的に本人の性格を考えて、私たちは自然な形でこのまま看取ることを選びました。
コロナ禍の対策もあり、面会時間は本当に短いものでしたが最期の時間を大切にしたいと思い毎日病院に通いました。
毎日の短い時間、ジェスチャーでコミュニケーションをとる中で、ただ一つ「自宅に帰る」ことに対しては本人からすごく大きな意思を感じました。
「家に帰りたい?」と何度聞いても大きく頷き、その為に車いすに頑張って乗ってみたりと、強い意志を見せてくれました。
そこから、私たちはすぐに家に帰すための手配や準備を始めました。
退院日の調整、訪問医療の手配、介護ベッドの搬入、ありがたいことにすべてスムーズに決まっていき、脳梗塞発症から約1ヵ月後には自宅に戻ることができました。
自宅では、在宅ワークをしている私と、パートタイムで働く母が中心となり、お世話をすることになりました。
とはいえ、私たち家族は介護経験が無く、毎日初めてのことだらけでした。
正直に言うと、自宅に連れて帰ろうと決断したときは不安もいっぱいでした。
ですが、入院していた病院のサポート、訪問で診てくださるお医師様や訪問看護さんの支えがあって、最後までそばで見守ることができました。
自宅で過ごした期間は約1週間でした。
その間、頑張って車いすに乗って、お見舞いに来てくれた人に元気な姿を見せたり、自宅の一部屋一部屋を回って何かを思い出すかのようにじっと眺めていました。
少しずつ、様態が悪くなっていき最期の瞬間は家族に囲まれて息を引き取りました。
寂しがり屋だけど、一人で頑張ることが多かった人生。最後は家族でそばに居ることができて、結果的に本人にとって幸せな形での看取りになったと思います。