大好きなおばあちゃんとの大切な時間
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
父方の祖母は90歳で亡くなりました。
私はおばあちゃん子で、孫の私をとても可愛がってくれていました。60代で脳梗塞を発症、左半身付随となった祖母はリハビリを頑張りびっこをひきながらも一人で歩いて普通に生活出来るまでになっていました。でも2回目の脳梗塞になってしまい歩行が困難になり車椅子生活になりました。そんな中、祖父も膝を悪くしてとうとう二人で生活するには難しくなってしまいました。
祖母が80歳を過ぎた頃、マンションの4階から1階に引っ越し、一緒に住むことになりました。祖父は別の親戚の家へ行くことになり、離れ離れになりました。あんなに仲が悪く見えた二人ですが、寂しさからずっと泣いていたそうです。それを聞くと胸が苦しくなりました。
その頃私は家を出ていたのと仕事がとても忙しく、近い距離にいましたが実家にはなかなか帰っていませんでした。たまに帰ると、ベッドに横たわっている祖母が頑張って起き上がってくれておしゃべりな私の話にニコニコしながら耳を傾けてくれました。大好きなひんやりした手をさすりながら毎回おしゃべりしていました。
それから私は結婚し、式をあげる時は祖母に来てもらうためにバリアフリーの場所を探しました。当日は車椅子で来てくれてずうっと泣いていた祖母。私が子供を産んだ時は、転んで骨折してしまい施設に入所しました。
共働きの母が休みの日に必ず行くので、たまに付いていってはひ孫を見せに行きました。「かわえ~な~」と穏やかな表情で撫でたり話しかけてみたりしてくれて、何度も会いに行きました。私が二人目を出産した頃、風邪をこじらせては入院を繰り返すようになっていました。
育児でなかなか会いに行けず、行こうと思っていた矢先に、「施設にみんな集まって」と母から連絡がきました。子供達二人を連れて施設へ行くと痩せて小さくなった祖母がゆっくり呼吸をして寝ていました。3歳の息子はその姿にびっくりしてなかなか近づけず。でも、ひーばーばだ、というのは分かっていて。手をつなぐ事ができました。
始めて下の生後3ヶ月の娘を連れてきたので「おばーちゃん、なかなか来れなくてごめんね。ひ孫産まれたよ、女の子だよー!おてて触ってね!」と手を握らせてみました。すると、びっくり!!びくともしなかった祖母が、一生懸命目を開けて、眼球を動かしてひ孫を見ようと頑張ってくれました!嬉しくて泣いてしまいました。結構長い時間、目を開けてじーっと見ようとしてくれていました。
夜遅くなり、父を残して一旦帰ることに。きっと朝には…。明け方、父からLINEが来ました。ゆっくりと、何度か息を静かに吐き、息を引き取ったそうです。
祖母は仏教の宗派の関係で斎場は決まっていました。私は良く分からなかったのですが、両親が大変そうにしていました。でもお通夜で、棺桶の中にいる穏やかに眠る祖母に最後のおしゃべりをして、お花を添えて、次の日に火葬場でお葬式をしました。息子と二人でお骨を壺に入れ、最後のお別れをしました。
最後は苦しまずに静かに亡くなっていった祖母。父も、寂しそうな、ホッとしたような、なんともいえない気持ちだったようです。そして、うちの息子ですが、3歳で人が亡くなる場面を体感してから、1年経ったころでも良くお葬式の話をしていました。
ある日、急に泣き出したので「どうしたの?」と聞くと「僕も死ぬの?怖いよ」としくしく。死という未知の世界に恐怖を抱いていました。大丈夫よ、と抱きしめることしか出来ませんでしたが、3歳の子供には受け止めきれない出来事なのだなと、考えさせられました。
今は実家に帰るたびに、仏壇の前で写真を見ながら話しかけるのが私のおきまりです。