父の希望に添うということ
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
私の父は、若いころからとにかく医者嫌いで、「死にそうになったら何もしなくていい」と元気な時から家族に話をしていました。
そんな父も60歳代でリウマチになってしまい、自宅で貴金属業を営んでいましたが、内服薬だけでは、進行を止められず、病気の進行とともに手先が不自由になり、仕事が出来なくなりました。
このような生活の変化もあり、徐々に物忘れもひどくなり、認知症を発症しました。ある日、夜勤明けにスマホを見ると妹から「今朝布団から起きてこない。熱があるみたいだから面倒見てやってほしい」とメッセージがありました。
家に帰り、しばらくすると家の前に救急車が止まりました。警察の方も一緒でした。事情を聴くと、荷物を配達に来た方が、父がフラフラであったことを気にして警察に相談してくれ、救急車を手配してくれたとのことでした。
そのまま入院し、検査をしてその結果大腸がんであることが分かりました。医師から出血も続いており、貧血も進行しているため手術を勧められました。
すでに認知症が進行していましたが、父に話をして手術は受けることにしました。人工肛門を作ったあとも、食事をしっかり摂れないせいか、輸血をしても貧血が改善されることはなく、ついに「手の施しようがない」とお話を頂きました。
血液検査の結果もかなり悪かったため、父の希望通り、自宅で過ごせるよう、MSW(医療ソーシャルワーカー)に勧められ、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴など使用できるサービスを使いながら自宅での生活が始まりました。帰宅してからの父は、食事も摂れるようになり、歩けるように回復しましたが、認知症の進行は著しかったです。
物を壊してしまったり、窓を開けて誰かを呼んでしまったりは毎日のことで、デイサービスなどからも「これ以上は面倒を見れません」と言われてしまうこともありました。
日頃仕事で行っていることでも、自分の家族となると100%の感情が動くので、認知症の進行は私たち家族の精神状態にも影響がありました。家族内での言い争いも増え、介護疲れが明らかに出ていましたが私たちの精神状態が父にも影響してしまい、ご飯を食べないことや不穏症状が強く出る日も増えました。
このままではいけないと妹と一緒に、何とか探し出した相談先は、小規模多機能施設でした。こちらの医師や看護師はすぐに父の希望と私たちの現状を把握してくれ、対応してくださいました。そのおかげで共倒れせず、私たちも心の余裕を取り戻すことが出来ました。
ちょうどその頃、父が溺愛していた弟が亡くなりました。弟と最後に合うことが出来、葬儀にも参列できましたが、認知症もひどく、身体的にも衰弱してきていた父には大打撃でした。そこからは転がり落ちるように衰弱していきました。
食事量が激減したときも、父の希望通り点滴もしないと方針を決めた時は正直娘としては葛藤が強かったです。それでも父の「死」を受け入れ、介護する日々でした。
父は亡くなる2日前もデイサービスへ行き、入浴と散髪をし、前日も一口だけでしたが大好きなウナギと白いイチゴを食べられました。点滴もせず、吸引の機会があったわけではないので少し苦しそうな時間もありましたが、最後を迎えた時は、本当に穏やかで寝ているようでした。
看取った後も小規模多機能施設の看護師さん、ケアマネージャーさんが来てくれて一緒にエンゼルケアを行いました。父が大事にしていた孫も一緒に体をふきましたが、病院では絶対に体感できない暖かく、優しい雰囲気でした。
自宅で看取ることはそれ相応の体力、情報、覚悟が必要ですが、家族内で抱え込む必要はなく、周りにこんなに助けていただけるのかと感謝の気持ちでいっぱいになる体験でした。
最後、遺体を搬送する時もご近所の方が一緒に車を見送ってくださり、悲しい気持ちだけではなく、本当に温かい気持ちになれました。