夏の日に旅立った父へ
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
29年前、父は糖尿病で亡くなりました。
父は亡くなる一週間前に余命を告げられ、糖尿病の末期状態のため、痛々しい程に痩せており、骨と皮だけの状態で、目はうつろで意識も朦朧としていました。
家族が呼び出され、医師から長くはないと告げられていたのに、意識が朦朧としていたはずの父が、亡くなる前の日は、驚くほど意識がはっきりとしていました。
それは一瞬の奇跡だったのかもしれません。
父は私に「スイカが食べたい」と言いました。
父にスイカの汁を飲ませると、病院から帰る時に「霧が濃いから気をつけて帰りなさい」と父が言いました。
今思えば、「濃い霧」は、途絶えてゆく意識だったのかもしれません。
外に出たら、霧など出ていなかったのです。
私は当時大学生だったので、大学のテストを控えており、実家から電車で二時間ほどかかる市にあるアパートへと、いったん戻りました。
しかし、とてもタイミングが悪いことに、その日の夜に父は危篤に陥り、AED等で蘇生処置を受けており、既に病院には家族が集まり、父の蘇生処置を見守るしかない状態でした。
痩せ細った父への蘇生処置は、社会人になりたての兄にとっては、目の前で起きていることに気を失うほど、ショックな光景だったそうです。
私は連絡を受け、震える足で急いで実家へと戻りましたが、無念なことに父の最期には間に合うことが出来ませんでした。
父の遺体は、目はうつろに開いたままで、涙の跡が残っていました。
お通夜と葬儀の時も、どんなに目を閉じようとしても、父の目は開いたままでした。
父は意識不明になる前に、唸るように祖母・叔父・叔母・兄の名前を繰り返していたそうです。妻である母と、娘の私の名前は、そこにはありませんでした。
父がなぜ、私や母の名前を呼ばなかったのかは、今でもわかりません。
このことは29年間、私の中でもずっと引っかかったままでいます。