Stories of each family
~ 家族が語る 最期の物語り ~
夏の日に旅立った父へ

夏の日に旅立った父へ

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
ふーちゃん さん (女性)
50歳 会社員 福島県相馬市
看取られた方
father
享年 56歳
主な疾患 糖尿病
闘病期間 20年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

29年前、父は糖尿病で亡くなりました。


父は亡くなる一週間前に余命を告げられ、糖尿病の末期状態のため、痛々しい程に痩せており、骨と皮だけの状態で、目はうつろで意識も朦朧としていました。


家族が呼び出され、医師から長くはないと告げられていたのに、意識が朦朧としていたはずの父が、亡くなる前の日は、驚くほど意識がはっきりとしていました。


それは一瞬の奇跡だったのかもしれません。


父は私に「スイカが食べたい」と言いました。

父にスイカの汁を飲ませると、病院から帰る時に「霧が濃いから気をつけて帰りなさい」と父が言いました。


今思えば、「濃い霧」は、途絶えてゆく意識だったのかもしれません。

外に出たら、霧など出ていなかったのです。


私は当時大学生だったので、大学のテストを控えており、実家から電車で二時間ほどかかる市にあるアパートへと、いったん戻りました。


しかし、とてもタイミングが悪いことに、その日の夜に父は危篤に陥り、AED等で蘇生処置を受けており、既に病院には家族が集まり、父の蘇生処置を見守るしかない状態でした。


痩せ細った父への蘇生処置は、社会人になりたての兄にとっては、目の前で起きていることに気を失うほど、ショックな光景だったそうです。


私は連絡を受け、震える足で急いで実家へと戻りましたが、無念なことに父の最期には間に合うことが出来ませんでした。


父の遺体は、目はうつろに開いたままで、涙の跡が残っていました。

お通夜と葬儀の時も、どんなに目を閉じようとしても、父の目は開いたままでした。


父は意識不明になる前に、唸るように祖母・叔父・叔母・兄の名前を繰り返していたそうです。妻である母と、娘の私の名前は、そこにはありませんでした。


父がなぜ、私や母の名前を呼ばなかったのかは、今でもわかりません。

このことは29年間、私の中でもずっと引っかかったままでいます。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families

旅立ったご本人へのメッセージ A message to the person who has departed