亡くなる前日に大切な人を呼び寄せた粋な旅立ち
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
父は6年前、手の震えが日常的になったため受診したところ、難病指定されているパーキンソン病と診断されました。
根本的な治療法がなく、選択肢は症状を和らげる薬物治療のみでした。ただ、パーキンソン病が直接の原因で亡くなることはないため、特に余命宣告はされませんでした。
手の震えから始まり、お箸が持てない、麺類をすすれない、方向転換ができない、転倒が増えるなど、年々できなくなることが増えていきましたが、亡くなる2か月前までは、まだひとりで手すりにつかまりながらトイレに行ける状態でした。
パーキンソン病を発症してから3年ほど経った頃、血尿が続いたため検査すると、初期の膀胱がんが見つかりました。
手術をすれば問題なかったのですが、パーキンソン病であることから、全身麻酔によって認知機能に影響が出るかもしれないとのことでした。もちろん、影響が出ない可能性もあります。
がんを取り除くことができても、目が覚めたときには自分が誰だかわからなくなっているかもしれないなんて…。
家族で何度も何度も話し合い、父の意向も尊重した結果、手術をしないことに決めました。一日でも長く、父が父でいるために選んだ結果です。
コロナ渦では父も感染してしまい、救急車が到着してから2時間以上も病院の受け入れ先が見つからない事態になりましたが、2つ隣の市の病院が受け入れてくれたため大事には至りませんでした。
しかし今年に入ってすぐに脳梗塞になり、誤嚥性肺炎も併発しており、自力で立つことも食事をすることも話すこともできなくなってしまったのです。
またここでも究極の選択を迫られました。 脳梗塞の治療をすれば膀胱がんが破裂する恐れがあり、直ちに命が危険にさらされるとのこと。
一方脳梗塞の治療をしなければ、次に脳梗塞が起きた場合は危険な状態になりうるということ。そして、次に脳梗塞がいつ起きるか誰にもわからないとのこと。
結局また治療をしない選択をしなければならず、このときの決断は胸が張り裂ける想いでした。
誤嚥性肺炎の治療だけしましたが自宅に戻れる状態ではなかったため、病院から医療対応型有料老人ホームに入居することになりました。
ホームに入居してしばらくしたころ、体調も良かったので外出許可をもらい、念願の一時帰宅をすることにしました。
自宅に帰った父は「オーオー」と何度も声を出して大喜び。 喜んでいる父を見て私たち家族も嬉しくなり、二度目の一時帰宅を計画しました。
二度目の一時帰宅の前日、コロナ渦でしばらく会えなかった親戚からたまたま連絡があり、事情を話すと父の一時帰宅にあわせて会いに来てくれることになったのです。
お正月に帰省できなかった私の息子も、父の一時帰宅にあわせて帰省してくれました。 家族、親戚、孫たちが待つ自宅に戻った父は、とても嬉しそうに一人一人の顔を見て満足気でした。
しかしホームに戻った後、あんなに元気そうだった父が発熱して呼吸の状態が良くないと連絡が入ったのです。
姉と二人であわててホームに向かい、ベッドに横たわった父が苦しそうにしているのを見たときは頭が真っ白になりました。
何か言いたそうに見つめる父に声をかけ、祈るように父の手や足をさすりながらも、どこかで「まだ大丈夫だろう」と思っていたことが不思議です。
その後呼吸は安定し、ウトウトと眠り始めたので「また明日くるね」と声をかけて自宅に戻りました。
しかしそれが、父との最後になってしまいました。
翌朝、ホームから父が呼吸をしていないと連絡が入りました。朝6時はまだ呼吸をしていたようですが、その後眠るように息を引き取ったそうです。
ホームに駆け付けたとき父はまだあたたかく、手を握ったら握り返してくるのではないかと思うほどでした。
息を引き取るとき、そばにいてあげたかった…。
眠るように息を引き取り、穏やかな顔をしていたことがせめてもの救いでした。