義父との別れ~約束を守ってくれた義父へ、ありがとう!!~
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
義父の看取りです。肺がんを患い、約6年ほどの闘病を経て看取りました。
肺がんの告知から最初の4年ほどは経過もよく、大好きな漁に毎日行き義母と二人三脚で漁師として生計をたてていました。
肺がんとは思えないほど元気で、よく釣った魚を送ってきてくれ、自分の手で釣った魚を息子や孫に食べさせることが生きがいのように感じていたと思います。その生活が義父にとっての何よりの治療だったと思います。
年に数回検査を受ける程度でしたが、4年ほどたったころから排せつがスムーズにできなくなり腹水がたまるようになりました。腹水を抜く処置は病院でしかできませんが、本人は痛みや辛さを口にしない性格のためか、あまり苦しいや辛いなどの言葉はありませんでした。
腹水を抜く処置をしたあとは元気にまた過ごせるため、まだまだ日常生活は問題なくできていました。ただ、排せつができない辛さはあったように思います。
亡くなる前の年の年末には家族みんなで帰省をし、親戚などと楽しくわいわいと食事し、楽しく過ごすこともできました。正直、その時には非常に元気でがんの進行もあまり感じないほどでした。
そこから1か月ほどたったころから少しずつ歩行困難や会話が少しかみあわないなど、認知症を疑うような症状が出始め検査を行うと、脳にがんの転移がみられるということでした。
治療法としては高齢でもあり、そのまま経過をみるか、手術をするかの二択でした。家族でいろいろと話し合いをしましたが、本人は「もう一度元気に元の生活を送りたい。そのために手術をしたい。」と強く願っており、本人の希望をかなえるため手術に踏み切りました。
その後退院をしたのですが、少しずつ経過が悪くなり、年齢的にもがんの進行は抑えきれませんでした。歩行困難、排せつ困難のために、おむつ着用、睡眠障害。
義母が高齢ということもあり自宅での看護は難しくなり、入院となりましたが医師からはがんの進行を抑えることはできず、あくまでも緩和治療的な入院であるという風に説明されました。
亡くなる1か月ほど前、いよいよ危ないとのことで連絡があり、仕事が大変忙しくとても会いに行けないという主人に「絶対後で後悔することになる。
今行かないと絶対ダメ!」と言い、私が代わりに仕事を請け負い、主人だけでしたが駆け付けることが出来ました。その時に「あと1か月頑張れば数年会えていない孫を連れてくるから頑張れ!!」と話したところ、嬉しそうに「頑張る。」との返事。
また主人が着くまでは寝たきりでしたが、主人が義父のために、がんにいいとされる装置を購入し、それを持参し試したところ1時間ほどで「気分がいいから散歩したい」と、車椅子で散歩することができました。そしてそこから1か月後息子を連れ見舞いに行き、義父は無事孫との対面を果たしました。大変うれしそうに喜んだそうです。
無事対面を果たした翌日、まるで主人との約束は守ったと安心したかのように義父は早朝、母、息子、娘、孫、弟、甥など家族に見守られ静かに旅立ちました。
正直不謹慎と思われるかもしれませんが、主人は義父の最期の時、そして通夜、告別式と大変多くの写真や動画を残しています。その時には辛すぎるものかもしれませんが、何年か経ち必ずいい想い出になると信じての行動だったのだと思います。
義父とのお別れから約5年がたちましたが、その時の動画や写真は今でも家族で義父を想い、懐かしく家族を癒してくれます。義父は最後、自身の生涯を静かに見守られながら旅立つことを幸せに感じていたのではないかと思います。