私の看取り体験談 ~ 看取った家族の物語り ~ Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
家族が語る「それぞれの最期」
「忘れられないおばあちゃんとの約束」

「忘れられないおばあちゃんとの約束」

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
佐々木正枝 さん (女性)
36歳 看護師 北海道
看取られた方
祖母
grandmother
享年 86歳
主な疾患 肺がん
闘病期間 0年 6ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

祖母は86歳のときに肺がんで亡くなりました。


大きな持病もなく元気に過ごしていましたが、亡くなる半年ほど前から「肩が痛い」と身体の痛みを訴えるようになりました。


しばらく自分でマッサージや湿布を貼って様子をみていましたが一向に良くなる気配がないため整形外科クリニックに行き診てもらいました。ですが、医師からは「加齢だろう。」と痛み止めの内服と湿布を処方されるだけでした。


その後、痛みは肩だけでなく背中や関節などあちこちに広がり、家の中でも部屋で過ごすことが多くなりました。


亡くなる一か月ほど前には食事ができなくなるほどあっという間に弱ってしまい、急いでかかりつけ医に往診にきてもらい、栄養失調と脱水が深刻ということで病院に入院することになりました。


入院先の病院で血液検査や全身のCT・MRIを撮りそこでようやく祖母の身体の痛みの原因がわかりました。それは、肺がんからくる骨転移が原因でした。ステージ4でした。両親の意向で祖母には告知せず、医師の申告通りそこから一か月程度で亡くなってしまいました。


祖母は優しくてとても穏やかな人でした。わたしの誕生日には毎年好物のおはぎを振舞ってくれ、風邪をひいたときは、高価な桃の缶詰を買ってきてくれました。いつも優しく接してくれる祖母がわたしは大好きでした。


我が家は少し特殊で、両親とわたしを含めた9人の兄弟、父方の祖父母の13人の大所帯で暮らしていました。そのため、祖母は母と協力しながら孫たちのお世話や家族の食事の支度、掃除、買い物などいつも忙しそうでした。どんなに大変でも愚痴一つこぼすことなく、黙々と働く女性でした。


わたしは祖母の病気が見つかり亡くなって今なお「なぜもっと早くに気づけなかったのか」という後悔をずっと抱えています。


自分が看護師という医療従事者であるにも関わらず一番身近な家族の変化に気が付くことができなかった悔しさ、祖母に身体の痛みをずっと我慢させ苦しい想いさせたという無念さが消えることはありません。


もっと早く病気に気づいて適切な治療をしてもらいたかったと思います。もっと早くに痛みの原因を突き止め、できるだけ辛い想いをさせないようにしてあげたかったです。


できるならもっとゆっくり祖母と時間を共に過ごし、その気持ちや言葉を聞いてあげればよかったと思います。


十分ではありませんでしたが、できてよかったと思うこともいくつかあります。当時、父は単身赴任、母もパート勤めが忙しかったためわたしが祖母の病院の付き添いをしました。


またご飯支度や食事も思うようにできなくなっていたため数日分の食事を用意し、休みや夜勤明けに実家に赴き食事や水分が十分とれているかみていました。病院に入院後は、余命が僅かということが判明してから単身赴任先から急いで父を呼び寄せました。


短い時間ではありましたが父は祖母と話しをすることができ、その後すぐに祖母の容態が悪くなり、最期を看取ることができなかった父にとってその時の面会が最後の会話となりました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families