優しかった祖母
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
祖母は2021年の1月に脳梗塞で倒れ、それから昨年亡くなるまでずっと入院していました。
丁度コロナ禍だったこともあり、本人の体調が落ち着いている間は面会は出来ませんでしたが、毎日の様に病院へ行って洗濯物等を届けたり、看護師さんに容態を聞いたりしていました。
その時は私自身、働いていなかったのですが、それでも毎日の様に病院に行く日々は結構大変でした。勿論、病気で入院していた祖母が1番大変でしんどい事は分かりきっていますが、やっぱり精神的にも肉体的にも大変だったように感じます。
祖母は一人暮らしをしていて、朝ベッドから起きられなくなり、救急車で運ばれ、診断が付き、入院という形でした。
入院初日は身体が痺れて麻痺していると言ってはいたものの、喋れていたので、ある程度の入院は覚悟しましたが、リハビリをすれば一人暮らしは無理でも家に帰ることができるのではないかなと、私含め家族は思っていました。
ただ、左側の麻痺があり嚥下にも影響があったので家に帰る事ができたとしても、祖母自身も家族もお互いに大変になるのかなとは漠然と考えていました。なので、入院初日の祖母を見て、そのまま亡くなるとは全く考えていませんでした。
入院初日はCCU(ICUよりは病態が重くはないが、重病な人が入る集中治療室)に入っていましたので、面会する事ができ、祖母とも少しだけ話す事ができました。
嚥下にも脳梗塞の影響があったので、痰が絡んだ様な声でしたが話せていましたし麻痺していない手で私の手を握ったりもしてくれました。そんな様子だったので、何回も言う様ですが本当にすぐに家に帰って来れるかなと思っていました。
でも、次の日には、嚥下機能が低下していて唾が飲み込めず、窒息し掛かけてしまい人工呼吸器を付けることになってしまいました。
それに伴って浮腫も出ていて、そのまま亡くなってしまうのかなと不安になりましたが、幸い人工呼吸器を外す事ができ(自発呼吸が少し不安定なので気管切開になってはしまいましたが)、一般病棟に移ることもできました。
ただ、もうその時点で、自分自身で身体を起こすことも、寝返りを打つ事も出来なくなり、いわゆる寝たきり状態になってしまいました。
食事も出来ないので、鼻から入れたチューブで栄養剤を胃に直接入れていました。トイレも自分では行けないのでオムツをしていたし、カテーテルを入れた状態でしたが、リハビリは積極的にやっていて、一時は車椅子に乗って病棟内を回れるくらいに回復しました。
その時には、ソーシャルワーカーさんからリハビリ病院へ転院しようかという話も出たりしていましたが、熱が出たり心拍数が下がったりで容態が安定しない状態でしたので、そのまま急性期病院に入院していました。それと同時に体調が不安定な時に限っては、家族が面会できる様になりました。
その頃、鼻から入れた経管チューブを自分で抜いてしまう事が続いていて、もう一度入れるのは凄く苦しくて負担が掛かってしまうので胃瘻にしようかという提案が先生からあり、2021年の9月ごろに胃瘻造設術を受けました。
またその頃は急性期病院での入院期間が180日を超えてくるあたりと重なり、リハビリの時間が極端に減ってしまい、ほぼほぼ寝たきりの状態になりました。
祖母は高次機能障害もありましたが、脳梗塞の場所が思考を司るところではなかったので面会に行けば私のことも家族のことも認識していて、気管切開で声が出せないので口パクですが、名前も呼んでくれました。
ただ、寝たきり状態が長くなるとその分心臓の負担も増えて心臓が疲れてしまって、心不全になりそのまま亡くなってしまいました。