すてきな人々と家族で支えた在宅介護
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
我が家の場合、亡くなる4年前から、状態が変わりました。
まず、急性腎盂腎炎を発症、カテーテル治療で排尿管理をしました。また、脈が遅くなり、心臓のペースメーカーを提案されました。
その時は拒否しましたが、翌年の早々に、胸が苦しくなり、緊急搬送。結局、心臓のペースメーカーの埋込み手術をしました。
1ヶ月にわたる入院生活で、状態は悪化しました。心臓本体はペースメーカーにより、元気ですが、元気なのは機械だけです。体力はガタ落ち、認知症も進み、介護度も3に上がりました。
トイレに自分で行けなくなり、立てなくなり、オムツに切り替えました。デイサービスで、機械浴をするようになりました。
翌年、浮腫が酷く、足の血流が悪くなり、再度入院しました。次に、家族で新型コロナウイルスに感染しました。
幸い、無症状だったので、入院はせず、自宅療養でしたが、後遺症はかなり残りました。免疫が弱くなり、その後、蜂窩織炎(ほうかしきえん)や帯状疱疹になり、入退院を繰り返しました。
その頃には、介護度もMAXの5になりました。今思うと、要介護3になった時点で、特養を真面目に検討するべきだったのではないでしょうか??
入退院を繰り返し、その都度、体力を奪われ、免疫も落ちていく。状態は悪くなる一方でした。
もちろん、食べる量も減っていきます。蜂窩織炎になった際、初めて内科の先生に、食べる量が減ってきたという事は、もうそろそろ、看取りをどうするか、家族でしっかり考えた方がいいと釘を刺されました。
今思うとそれが、余命宣告であり、看取りの案内だったのかもしれません。
それでも、我が家は在宅介護を続けました。ヘルパーさんを増やし、少しでも、介護しやすい環境を作りました。日に日に弱ってきて、寝ている時間やベッドで過ごす時間が増えました。
そして、デイサービスに行ったある日、反応がにぶい、意識レベルが悪いと、救急車で病院に運ばれました。症状として、体に水が溜まっている、高齢であり、持病もあり、積極的な治療は難しいとも言われました。
もちろん、コロナ禍なので、面会は出来ません。逢えたのは全部で3回でしょうか。意識が戻るのも一時的で、そのまま病院で生涯を全うしました。
状態が急変したと病院から連絡があり、家族全員が揃うまで、頑張ってくれました。最後の一人が病室に入り、声をかけた後に天国へと上っていきました。