私の看取り体験談 Last Shirahama Trip and Sushi
Stories of each family
~ 家族が語る 最期の物語り ~
すてきな人々と家族で支えた在宅介護

すてきな人々と家族で支えた在宅介護

Last Shirahama Trip and Sushi
看取った方
看取り体験者 (女性)
青い薔薇 さん (女性)
30歳 フリーター 埼玉県
看取られた方
同居家族の祖母
Grandmother of the family living together
享年 89歳
主な疾患 急性うっ血性心不全、敗血症
闘病期間 5年 0ヶ月
最期を迎えた場所 病院

どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか

我が家の場合、亡くなる4年前から、状態が変わりました。


まず、急性腎盂腎炎を発症、カテーテル治療で排尿管理をしました。また、脈が遅くなり、心臓のペースメーカーを提案されました。


その時は拒否しましたが、翌年の早々に、胸が苦しくなり、緊急搬送。結局、心臓のペースメーカーの埋込み手術をしました。


1ヶ月にわたる入院生活で、状態は悪化しました。心臓本体はペースメーカーにより、元気ですが、元気なのは機械だけです。体力はガタ落ち、認知症も進み、介護度も3に上がりました。


トイレに自分で行けなくなり、立てなくなり、オムツに切り替えました。デイサービスで、機械浴をするようになりました。


翌年、浮腫が酷く、足の血流が悪くなり、再度入院しました。次に、家族で新型コロナウイルスに感染しました。


幸い、無症状だったので、入院はせず、自宅療養でしたが、後遺症はかなり残りました。免疫が弱くなり、その後、蜂窩織炎(ほうかしきえん)や帯状疱疹になり、入退院を繰り返しました。


その頃には、介護度もMAXの5になりました。今思うと、要介護3になった時点で、特養を真面目に検討するべきだったのではないでしょうか??


入退院を繰り返し、その都度、体力を奪われ、免疫も落ちていく。状態は悪くなる一方でした。


もちろん、食べる量も減っていきます。蜂窩織炎になった際、初めて内科の先生に、食べる量が減ってきたという事は、もうそろそろ、看取りをどうするか、家族でしっかり考えた方がいいと釘を刺されました。


今思うとそれが、余命宣告であり、看取りの案内だったのかもしれません。


それでも、我が家は在宅介護を続けました。ヘルパーさんを増やし、少しでも、介護しやすい環境を作りました。日に日に弱ってきて、寝ている時間やベッドで過ごす時間が増えました。


そして、デイサービスに行ったある日、反応がにぶい、意識レベルが悪いと、救急車で病院に運ばれました。症状として、体に水が溜まっている、高齢であり、持病もあり、積極的な治療は難しいとも言われました。


もちろん、コロナ禍なので、面会は出来ません。逢えたのは全部で3回でしょうか。意識が戻るのも一時的で、そのまま病院で生涯を全うしました。


状態が急変したと病院から連絡があり、家族全員が揃うまで、頑張ってくれました。最後の一人が病室に入り、声をかけた後に天国へと上っていきました。


ご本人はどんな方でしたか What kind of person was he

病気はどんな経過を辿りましたか How did the disease progress

やってよかったこと What are you glad you did?

もっとこうすればよかった Things I'm glad I did

もっとこうだったらいいのに I wish it was more like this

この先 家族を看取る方へ伝えたい事 What I would like to convey to those who will be caring for their families