私たちらしい看取り
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
祖母の病気が分かったときには、かなり悪い状態にあることには間違いありませんでした。どんな治療をしたとしても、先はそれほど長くはないことを十分に分かっているような状況でもありました。
本人の希望もあり、治療はせず、自宅において最期を待つというような日々になりました。
そのため、住環境や家族介護など、大きく変化をすることもなく祖母と接することができる様子であったため、家族としては「祖母の好きなようにさせてあげよう」ということで一致しました。
そういった背景があったため、食事に関しても好きなものは食べさせてあげるようにしていましたし、日常生活における身の回りのお世話も祖母の気持ちを尊重してあげるように意識をしていました。
遠くに出かけたいという気持ちは本人にもなかったため、基本的には自宅でゆっくり過ごし、家族のうち誰かが隣にいて穏やかに暮らす日々を半年ほど過ごしました。
祖母の身体の調子が落ち着いているときには、会話もできていたため、病気のことには触れず、ささいな普通の会話をたくさんするように意識しながら、できる限りみんなの笑顔が増えるように気を付けて関わり、最期も“普通”に迎えたいというように家族全員で考えていました。
できる限り、今までと変わらない家族の距離感や温度感で過ごし、こちらが悲しみに暮れているような素振りを見せることはなく接するように意識していたため、祖母も穏やかな表情やリラックスした姿を日々見せてくれていたような自宅介護の日々でした。
最期をただ待つだけのスタイルであったため、看取ったときもいたって普通でした。
祖母の様子から、訪問診療の際に医師から「もう今週いっぱいだろう」というふうに伝えていただいたので、家族としてもそれを冷静に受け止めて、「ありがとう」という言葉をナチュラルに出せるように共通認識し、最期の一週間ほどは「あのとき、こんなふうにしてくれて嬉しかったんだよね。ありがとう。」というように、沢山感謝を伝えられた最期でした。
なかなか家族を看取ることは楽なことではないですし、悲しい瞬間やストレスを感じる部分も当然ながらありましたが、それでも、本人の意思を尊重して迎える最期の手段であったため、大らかな気持ちで祖母と接することができていたのではないかと振り返ると今、思います。
本人も最後のほうは言葉もなかなかでてこない様子ではありましたが、「おはよう」や家族の名前は呼んでくれており、自宅で納得した看取りが本人も家族もできたのではないかと感じています。