祖母の孫で幸せでした
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
私が最後に祖母を看取った時は、電話口でした。夜に姉妹で昔のドラマを見ていたら、母親から電話が入ったのです。ドラマを停止させて、私は電話に出ました。
「もう、おばあちゃんは居ねぇんだ‥‥」今、思い返したら胸がぎゅっとつかまれたみたいで痛かったです。
私たち姉妹は実家から離れている時間が長いこともあり、おじいちゃんの時より実感がまったくありませんでした。
おばあちゃんがいない、亡くなったんだ―‥‥‥。頭では言葉の意味の理解ができていても、心はそれを受け入れられなかったのです。
しかしそれとは裏腹に、脳内では「礼服準備しないとな」「髪を整えるために美容室か」「ってか地元にどうやって帰ろうかな」と必死にそればかりが浮かんでいました。
それから私たちは明日の準備に備えて寝ようと決め、私は自分の布団で寝始めて、お姉ちゃんは寝る前にシャワーに入ると言い、自分の部屋とリビングと別れたのです。
当初私は布団の中でおばあちゃんとの思い出がふわりふわりと浮かんで苦しくて涙がダラダラと。聴いたところによると姉は、そのシャワーの流水の音にかぶせて私にバレないように涙を流していた状況でした。
互いに少しだけ実感がわき始めて、翌朝。二人で美容室に行ったり、会社に電話して休むことにしたりと手続きをしていました。そして先に帰っていたお兄ちゃんが迎えに来てくれて、きょうだい三人で地元に帰ったのです。
実家に着いたのはだいたい夜中の2時くらいです。駐車場で兄の車から降りると、懐かしい玄関先の石の階段が照らされていました。鈴虫の鳴き声と磯の香がしっかりしていて、ゆっくり歩いていたのを覚えています。
玄関に着くと、お母さんが待っていてくれました。か細い声で「待ってらで」と言ってくれて、リビングに行くとおばあちゃんが棺桶にいたのです。
迎えに来てくれた兄は、同じリビングにあるソファで、帽子で顔を隠して寝ていて、私とお姉ちゃんはひたすら泣いていました。
亡くなった前年辺りに、おばあちゃんが入院先の病院から電話をくれて、先長くないと言っていたのです。
なのでその時も帰る支度はしていたのですが、正直なところ金欠で帰ることが出来なかったのです。それを激しく後悔しました。なんであの時に無理してでも帰らなかったか。
おばあちゃんから直接「先は短いから会いたい」と言われていたのに、、、と後悔の嵐でした。泣き崩れてしまった私とお姉ちゃんは、取り返しがつかないことをしてしまった心情でした。
こうして私たちはおばあちゃんをしっかりと確認して、認めざるを得なかったのでした。