闘病生活の終わりは、新人生の始まりですね。
どんな看取りだったかお聞かせ頂けないでしょうか
どんな看取りだったかというと、ものすごく盛大でした。わたくしは年齢的に言うと、誰かの死に招かれることは多々ありましたが、祖父ほどの盛大さのある通夜はどこに行ってもありえませんでした。
生前のお話です。
祖父は生前、漁に出る際に転んで打った頭の具合が徐々に悪くなってしまい、認知症を患わっていました。
最初は自宅で看病をしていました。しかし「隣の奴がのぞいてきてる」「飯食ったかー?」「人のことバカにする声がする」と発言が始まったのです。
当時、今でいう認知症なんて病名はなかったので、ただただおかしくなってしまったのかと思っておりました。
やがてごはんも食べれなくて、身体中を痛がって、さらには舌のガンや大腸がんを併発していたんです。なのでおのずと祖父が大っ嫌いな病院に入院することになりました。
入院した当初はそこまで危害があるようなものではない、と感じていましたが、ベッドに立ち上がって叫んだり等が始まったときは見ていられないけどベッドに拘束されたりという姿を見せることになっていたんです。
ここで初めて「危害があってはまずい」と感じ取って、祖父と会うことが怖いと感じました。
少しだけ時間を空けて祖父のお見舞いに行きました。本音いうと不安でしたが、たった一人のおじいちゃんだし、すごく可愛がってくれていたことを、おばあちゃんのアルバムで知って、切なくて無性に会いたくなったからです。
見ればやせ細っていた祖父。いつの間にか怖い対象の祖父は、ひたすら点滴をしなければならないほど衰弱していました。
そして喋ることもできなくなったのです。それでもわたくしは、やっぱり祖父が大好きで変わりはないと感じて、修学旅行のお土産や、卒業証書を見せたり、アクションを起こしていました。
だけどある年のお正月。
午前7時過ぎのことです。祖父が危篤だと病院から電話があったらしく、母がわたくしと、一緒に寝ていた姉を起こしにきました。
わたくしは最初布団から出れずでしたが、母からの「おじいちゃんがもう危ない」と言葉を聞いてハッキリ目が覚めました。
病院に行く準備は何もなく、とにかく病院に急ぎました。普段出張している父も帰宅していたので、祖父が入院している病院へすぐさまたどり着けました。
病室につけば横たわる祖父がいました。その横にはずっと付き添いしている祖母がいて、泣いています。
今でもその場面は思い出せます。わたくしと姉は泣きながら祖父を見て・・・・
午前8時44分と数秒、祖父は旅立ちました。
ここには兄だけが仕事で看取れなかったこと、悔やんでいたことを聞きました。